6 死神
「さっきもいったけど、この国は二年まえまでせんそうしてたの。はじまりはラーヴァとシュニエルのたいこくどうしのあらそいだったけど、さいごには世界じゅうにひろがったわ。この国──クーゲル王国のてきはおもにりんこくのキースとゼーバルシュ。ラーヴァとシュニエルのにらみあいは何十年もむかしからつづいてたけど、ほんかくてきなせんそうにはってんしたのは今から六年まえ。四年つづいたせんそうだけど、さいごの
相変わらずどこかおぼつかない口調ではあるが、戦争に関するアンネの語り口は大人びていた。ひょっとするとアルドスに与えられた知識なのかもしれない。
彼女の話に耳を傾けながらジンはこの国の名前を知らなかったことに気がついた。
そういえばシュテフィからはリヒトという異世界について少し説明されたのみで、他のことは何一つ聞かされていない。
この世界で生きていくのなら、国の名前や誰もが知っている歴史など一般常識を知っておく必要がある。
「さいごの一月。あたしやアルドスのすむクノッヘン──ここからずっと北へいったところにある森よ──そこでせんめつせんはおこなわれたの。としぶのせんじょうをおわれて森へにげこんだゼーバルシュのへいしたちをぜんめつさせるためのさくせんだったわ」
アンネはヒュッと短く息を吸った。
「秋だったわ。あたしはにげるとちゅうで、パパとママ、生まれたばかりの弟とはぐれてひとりで森をさまよってた。そこらじゅうにげまどうへいしたちでいっぱいだったわ。みんなうわさしかきいたことのない、しょうたいのわからないものにおびえてた。ちからつきたあたしはアルドスにひろわれて、たすけられた。そして、死神がやってきた」
「死神?」
突然挟まれたやけにファンタジックな語句に、口を挟むまいと黙っていたジンは思わず聞き返した。アンネはまるで秋の森の寒風に吹かれているように身震いした。
「みんなアレをそうよんでたわ。なにもおきてないのに、人がじゅんばんにバタバタたおれていくの。死神がとおったんだっていってた。そのあとからやってきたクーゲルのへいしたちはみんなマスクをつけてた。でもそのなかに、ひとりだけマスクをつけてない女がいた」
「それが
アンネは頷く。
「あたしはすがたをみてないの。アルドスがあたしをかくまってくれていたから。わかるのは、ただゼーバルシュのへいしたちはみんな死んだってこと。それからクノッヘンがにどといきものがすめないばしょになったってこと」
アンネの話を聞きながらジンは思考を巡らせていた。
〝死神〟が何を指しているのか。確証はないが、おそらく化学兵器の類だと思われた。何も起きていないということは、爆弾や火炎放射器のような目で見てそれと分かる兵器ではないのだろう。クーゲルの兵士がマスクをつけていたとすると毒ガスのような兵器だろうか。
ジンの脳内に子供の頃に学んだ、歴史上の戦争の犠牲になりガス室で殺された少女や、保健所で殺処分される犬や猫のイメージが浮かんだ。決して楽しい想像ではない。舌の奥に苦い唾が広がる。
二度と生き物が住めない場所、というのは放射能汚染で人が住めなくなった土地を連想させた。
気になるのは、やはり死神の母だ。マスクをしていなければ死に至る状況だったとして、なぜ彼女だけは例外だったのだろう。母、と呼ばれているのならその兵器の開発者なのだろうか。そういえば、原子爆弾を作ったオッペンハイマーは原爆の父と呼ばれていた。
「ちょっと! ちゃんときいてたんでしょうね」
はっと我に返ると、目の前に覗き込むアンネのふくれっ面があった。慌ててジンは口を開く。
「ああもちろん、聞いてたよ。その上でいろいろ考えてた。そうか、ほんの二年前までこの国は戦地だったんだな」
「まったく、ほんとにしらないなんてしんじられないわ。クノッヘンやおうとにくらべたら、このへんはぜんぜんだけど。それでもストウブの町はてきにせんきょされたはずよ」
