ある薬剤師の狂愛

無雲律人

前編:一ノ瀬優愛side

「お待たせしました。一ノ瀬いちのせ優愛ゆあさん」


 私は今日、いつもの心療内科のお薬を貰いにマツシア薬局に来ている。担当してくれるのは……いつもの暗い雰囲気の眼鏡男子だ。アラサーって所かしら。いつも白衣は汚れていて、前髪も長くて顔は良く分からない。苦手なわけじゃくて、むしろ親切に対応してくれるから薬剤師さんとしては有り。ただ、友達になりたいタイプではないかもしれない……。


「一ノ瀬さん、お薬減りましたね?」

「あ、そうなんです」

「体調よろしいんですか?」

「えぇ。最近は不安感や不眠の状態も上向きで。少しずつでもお薬を減らせればいいかなって」

「それは素晴らしいですね。それではお薬の説明をさせて頂きます……」


 この薬剤師さん、いつもお薬の説明が長いのよね。それだけ仕事に熱心なのかもしれないけど……私としては、後から説明の紙を読むからそこまで長々としゃべらなくてもいいのよ? って感じ。雰囲気は暗いのに、けっこうしゃべるのよね、この薬剤師さん。まぁ、クレーマーにならないように上の空でいつも聞いているけれど。


***


 その日の帰り道、私は少し街をぶらついてから帰宅した。お薬が減って気分が良かったから、ひとりでイタリアンディナーも楽しんじゃった。たまにはおひとり様も最高よー。


 一人暮らしのマンションは、繁華街から一本入った路地にある。そこの路地を曲がればすぐなんだけど……。


「あれ? 一ノ瀬さんじゃないですか?」


 前から歩いて来た男性に声を掛けられた。誰だろう? どこかで見たような……。


「あ! マツシア薬局の薬剤師さん?」

「そうです。こんな所で会うだなんて奇遇ですね」


 白衣を着ていなかったから気付かなかったわ。夜道でこんなに前髪が長くて暗い雰囲気の人と会うとちょっと怖いかも。


「夜道を女性がひとりで歩くだなんて危ないですよ。家まで送りましょうか?」


 いや……家を知られるのはちょっと……。


「お家、そこの路地を曲がってちょっと行ったマンションですよね?」

「え……?」


 何で私の家を知っているの? あ……あぁ、登録情報の住所を見たのね。いやらしい。


「大丈夫です。すぐ着きますし、人通りもありますから」

「でも、今の時間は酔っ払いも多いですから」

「大丈夫です! ひとりで帰れます!」


 やだ……この人しつこい……。何なの一体。私はそこを立ち去ろうと歩き出した。


「恥ずかしがらないで! 僕の目を見て!」


 唐突に腕を引っ張られた。私は小さい悲鳴をあげて後ずさった。


「離して下さい! 大きな声を出しますよ!?」

「何故!? 何故僕を拒絶するんですか⁉ 僕達は想いが通じ合った仲でしょう!?」


 この人……何を言っているの? 全く意味が分からない。


「嫌っ! 離して!」


 私はありったけの力を込めて薬剤師さんを突き飛ばした。


 すると、薬剤師さんはバランスを崩して車道に出て、そして……。

 

 

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