4 大都市アバクス

 二つ目はこれが異世界へやって来て初めての遠出だということだった。


 道中、イーヴォはストウブ以外にもいくつかの町に立ち寄る。アバクスを訪れるのも楽しみだが、その途中にも見たことのない景色や珍しいものが見られるかもしれない。

 そう言うとシュテフィは少し笑った。


「前者については分からないでもないが、気にすることはないよ。むしろ今は休んで体力を温存しておいてくれ。町に着いたら君には存分に働いてもらうからね」

「そのことだが。俺がするのはあくまで魔法使いの〝フリ〟だからな。実際にパフォーマンスするのはそっちだぞ」


 一昨日からもう何度目か分からない釘を刺すジンに、分かっているさとシュテフィは答えた。


 二日前。目立ちたくないというシュテフィの事情は了解するとして、なぜ魔法の使えない自分の方がわざわざ魔法使いのふりをしなければならないのかとジンはイーヴォに尋ねた。

 彼はきょとんとしていた。


「あーまあ辺境の島とこっちじゃ文化が違ぇのかな。ここじゃ基本的に表舞台に立つのは男だけなんだ。女が目立ちすぎるといろいろと面倒なことになる。だから魔法使いはお前。シュテフィちゃんはあくまで助手、兼舞台に花を添える踊り子ジプシーだ」


 要するにこの世界では男尊女卑の文化が根強いということらしい。

 ジンのいた世界では、近年は特に男女平等の風潮が強かった。女性は当たり前のように働くし男性と変わらぬ待遇を受けている。少なくともジンの目にはそう映っていた。生まれたときからそういう社会の中で生きていて、その感覚が普通だ。

 しかしほんの数十年前まではそうではなかったということも歴史を通じて知っている。


 魔法の有無はともかくとして、科学技術の発展度合いを見るに、リヒトは元いた世界より前時代的なのかもしれない。

 つまりこの世界ではまだ女性の権利は男性と同等には認められていない。

 そう考えると、わずか十四歳のオリーヴィア・バルヒェットが縁談を控えているという話も腑に落ちた。 


 ジンの感覚からすれば十四歳なんてまだ子供だ。到底結婚には早すぎる。好きな相手との恋愛結婚ならまだしも、縁談というのもしっくりこない。

 しかしこの世界ではそう珍しいことでもないのだろう。

 特に貴族社会においては。俗に言う政略結婚というやつだろう。うら若い少女はときに経済を円滑に回すための贈り物になり得る。

 正直モヤモヤするが、異世界で生きていくということはそういう文化のギャップを受け入れるということでもあるのだろう。

 ジンが魔法使いを演じることについてシュテフィは全く気にしていないどころか、むしろその方が都合がいいと言うのでそういうことに決まった。

 揺れる荷台の上でジンはごくりと口内に溜まった唾を飲んだ。

 ただでさえ人前に立つのは得意ではない。そのうえ今回はシュテフィの繰り出す魔法に合わせて、さも自分がそれを使っているかのように演じなければならないのだ。

 正直できる気がしない。しかしそうも言っていられない。この二日間、シュテフィと何度も練習してなんとか付け焼刃の出し物を完成させていた。この心労は自分たちの出番が終わるまで続くのだろう。それまで胃の壁が保てばいいが。


「まあ二つ目の理由には私も同意する」


 再び憂鬱が漂い始めたジンにシュテフィが言った。彼女の視線は幌の外、斜め上空に向けられている。ジンもつられて上を見る。 草原の上空一面に広がる空の下半分が朝焼けに染まりつつあった。

 直前まで何を考えていたか、思わず忘れて見惚れてしまうようなピンク色と、まだ夜の面影を残している淡い藍色のグラデーション。頭はすっかり朝だと認識しているのに、夜空の部分にはまだ微かに星が見えていて不思議な気分にさせられる。

