2.

 早春の冷気が頬を刺す中、待ち合わせた広場で史隆ふみたか瞳子とうこの姿を探した。彼女はすぐに見つかったが、上官の一人と真剣な表情で何かを話している。


 瞳子は軍規に沿うよう、長い黒髪を無造作に一つに結び、化粧は薄めで、濃緑色の常装冬服と制帽を身につけている。だが、その立ち姿が凛として美しく、史隆の胸にほのかな温かさをもたらした。


「史隆さま」


 瞳子が駆け寄ってくる。いつの間にか彼女が話していた相手はいなくなっていた。史隆は軽く咳払いした。


「待たせたか?」


 瞳子が柔らかな笑みを浮かべた。


「いいえ、今来たばかりです」


 二人は退役の書類手続きがあり、駐屯地内の庁舎の一つを訪れる必要があった。


 陸軍で過ごすようになって、すでに二年が過ぎようとしていた。兵役も残り一週間。来週、十九歳の誕生日を迎える日に、駐屯地から御所に戻るものと決まっている。


 今後をどうするのかも、すでに瞳子と話し合っていた。


 二人は春には専門教育校に進学する予定だ。史隆は歴史学について、瞳子は伝統芸能について学び直すことになる。在学中には平行して二人の結婚準備を進めることも、瞳子の生家である本條公爵家と取り決められた。


 連れだって庁舎前の広場を後にしようとした。そのとき。


 頭上に気配を感じ、夕暮れの迫る西空を仰ぐ。数百メートル離れた上空に竜の姿を見つけた。竜は徐々にこちらへ近づいてくると、やがて頭の上で数回旋回し、目の前に降りる。


 その竜はちょうど馬くらいの大きさだった。総一朗のときに見た松露しょうろよりも育っているが、成獣には及ばない。だが、身体のバランスが取れ、骨格も肉付きも十分といえた。着地にしても、松露が突っ込むようにドスンと降りてきたのに対し、その竜はふわりと柔らかい降り立ち方だ。


「ハジメマシテ。ボクハ青藍せいらん


 いきなり頭の中に直接響いた声に、ああ、これが竜の声か、と納得する。すると今回は僕が竜に選ばれたというのだろうか。史隆は、そういえば、と思う。孵化から一年経つというのに、騎乗者を得ていない竜がいるという話を聞いたばかりだ。青藍の見た目から、その竜なのだろうと察せられた。


 名を問われて、答えた。通常であれば、そこで竜とその騎乗者との間に契約魔法が作用する。だが史隆には魔法が発動したとは感じられず、戸惑うばかりだ。


「史隆ハ、スゴク偉イ人デショ?」

「偉いのかどうかはよくわからないが、王族だからな。位は高い」

「王族ッテ松露ト椿ダヨネ?」

「確かに女王竜は竜にとっての王族だな」

「史隆ヲ騎乗者ニ指名シタイノ。デモ、ダメッテ、ソコニイル子ガ言ッタ」

「彼女が?」

「ウン。前、会ッタ」

「そうか」

「偉イ人ハ、騎乗者ニナラナイ?」

「そんなことはない。王族出身にも何人かいる。直近で百年前だが」

「史隆ハ、ドウスル? ナル? ナラナイ?」


 選択を求められる場合があるなど、これまで聞いたことがなかった。瞳子が以前この竜に会ったという話も知らない。史隆が瞳子を振り返ると、怯えたような目で見つめ返された。


「申し訳ありません」


 瞳子がささやくように言い、下を向いてしまった。


 ぼんやりとながら、史隆にも事情が察せられる。青藍はすでに一度、騎乗者として指名するために来たことがあり、だがどういうわけか自分に会う前に瞳子と会って、強く拒絶された。そんなところだろうか。


 すでに辺りには人が集まり始めているので、その場で瞳子に説明を求める真似はしなかった。


 俯いていた瞳子が顔を上げ、寂しそうな笑みを見せる。


「総くんも私も知ってましたよ」

「なにを?」

「史隆さまが本当は竜が好きで、騎乗者になりたいと願っていると」

「そんなことは……」


 ない、と言い切れなかった。史隆はそれに後ろめたさを感じた。


「……あ、いや……僕は……」

「お認めになっても、もう誰もなにも言いません。竜のほうがあなたの元に来たのですから」

「瞳子……」


 二人の間に沈黙が降りる。史隆は逡巡しながら瞳子を見つめ返した。


 竜を選べば、四年前のあの日に総一朗が自分の前から去ったように、今度は自分が瞳子から去ることになる。騎乗者となれば、王族の籍からは抜けるはずだ。次代国王の補佐役でなくなった自分など、本條家からは不要と思われるだろう。


 やがて瞳子が泣きそうな顔で微笑んだ。


「史隆さまにとって、これが最初で最後のチャンスです。ご自身が本当に希望なさっていることを優先してください」

「……ありがとう。……すまない」


 瞳子は首を横に振り、黙ったまま深々と頭を下げる。それから顔を伏せたまま静かに立ち去った。


 その後ろ姿が建物の中に消えてから、史隆は青藍に騎乗者となる旨を伝えた。途端に契約の魔法が発動するのを感じた。竜の騎乗者となった喜びは心の奥底に湧いてくる。だが、それでも思う。なぜこのタイミングだったんだ、と。

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