四字熟誤(よじじゅくご)

竹林

幼志綻零

仲の良かったクラスメイトが病院に搬送されたと聞き、気になって病院へお見舞いに行った。

 彼女との会話は、何気ない会話から始まった。







 幼志綻零。

 何もすることがなく、こんなことになった経緯について考えていた時、ふと、こんな言葉が思い付いたんだ。これで『ようしたんれい』と読むんだよ。

 幼い頃の志が破綻して何もなくなった今の状況に、これでもかというほど合っている四字熟語だと思ったよ。容姿端麗という四字熟語をもじったのは、今まで「可愛い」や「綺麗」と言われてきた私と、今の私の姿に対する皮肉になっているんだ。

 幼稚園生だったころは、五歳の私にも芸術品と思わせるほどの美しいケーキを作るパティシエをテレビで見て、必死にお菓子作りをし始めた。

 小学校に入り、クラスの男子より五十メートルを走り切り、ドッチボールでもボールをキャッチするのはいつも私だった。クラス内のケンカはいつも勝っていたような気がするよ。まぁ、あんまりケンカなんて起きなかったけどね。

 学年が上がり、次に本に興味を持つようになった。簡単な児童書から始まり、三年生修了の時には本格的な小説を読むようになっていた。

 そうそう、小説を読むようになって、分からない単語が出始めたから、国語の勉強を始めたんだっけ。私、人より勉強ができて――えっ、意外?今は見る影もないからかなぁ。

 小学五年生になって、麻雀専用の机の、何だっけ、雀卓だったかな?をおじいちゃん家で見つけて、そこで麻雀を始めたの。私のカバンにいつも付けてた『發』って書いてあるのも、おじいちゃん家にあったやつなんだよ。けどさぁ、麻雀知ってる子が周りにいなくて、一緒に打ってくれる人が誰一人としていなくて、そこでその夢は諦めちゃったな。

 小学六年生になって、思春期に入ってきたからなのか、人づきあいが上手く行かなくなっちゃって、周りから人が減っていった。でも、私、結構鈍くてそのこと分かっていなかったんだよね。そんな中書いた卒業作文の第一行は『私の将来の夢は、カウンセラーになって、人の悩みを解決することです。』って。この文私を嫌ってた人たちからするとより嫌いになる文章だよね。周りを気遣えない奴が、カウンセラーになってたまるかってね。

 この時点で君に会えたらよかったのに。


 中学に入った始めはよかったよ。勉強で遅れをとることがなく、陸上部に入った時も『期待の新人』と言われたよ。けど、人付き合いは改善することなく、それが原因でいじめが始まった。親にこのことを打ち明けようにも、母親が再婚してできた家で、家庭環境も滅茶苦茶なんだよ。いじめの内容は、君も知っているんじゃないかな。ほら、全校集会でいじめの例にやけに一つ長めの話があったでしょ。あれ私の体験談なんだよ。びっくりした?教員の娘がいじめる側にいたらしくて、この話をするようにしたんだって。なんの意味があるんだろうね。

 そして今、中学三年生。君に出会った。初めて会ったときはびっくりしたよ。顔もほとんど知らないのに、陸上の大会の時に応援に来てくれて。女子の応援がゼロ人だったのにもかかわらず。なんで君がわざわざ私の方に来てくれた理由は分からない。けれど、あのとき応援の声があったのはすごく嬉しかった。数年前の私だったら惚れてたくらいに。

 ……冗談だよ。

 受験期に入って、いじめてきた奴らが私にあまり関わらなくなってきても、君はいつも私に話かけてくれた。あんな奴らでも、私の存在価値の一つになっていたんだと実感するよ。それでも君はまだ私と関わってくれた。君が受ける学校は確か、県トップレベルの高校のはずだけど、私に構っていながら、よく合格できたよね。嫉妬するよ、本当に。

 

 中学三年のさいごまで一緒にいてくれた理由を、君は『傍観者になって何もできなかったことの罪滅ぼし』だと言っていたけれど、あれ、罰ゲームで『私と仲良くなれ』って言われたからでしょ。でも、本気で私に向き合ってくれるのは、君しかいなかったんだから、謝らないで。

 こんなことになったのは、君のせいじゃなく、私のせいだからさ。







 彼女との会話は、そこで終わった。

 どう言葉を操れば、彼女の誤解が解けるのだろうか。

 何か彼女の誤解を解くためにできることがあるのだろうか。

 いつ、誤解に気付き、答えていれば、こんなことにはならなかったのか。

 一体どこで、誤解であることを伝えればよかったのか。学校や家でも落ち着けないこの少女に。

 どんな選択肢が、僕や君にとって最善だったのか。

 そう、確かに、初めて会った日は、つまらない賭けに乗らされて、君の言うような罰ゲームで君の陸上の大会の応援に向かった。決勝まで進む君に、不躾ながらアドバイスもした。それを聞いて、君は「アドバイス、めっちゃ参考になった」と、僕に言った。表彰台に立てなかったにもかかわらず。

 君はさっき、僕に惚れたといい、それを冗談だといった。

 けれど僕は、たぶんその時から君に惚れてたんだ。

 僕にはこの一言さえ操ることが出来なかった。

 僕は彼女の誤解について何ができるのか分からなかった。

 僕は誤解につい最近にaなって気付き、答えるまでに時間をかけてしまった。

 僕はどんな場所でも、君に意味のある話が出来なかった。学校や君の家以外でさえ。

 僕と君の関係に正解の選択肢なんてなかった。


 君は陸上の大会で決勝進出までした。万年補欠の僕と違って。

 君はいじめに遭っても明るくふるまっていた。いじめの傍観者になっていた僕に対して。

 君はカウンセラーになると言った。君に相談してばかりの僕に。

 君は幼いころの夢がすべてなくなったと言った。なんの目標も持たない僕に。

 君は自分のことを皮肉っていたが、君自身が僕への皮肉になっていた。


 僕がなにを思おうとも、君のこの結末は変わらない。

 自殺未遂で植物状態になってしまった君には何一つ届かない。

 僕宛の遺書を鞄にしまい、病室を立ち去る。廊下の窓から、山際に日が落ちてゆくのが見えた。

 彼女は幼志綻零の『綻』とを皮肉に使っていたが、僕は逆にとらえようと思う。

 『綻』の字義には、「花のつぼみが開きかける」とある。

 『零』は「何もない」とも「何かの始め」ともとれる。

 彼女が最期に選んだこの言葉を、僕の人生の始まりに使ってやろうと決めた。

 そうして僕は、濡れたハンカチをごみ箱に捨て、自宅へと向かった。

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四字熟誤(よじじゅくご) 竹林 @takebaya-chiku

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