ジンはストウブで見た家々の欠けた屋根や穴の開いた壁を思い出した。あれは戦火の後だったのか。
「ということは、あの町も〝死神〟が?」
「それはないわ。死神があらわれたのはせんそうのさいごの一月。せかいじゅういくつもの町におりたったらしいけど、あたしのしるかぎりこの国ではクノッヘンだけよ」
「じゃあ、あの町は汚染の心配はないのか?」
「ありえない。いい? 死神があらわれたのがなんでせんそうのさいごの一月なのか、わかる?」
「分からん」
「ぎゃくなの。死神があらわれたからせんそうはおわったのよ」
アンネはジンを見つめてゆっくりと言った。
「つよすぎたの、死神は。たった一月で、てきがわしょこくをぜんぶせんいそうしつさせて、数年つづいたせんそうをおわらせるくらいにね。このせかいに死神いじょうにつよいぶきはそんざいしないの。そのばしょにいきものをすめなくするのも死神だけ……だからもしストウブにおりたってたら、あんなにふっこうするわけないの。死神がおりたあとにはなにもすめなくなるから」
「なら、なぜお前のおじいさんはクノッヘンを離れないんだ?」
急に会話が途絶えた。アンネははっと両手で口を覆った。
カマかけが成功した、とジンは思った。
見様見真似でも子供相手には通じるようだ。シュテフィ相手に通用する気はしないが。
思えば、アンネの証言には不可解な点がいくつもある。
殲滅戦が行われた当時、アンネは両親と弟と一緒に森の中を逃げていたと言った。
例えば吸入した者を無差別に死に至らしめるガスのような兵器があったとして、はたしてそれを民間人がいる場所で使うだろうか?
戦争は国同士の争いだが、正確には軍事力のぶつかり合いだ。民間人に手を出すのはご法度であり戦争犯罪になる。少なくともそれが異世界で二十六年生きてきたジンの認識だった。そういった作戦は本来民間人の退避が完了してから行われるものだ。倫理的観点から、リヒトでもそう違いがあるとは思えなかった。もちろんルールが守られなかったと言われればそれまでだが。
他にもアルドスの存在は特に謎に包まれている。逃げる途中、アンネは森で力尽きたところをアルドスに拾われた、という言い方をしていた。まるでそのときに初めて出会ったかのような口ぶりだ。二人の間に血縁関係はないのだろうか。
何より最も不可解なのは、今この瞬間までアルドスが森を離れていないことだった。先刻のシュテフィとの会話では、したくてもできないという言い方をしていた。一体どんな命に替え難い事情があるというのか。
生き物が住めないはずの死の森。そこで二年、彼は生き延びている。そして今、いよいよ命が尽きようとしている。
不可解な点を挙げればキリがない。繰り返しつけられた足首の咬み傷、ジンの言葉が通じる理由。
数々の疑問が浮かぶ中で先程の表情が決定打になった。
アンネはまだ何かを隠している。
ジンは口を開いた。
「たとえば、怪我して医者にかかるときは症状の他にもいろいろ説明しなきゃならないだろ。いつ、どこで、何をしてて怪我したとか。なんでか分かるか?」
「…………きちんとちりょうできないから?」
俯いたまま小さな声でアンネは呟いた。ついさっきまでの勝気はなりを潜め、弱々しい声音だった。
ジンは頷く。
少女の足首に目をやる。包帯の血が赤黒く固まり始めていた。痛まないはずがないのだ。
目の前の少女を助けたかった。
それには真実を話してもらわなければならない。
「約束する。俺に何ができるか分からないけど、アルドスを助けるために全力を尽くすことを約束する。だから、本当のことを話してくれ」
やがて顔を上げたアンネは、初めて表情に子供らしい不安の色を浮かべていた。
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