灰色のクルーエル

 旅程の最終日。

 王都で一番上等な宿舎について、旅の汚れを洗い流す頃にはもう、日が暮れていた。

 そのまま各部屋に分かれ、就寝する運びになる。

 そして。


(……そろそろいいかな)


 二つの月が昇る頃、フランは静かに寝床から抜け出した。

 寝巻きの上から臙脂色のローブを羽織って、まだ手に余る大きさの魔杖を掴む。

 メイドたちは誰一人、物音に気が付かない。

 風属性の初級魔法だ。音の振動を止めて、無音の状態を作り出す。

 それでも習慣で、抜き足差し足になってしまう。

 フランは宿の廊下にある窓を開け放った。

 階段なんて、まどろっこしくて使っていられない。


「よっ、と」


 窓枠に足を掛け、跳ぶ。

 全身に風を纏い、落下の勢いを殺す。

 静かに着地したのは、宿舎の裏庭だった。

 到着したときから、密かに目をつけていたのだ。

 周囲に人気がないことを確かめてから、そっと杖を構えた。


【火よ、熾れ】


 ぱっ、と目の前に赤い火が灯った。

 火属性の中で、もっとも簡易な着火の魔法だ。

 でも、この簡単さがいい。

 自分の中の魔力の熾りと、その流れを確かめていく。難易度の高い魔法だと、こうはいかない。


【火よ、熾れ】


 自分が納得できるまで、ひとつの魔法を繰り返す。

 何度でもだ。

 六歳から続けている、毎晩のルーチンだった。

 才能に溢れている上に地道な努力まで欠かさない。これで十歳なんて末恐ろし過ぎるわね、わたし。

 なんて自画自賛を挟みつつ、ひたすら詠唱を繰り返す。

 練習場所は、いつも人気のない場所と決めていた。

 倉庫の中。庭の暗がり。深夜のバルコニー。

 練習する姿を隠すのは、努力する姿を見せたくないからだ。

 レインフォレストの娘であり続けるためは、水面下で足をバタつかせる姿なんて見せられない。

 どんなに難しい課題でも、「あ、意外と簡単なんですね♪」と余裕綽々な顔をして、鼻歌混じりにクリアする。

 そうでないと、自分に価値なんてない。

 才能こそが証明だ。

 貴族であることの。

 父の子であることの。

 だからこそ、泥くさく努力する姿なんて見せる訳にはいかない。

 この姿を知っているのは、精々ケイひとり。他の誰にも知られたくない、絶対の秘密だ。

 ──だから。

 ガサっと藪が揺れる音には、心底驚いた。


「──ひゃわぁ⁉︎ だ、誰⁉︎」


「あなたこそ」

 

 藪から現れたのは、フランと同じ年頃の少女。


「こんなところで何してるの」


 第一印象は、「なんだこの鼻持ちならない女は」だった。

 肩の辺りで切り揃えた、月明かりに煌めく白銀の髪。

 猫のように夜に浮かぶ紫紺の瞳。

 抜けるように白い肌。

 絵姿から飛び出てきたみたいに、きれいな女の子だった。

 そのうえ、ローブを羽織っている。

 フランが羽織る臙脂には及びもつかない、最下級の灰色とはいえ、魔法使いだ。

 雪の結晶みたいにきれいで、おまけに魔法が使える同世代の少女。


 ──こいつ誰。どこの家のモンよ。


 どうせ地方の田舎貴族だろうけど、とひとりごちた直後、ローブの留め具が月明かりを反射した。

 彫り込まれた家紋が、きらりと光る。

 見覚えのある意匠に、ぎょっとした。

 知っている。というか、知らない貴族はモグリだ。

 

「『剣を咥えた狼』──ハイドライン北方辺境伯⁉︎」


「『大樹に巻き付く蛇』。魔道の名門、レインフォレスト伯爵家……」

 

 ハイドラインとくれば、武門の誉れ高い北の大貴族だ。王都から遠く離れた地方貴族ではあるが、北の帝国に睨みを利かす国防の要。

 家格は伯爵家同士、五分と五分だ。

 となれば、面倒でも挨拶しておかないと。


「これは──ええと。よ、良い夜ですね。よろしければ、お名前をお伺いしても?」


「クルーエル」


「……。」


「……なに?」


 それだけ?

