仮面の作り方・7
それから、一週間が経過した。
最近はずっと、声が私の脳味噌を浸している。残飯に群がる羽虫のように、大量の罵声が無限にリフレインしている。家からも、通学路からも、そして教室からも、罵詈雑言が驟雨のように私を襲う。気持ち悪い、狂っている、馬鹿みたい、可哀そう――そんな言葉だ。
防ごうにも、私の心にはこのどす黒い雨を弾く傘が存在しない。だから私は、この身で、この心で雨を浴びるのだ。でも、浴び過ぎて……ひどく寒い。
――寒過ぎて、眩暈がしてきた。
「文化祭って言ったら、やっぱりお化け屋敷だと思うんだよ! ……え? メイド喫茶? あはは、もう絶対伊藤くんが見たいだけでしょ~? まぁ、確かに可愛いとは思うけど!」
九月に始まる文化祭に向けての話し合い。ああ、やっぱり鏑木さんの言葉は、笑顔は鮮やかだなぁ。私の周りには黒く鋭い水溜りが出来ている。でも、鏑木さんがそれを晴らしてくれる。唯一の救いだ。――でも、救われているだけじゃ彼女にはなれない。私も、誰かを救えるような人にならないと……!
――うわっ、何あの目。気味悪いな。
――つか、まだいたのかよ。とっとと消えればいいのにな。
――マジでうざい。ホント暗いから、死んでくれないかな。
また、雑音が聞こえてくる。そして私はふと考えてしまう。本当にこんな雑音を、無駄を吐き出す機械どもに、救う価値が果たしてあるの? 救ってもまたあいつらは私に牙を剥く。そんな連中を、救うなんて出来る訳が無い。
いや、もしかしたら誰かを救う以前に、鏑木さんになる事も出来ないのかも。こんな風に他人を蔑んでいる自分が鏑木さんになろうだなんて、大言壮語で分不相応。それどころか、鏑木さんに対する冒瀆で、侮辱なんじゃないか。そう思うと、途端に手が震えてしまう。持っていたシャーペンが手から滑り落ちる。
私は、なれない……鏑木さんみたいに、輝け――な――
「――――っ‼」
グシャ。無意識に、ノートを握り潰してしまった。ページが破れる。気が付いてすぐにクシャクシャになったページを広げる。破れた部分は、元の形になるよう揃えて、私はそのままノートを閉じた。それから、机に突っ伏して暗闇を見つめた。
「…………そうだよ。ああ、そうだ。私はまだ、完全に理解する方法を試していない」
今まではただ遠目から眺めて、その全てを記録するだけに留まっていた。でも、それだけじゃ当然再現性は低い。いくら観察しても、いくら模倣しても、それはあくまでも表面上の姿しか再現出来ない。裏面上の姿――つまり、影までは写せない。私が今までやっていた事は「投影」なんかじゃない。ただの「物真似」に過ぎない。
そうだ、影に身を投げるには、直接「影」と接するしかないんだ。
思い立ったが吉日。私は移動教室で皆が教室から出たのを見計らって、鏑木さんに声をかけた。
「か、鏑木さん……っ」
「ん? あ、雪音ちゃんだね! どしたの? 何か用なのかな?」
朗らかに、健やかに、彼女は振り返った。金木犀のような絢爛さが、目に染みる。
だけど、それを振り払って私は声を、質問を絞り出す。
「…………どうやったら、あなたみたいになれますか?」
「どうしたらって……雪音ちゃん雑過ぎるよ! それに、私みたいって――」
「知りたいんですっ‼ 鏑木さんみたいに可愛くて、尊い存在になる方法を……」
思わず声を荒げてしまった。まずい、これじゃ鏑木さんに嫌われちゃう……でも、此処で知らなきゃきっと後悔する。抑えなきゃ、不安を……‼ 答えてくれないのではと思ったが、意外にも鏑木さんはあっさりと口を開いた。
「……私みたいになる方法は簡単だよ。それに、雪音ちゃんならすぐになれるよ」
「は? 何、それ……」
その答えは、期待外れもいい所だった。もっと具体的な答えを貰えると思っていた。普段の振舞い方とかの秘訣があると、思っていた。それなのにただ一言「簡単」
とか……‼
「意味分からないよッ‼ そりゃあ、あなたにとっては簡単でしょうけど、私にとってはそうじゃないのッ‼ それに、すぐなれるとか……そんな気安くて、無責任な言葉使わないで‼ 私がどれだけ……どれだけ苦しんでると思ってるの⁉ 全部、全部、鏑木さんみたく、なりた……い、のに……ッ‼ ねぇ、教えてよ‼ ちゃんとさぁ――ッ‼‼」
涙が溢れていた。喉がささくれ立っているかのように声ががさつく。幸いにも、教室にはもう誰もいない。私と鏑木さんだけ。こんな風に怒鳴っていたらきっと、鏑木さんも迷惑すると思ったから、安心した。でも、それよりも私は聞き出したかった。鏑木さんが有耶無耶にした答えの裏側を。だけど――
「気安くは……ないんだけどね。まぁ、今の雪音ちゃんなら、大丈夫だよ。それじゃあ、私先に行くからね! まぁ、その……頑張ってねっ!」
そう言い残して、彼女は移動教室先へと小走りで向かっていった。
取り残された私は、静寂の中で膝から崩れ落ちた。そして――蹲って泣き喚いた。悲嘆が私の頭上に降り注いだ。ただそれを、浴びるしかなかった。でも、ずっと浴びていると鬱陶しく感じてきて、やがて真っ青な雨は――真っ赤な雨に色を変えた。悲嘆の青から、失望の赤へと。私の目指したものは、思ったよりも完璧じゃなかった。思ったよりも、美しくなかった。結局は他の連中と同じ、無駄な存在だったのかも。
ああ、きっと私は焦ってたんだ。焦って、錯乱して、普通の人間とそう変わらない鏑木さんを〝理想の存在〟と錯覚して、勝手に突っ走って――ああ、本当に馬鹿だ。あんな無責任の女に期待して、羨望して、憧憬して――全てを棄てて、全てを憎んだ。それもこれも、全て鏑木凪奈が悪いんだ‼
もう、あの女を目指す必要は――
――何を、言ってんだよ。 ――此処まで来て、諦めるとかさ。
――ふざけろ。 ――ふざけろ。 ――ふざけろ。 ――ふざけろ。
――なるんだよ、鏑木凪奈に。 ――ならなきゃならないんだよ、鏑木凪奈に。
――そして、苦しめてやるんだ。 ――そして、見せつけてやるんだ。
――全て。 ――全て。 ――縊り殺す。 ――拷問する。
――全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。全て。
――進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。進め。
――進んで、そのまま影に堕ちろ。
「……はは、ははははははははははははははははははははは‼‼ そうよ、そうよそうよそうよ――‼ 私は苦しめてやるんだ。苦しめて、縊り殺して――思い知らせてやる」
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