2 行商人の提案

「このチラシを行く先々で配ってほしいんだ。もちろん仕事のついででかまわない。それから、病気や怪我で悩んでたり薬を必要としてる人間に心当たりないか? というかもうこの際、薬に関係なくても何か仕事があれば紹介してほしい……差し当たっては当面の生活費が稼げればなんでもいい」

「おいおい……あんたも知ってると思うが、オレは商人だぜ? そんな見返りもなしに」


 やはり、駄目か。ジンは唇を噛んだ。

 分かっていたことだが、無条件で宣伝を頼んだり仕事を紹介してほしいなんて虫の良すぎる話だ。かといって今、イーヴォに支払えるものなど何もない。

 肩を落としかけたとき、はたとイーヴォが動きを止めた。


「……待てよ。紹介できる仕事があるかもしれない」


 その三日後、イーヴォは再び魔女の万能薬ヘクセンエリクサーを訪れた。


 ジンとシュテフィを呼びつけると、彼は幌馬車の荷台から一つの木箱を下ろした。改めてジンとシュテフィに向き直る。


「これからあんたたちには、流浪の魔術師になってもらう」

「流浪の魔術師?」


 思わずジンは繰り返す。

 イーヴォが箱を開けるときらびやかな布地が目に入った。


 紫と金を基調としたド派手な衣装。光沢のある布地にビーズやレースがふんだんにあしらわれ、衣服というよりも衣装と呼んだ方がしっくりくる。どうやら着替えながら説明を聞けということらしい。


「今から二日後、大都市アバクスで夏至祭ゾンベントファイアーが開催される。向こう三日間続く、町をあげての盛大なお祭りだ」

「夏至祭ってなんだ?」

「ジン、君は夏至は知っているかい?」

「ああ……まあなんとなく。一年で一番昼の時間が長くなるあれだろ」


 ジンの隣でシュテフィが頷く。


「この国では、毎年この夏至の時期に各地で祭典を催すんだよ。地域の発展と子供たちの成長の無事を祈り、夏を迎える喜びを祝うのが慣習さ」

「へぇ」


 何気なくシュテフィの方を見て、ジンは思わずぎょっとした。


 ジンの衣装はシャツの上から羽織るベストのような形だが、シュテフィの衣装は地肌に直接着るタイプのようだ。

 彼女は今まさにシャツの胸元のボタンを外そうとしている。


「ちょ……っ! おまっ、おい! 物陰で着替えてこいよ!」

「おっと。これは失礼した」

「あーもーなんで止めるかねぇ。あと少しで、あたっ!」


 イーヴォの額に作業棚に置かれていた何かの動物の頭骨がふいに落下して激突した。擁護の余地もない。


 シュテフィは衣装を持って自室に引っ込んだ。

 ジンの訝し気な視線から逃れるようにイーヴォは咳払いををする。


「シュテフィちゃんの言う通り、元々はそういう起源の祭りだ。まあ、現代ではほとんど飲んで食って騒ぐための行事になってるがな」

「なるほどな」


 ジンは納得した。世界や国にかかわらず多くの伝統行事がそういうものだろう。


「さて、本題に入るぞ。祭りの期間中は大勢の大道芸人がアバクスに集まる。各地から観光客が押し寄せ、気が大きくなった奴らの財布の紐が緩くなる夏至祭は上半期一番の稼ぎ時だからな。異国の演奏家集団に始まり、火を吹く男とか喋る犬とか精霊を操る巫女とか未来予知する亀とか、まあなんでもいる。あんたたち二人には流浪の魔術師として紛れ込んでもらう。そこである大会に参加してもらいたい」

「大会?」


 イーヴォが確信めいた表情で頷く。


「アバクスにはバルヒェット家という、とある資産家の一家が住んでいる。一家は毎年夏至祭を楽しみにしているんだが、今年は主のバルヒェット氏が祭をより盛り上げるために大道芸の大会を開くそうだ。優勝したグループには賞金が出る」

