6 舞台に上れ
「ごっ……500っ……⁉」
思わず声に出したのはジンだけではなかった。
舞台を中心としてどよめきが広場全体に広がっていく。たった今列を抜けていった者たちのうち何組かがとんぼ返りして慌てて列に割り込んだ。舞台上の観覧席までざわついているところを見るに、完全にバルヒェット氏の独断のようだ。遠目にオリーヴィアが驚いた表情で片手で口を覆っているのが見える。隣でシュテフィが軽快に笑った。
「これは想像していたよりも白熱しそうだね」
「500万ツェルク……」
うわ言のようにジンは繰り返した。
200万ツェルクで半年分の生活費なら500万ツェルクでは一年でお釣りが来る。
捕らぬ狸の皮算用とはよく言ったものだが、普段の生活では縁のないような大金が手に入るかもしれない機会に恵まれて、使い道を想像しない庶民がどこにいるのだろう?
人混みの中で誰かが雄叫びを上げた。続く歓声、指笛、拍手がさざ波のように舞台に寄せられる。
彼は政治家になれるかもしれない、とジンは感想を持った。人心を掌握する術を心得ている。
大会が最高潮の盛り上がりを見せる中、壇上のバルヒェット氏が意気揚々と宣言した。
「これより一日目を開始する!」
◇ ◇ ◇
後にも先にも、このときが大会の最大瞬間風速を記録していただろう。
その後、始まった参加者たちの出し物は素人のジンの目から見てもそれは酷いものだった。
賞金に目が眩み盲目的に参加を決めた、というバルヒェット氏の発言をジンは冗談と受け取っていたのだが、この惨状を見ているとあながち本気だったのかもしれないと思えてくる。
幼稚園のおゆうぎ会レベルの楽器演奏、全く息が合わずしまいには喧嘩を始めるテレパシー双子、一度も成功しないどころか道具を観覧席にぶちまけるジャグラー、尾から針金が飛び出している(自称)人魚、体調不良のお年寄りにしか見えない交霊師、喋らない犬、ただの亀。
この舞台は呪われているのではないかと思うほど誰も成功しなかった。
とはいえ演目があればまだマシな方で、実際は壇上に上がったものの特に算段もなくへらへらと愛想笑いをしたり世間話を繰り返したりするばかりで何もしない素人が半分を占めていた。
彼らを擁護できる点が一つだけあるとすれば、舞台の周囲を囲んでいる召使と思しき男たちの存在だろうか。
広場の中央に組まれた舞台は横長の長方形だった。なるべく多くの観客から見えやすいことと観覧席に迫力を楽しんでもらうためにその形状になっているのだと、大会が始まってから気づいた。舞台奥の観覧席は演者と距離が近く、ほとんど目の前で演目を見られるのだ。
言い換えれば、それは演者が観覧席に容易に干渉できるということでもある。
火を吹く男が舞台に上ったとき、それまではなんとなく散らばっていた男たちがさっと陣形を組み換え、男と観覧席の間に壁のように立ちはだかった。ナイフ投げの男のときも同様だった。さながら軍事演習を見ているかのような緊張感があった。結局男は火を吹かなかったしナイフは全部地面に落ちたのだが。
たとえば武器を片手に演舞を披露する者がいたとして、その者が踊りながら観覧席に乱入し、次の瞬間、誰かの首を掻かないとは誰にも言えない。何もなくとも金持ちは反感を買うものだ。
男たちは舞台上の芸人に露骨に睨みをきかせていた。体格のいい者が選ばれているようでかなりの威圧感がある。ひょっとすると普段からバルヒェット家の屋敷で警護を務めている者たちかもしれない。彼らの存在が演者を委縮させている可能性は少なからずある。
それにしてもひどい。退屈極まりないどころか共感性羞恥で見ていることすら辛い。
大会が始まって数時間が経過し、観客も観覧席も明らかに飽き始めていた。それは列に並んでいる者たちとて例外ではなく、一組、また一組と抜けていく。
こんなところでわずかな可能性に賭けて時間を無駄にしているよりも露店をはしごして祭をぶらぶらした方が数百倍楽しいだろう。何より今日は夏至祭なのだから。
観覧席中央の最下段に座っているバルヒェット氏は苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。出し物のレベルの低さに失望していることは明らかだった。
これでは彼の本当の目的であるオリーヴィアに声を戻すことも到底叶わないだろう。
そうして出番を待っているうち、だんだんとジンはイライラしてきた。
今一つ盛り上がりに欠けたままだらだらと続く大会にもうんざりしていたが、純粋に参加者の無責任さに腹が立っていた。
大会への参加を決めたのなら、せめて舞台に上がっているときは大道芸人としての務めを果たすべきだ。たとえその実態が賞金に目が眩んだだけの素人だったとしても。挑戦して失敗するのは仕方がない。しかし
その程度の覚悟で大道芸人を名乗るな。
「シュテフィ、賞金の使い道は決めたか」
「うん? いや、特には」
「考えとけよ。500万ツェルクあればどんな種類の珈琲豆だって好きなだけ買える」
シュテフィが意外そうな表情でジンを見た。口の端が少し笑っていた。
「どうしたんだい、ジン。急にやる気だね」
「
「ふむ。
「なんだろう……一度も聞いたことない言葉なのに意味が分かる気がする」
大会が始まる前は、あれだけの参加者を一日でさばくことは不可能のように思えたが、実際には列の進みは早かった。途中棄権が多く人数が減ったうえ、ろくなパフォーマンスができないとみなされるとすぐにステージを降ろされる。舞台上をまるでベルトコンベアのように人が流されていく。
ジンたちの出番までいよいよあと十人を切った。
直前のグループが実力者だった。夏至祭の派手な衣装を身に着けた子供たちが舞台上を飛んだり跳ねたりして踊る。ダンスと組体操を組み合わせたような演舞でレベルが高い。観客や観覧席から驚きの声と拍手が何度も巻き起こった。オリーヴィアも声こそ出していないものの笑顔を見せている。子供たちは持ち時間いっぱい演技し、惜しまれつつ舞台袖に引っ込んでいった。
彼らは二日目進出確定だな、とジンは思う。
「すごい盛り上がりだね」
「問題ない。俺たちならやれるさ」
つられて拍手しているシュテフィに言う。彼女もああと頷いた。その手をとり、舞台へと続く階段を上る。
「本物のパフォーマンスってやつを見せてやろう」
舞台の中央まで歩き顔を上げたとき、初めてその場にのしかかる重圧が分かった。
ステージのすぐ下には広場の石畳が見えないほど人が密集している。無数の視線が自分たちに集中しているのが分かる。観覧席の方を向けば、そちらは視線の壁だ。すでにこの場に飽き飽きしているが制約のない一般人たちと違い持ち場を離れるわけにはいかない、資産家たちの容赦のない品定めの視線が突き刺さる。今度は何? ちゃんとやれるのか? さっきの子供たちは良かったなあ。なんでもいいから早く終わってくれよ。
足が竦まないわけではない。ただ過剰なストレスで分泌されたアドレナリンが後押ししてくれた。
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