 普通は家名までワンセットでしょうが。

 もしかして私、舐められてる? 同格の伯爵家だぞ。


「いえ。わたしはフランドールと申します。フランドール・ミステリア・レインフォレスト。お気軽に、フラン、と呼んでくださいね」


「そう。フランドールはここで何をしてたの」


 聞けよ人の話。

 あとなんで呼び捨てなの。敬語使え。こっちは使ってやってるでしょうが。

 引き攣りそうな頬を鍛え抜いた表情筋で押さえつけながら、フランは辛抱強く教えてやった。


「はい。明後日の若獅子戦に備えていたんです」


「若獅子戦?」


「就学前の貴族の子女が集まって、魔法の腕前を競うという──ご存知、ないですか?」


「ああ、それで……本当、好きなようにしてくれる……」


 何か勝手に一人で納得したらしいクルーエルが、銀髪をかき上げた。

 そして、吐き捨てるように言う。


「くだらない」


「──は?」


「ただの貴族同士の子供自慢。くだらないマウント合戦じゃない」


「……くだらない……?」


「他人より魔法が上手く使えるから、なんだっていうの? そんなことで家の格が上がるだの下がるだの、何の意味もない。こんなもの、元は人殺しの技術なのに。本当に──」


 クルーエルが息を吐いた。


「この世界に、魔法なんて無ければいいのに」


 ぷちん。

 フランの中で何かが切れた。


「……なに舐めたこと言ってんの?」


「え?」


 速攻でご令嬢の画面を脱ぎ捨てたフランに、クルーエルが怪訝な顔をする。

 構わず、素の口調で続けた。


「そっちも貴族ならわかるでしょ。家名を背負って競う意味くらい」


「家名、ね。は。どこかの物好きが買い取ってくれるのかしら」


 クルーエルが鼻で笑った。

 はああぁあぁぁ?

 むかついた。とにかくむかついた。

 この女は分かってないのだ。

 貴族にとって、名誉や誇りがどれだけ重たいかを。

 血は金より重く、名誉はそれより尚重いことを。

 名誉を守れない無能に、居場所なんてない。

 フランは誰よりもそのことを知っている。

 だから、許せない。


「他の有象無象はどうか知らないけど!」


 怒りのまま、手にした魔杖を真っ直ぐ、目の前の少女に突きつけた。


「参加する以上、わたしは家と血を背負って杖を振るわよ。さすがレインフォレストの娘だって、お父様の子だって証明するために杖を振るの! くだらないなんて言わせない!」


「…………。」


「訂正と謝罪を求めるわ。ハイドラインのお姫様」


「断る」


「は?」


「訂正も謝罪もしない。魔法も競技会も貴族の名誉も、どれも等しく無意味だと思うから」


「なにそれ。あんた素直にごめんなさいもできないわけ?」


「謝る理由がないと言ってるの」


 平行線だ。

 もういい。わかった。


「そこまで言うなら、勝負しなさいよ」


「勝負?」


 クルーエルが怪訝な顔をした。


「若獅子戦で。ここの時期にここにいるってことは、あんたも参加者なんでしょ。負けたほうが、勝ったほうの言うことをひとつ聞く。それでどう?」


 クルーエルが目を瞬いた。

 信じられないものを見た、と言わんばかりに。

 心から思う。

 その綺麗な顔を歪めてやりたい。哀れに謝らせて、膝を突かせてやりたい。

 泣かせてやりたい。


「それとも、逃げる?」


「──いいわ。負けたほうが、勝ったほうの言うことをひとつ聞く。それでいい?」


「ちょっと待って。ひとつだけ、万が一気づいてないと可哀想だから、念のため言っとく」


「なに?」


「わたしのローブは第二階梯の臙脂。あんたは無階梯の灰色でしょ。ハンデが欲しいなら上げるけど?」


「いらない」


 かちん。


「……あー、そう。そうですか。分かった分かった分ーかーりーまーしーたー。じゃあもう遠慮しないから。ぎゃんぎゃんに泣いて謝るまで、許してあげないんだからね」


「概ねこっちの台詞よ」


 そうして、月の夜の邂逅は終わった。

 絶対こいつには負けない。

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