 一日の狭間の光が普段よりも面積の広いシュテフィの肌を照らし出していた。

 三つ目の理由はシュテフィのことだった。

 もしかしたら彼女にとっても久しぶりに町へ出る機会なのかもしれない。だとしたら彼女は今何を考えているのだろう。それが気になっている。

 ぼんやりと横顔を見つめているとシュテフィが視線に気がつき、ふっと微笑んだ。


「私と君なら大丈夫さ。きっとうまくいく」

「……ああ。うまくいかせる」


 そういう意味ではなかったが、ジンは素直にそう言って目を閉じた。




◇ ◇ ◇




「おはようさん、寝坊助め。良い夢見れたか?」


 次に気がついたときにはおもちゃ箱をひっくり返したかのような喧騒の中にいた。

 視界に覗き込むイーヴォの逆さまの顔が見えている。

 ジンが弾かれたように跳ね起きると、シュテフィはもう身支度を終えて荷台から降りるところだった。顔を隠すベールもしっかり装着している。ジンも慌ててシルクハットを被る。

 いつの間にか眠っていたらしい。硬い荷台で横になっていたせいか背中が痛かった。

 イーヴォは荷台から積み荷を降ろしている。手伝おうとすると顎をしゃくられた。


「こっちはいいから早くエントリーしに行け。思ってたより到着が遅くなっちまった。もう受付が始まってる」

「イーヴォは一緒に来ないのか?」

「おい、お守りが必要な歳じゃないだろ? オレはここから動けない。送ってやれるのはここまでだ」


 周囲の喧騒に負けないようイーヴォもジンも声を張り上げている。会話するだけでも一苦労だ。

 よく辺りを見回してみれば、行商人のものと思しき幌馬車が何台も停まっていた。イーヴォを含め彼らはここに露店を出すつもりなのだろう。 

 イーヴォは人々がひしめき合っている方を指差した。


「その通りを抜けた先の広場が会場だ。早く行け。健闘を祈ってるぜ」

「ああ! ありがとう」


 シュテフィと互いに目配せし合い、ジンは人混みに身を投じた。

 初めて訪れるアバクスの町は色と音の集合体だった。

 どこからか楽し気な演奏が聞こえくる。道の両側には背の高い建物が壁のように立ちはだかっていた。どの建物も看板を掲げているところを見るにここは商店街のような場所らしい。

 通り中の全ての店、街灯、道行く人々まで祭りの装飾と思しき極彩色の花飾りを身に着けている。

 人の隙間を縫うようにジンたちは進んだ。あまりの多さにとても思うように歩けない。はぐれそうになり、ジンは何度か後方のシュテフィを振り返った。

 ふいにベストの裾が何かに引かれた。

 通行人に引っかかったかと思い振り返る。シュテフィの手がベストの裾を掴んでいた。

 束の間、シュテフィと目が合う。ジンは無言で頷き返し、彼女の手を握ると再び進み始めた。

 人混みや雰囲気に圧倒されている場合ではない。そう自分に言い聞かせた。

 ひょっとすると自分よりも彼女の方が不安を感じているかもしれない。

 やがて通りを抜け、広場に出ると敷地面積が広がった分、人口密度は少しマシになった。

 果ての見えないようなだだっ広い広場では大道芸大会の他にも催し物が行われるようで、あちこちに似たようなテントが張られていた。

 しかし受付の場所はすぐ分かった。通りを抜けた瞬間にシュテフィが呟いたのだ。


「名家バルヒェット家主催、大道芸大会受付――ジン、あそこだ」


 彼女の指し示す方向に目をやると、リヒテス語の看板を首に下げた男が立っていた。異様に背が高い。

 男は頭に色とりどりの小さなとんがり帽子をいくつも被り、顔はピエロのような白塗りだった。近づくにつれなんと竹馬に乗っていることが分かった。ジンに負けず劣らずバカげた格好だ。しかし祭の雰囲気には溶け込んでいる。

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