「賞金って……どれくらいだ?」

「ざっと200万ツェルク──って言っても分からないよな。まあ大人二人暮らしの家庭なら少々贅沢しても半年は余裕で暮らせる額だ」


 片手間にイーヴォの話を聞いていたジンは目を見開いた。


 それだけのお金があれば、調合所の仕事が軌道に乗るまでには十分だ。それどころかジンの夢であり本業である庭作りにも資金を回せるかもしれない。いろいろと足りない設備を揃えることができるだろう。


 ジンの脳みそが目まぐるしく回転を始めた。この世界の植物との交配を防ぐため、元の世界から連れてきた植物たちもずっとジンの部屋に閉じ込めたままだ。そろそろ限界だ。まずは彼らを隔離するための小さなビニールハウスが欲しい……


「お、なかなか似合ってるな。やっぱりオレのセンスがいい」


 イーヴォの言葉に、思考の世界へと旅立っていたジンははっと我に返った。

 いつの間にか着替え終えていたのだ。イーヴォが差し出す鏡を見て、愕然とした。


 例えるならサーカス団の団長といったところか。ベストの全面に目がチカチカする紫や金のスパンコールがぎっしり敷き詰められている。それを〝最も派手な金色〟でオーダーしたかのような金糸の刺繍が縁取っていた。

 大金がもらえないのなら到底袖も通したくないような衣装だ。


「おい、これ本気で――」

「イーヴォ。これでいいのか?」

「シュテフィちゃん! かーっ、やっぱりオレの見立ては間違ってなかった!」


 その時、背後で扉の開く音がした。イーヴォが先程とは段違いの歓声を上げる。つられてジンも後ろを振り返る。


 一瞬、目が奪われた。


 シュテフィが着ていたのは深い赤色のドレスだった。サテンのような光沢のある生地に透け感のある生地やレースがところどころあしらわれている。ジンの衣装と対になるデザインで、やはり全体にスパンコールやビーズで派手な装飾が施されていた。丈の長いスカート部分はざっくりと裂けていて歩くたびに白い腿が見え隠れする。

 スカートのスリットはいつものことだが、広めに開いた胸元や露出した腕やへその透けたウエストは見慣れない。ジンは慌てて視線をそらした。


 イーヴォがシュテフィに大会のことをかいつまんで説明する。


「つまり、私たちはその大会に出て優勝賞金を勝ち取ればいいということだね」

「さすがシュテフィちゃん、話が早いね」

「って言ったって、具体的に何をすればいいんだ? 俺は芸なんかできないぞ」

「何言ってんだ、兄ちゃん。あんたらにはそれがあるじゃないか」


 イーヴォが目配せする。ジンははっと気がついた。


 しかし。


「ちょっと待ってくれ。ここは魔法がある世界だろ? あー、つまりほらなんていうか……俺はよく知らないけど……前提として魔法が存在するこの世界でも魔法使いって珍しいものなのか? 出し物になるような?」

「なるさ」


 あっさりとイーヴォは言った。

 

「魔法なんて噂に聞くことはあっても実際に目にする機会はほとんどない。あったとしてもせいぜい小物を浮かせる程度さ。シュテフィちゃんほどの使い手がそもそも珍しい」

「そうなのか?」

「まあそうだね。自分で言うのもなんだが、私ほど優れた魔法使いはそうはいない」


 ここぞとばかりにシュテフィが得意気に胸を張る。

 彼女の自認は甚だ怪しいが、イーヴォの反応を見る限りあながち嘘でもないらしい。


 しかし、まだ安心はできない。

 大道芸の大会ということは、普段から芸で飯を食っている人間が集まるということだ。そんなところへ付け焼き刃の素人が紛れ込んだところで、とても優勝を勝ち取れるとは思えない。

 しかしイーヴォはやけに自信を滲ませて言った。


「んな顔するなって、安心しろ。損得勘定が命の商人のオレが不確かな儲け話を持ってくると思うのか?」

「どういう意味だ?」

「オレにはあんたらが必ず優勝できる確信があるってわけさ」

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