飢え

『太平洋の防波堤』マルグリット・デュラスを読んでイメージしたどこまでも強烈な母親の姿はしかしマルグリット・デュラスの家族の肖像にかき消された。線の細い肌の白い女。ヴァンパイアのような。写真に写っているマルグリットと母親はそっくりで、微笑はなく凍りついたような表情をしている。アダムスファミリーの肖像を連想した。もっと強烈な女性を、たとえば関西のマダムのような姿を想像していたから、上品でゴシック調の雰囲気の写真に面食らった。

 マルグリットは実際にはそこまで貧しい生活を送っていたわけではなかった。しかし吝嗇やある種の貪欲さがあったことは事実らしく、教鞭をとっていた母が購入したという太平洋の土地も実際のできごととリンクしているらしい。『太平洋の防波堤』には現地のこどもたちが飢えのために死んでいくと書かれている。青いマンゴーを食べたり車にひかれたり、こどもたちはいつも食料を求めている。飢餓によって死んでいく。「飢えに開かれたバラ色の口」と描写されたこどもたとはあまりに飢えていて、なにもかもを食べつくしてしまう。毎年一定のこどもたちが死ななければならない。そうでないと大人の食料まで足りなくなってしまうから。生まれすぎたこどもは死んでいく。新しく生まれる命のために。そうして島の地面に積み重なっていく。あちこちに埋葬されたこどもたちの亡骸。


 日本にも飢餓で死ぬ人がいる。しかし私がものごころついたころ、平成の時代は飽食の時代で、また円もドルに対して高かったから、海外からいくらでも輸入することができた。当時は日本中の誰もが飢餓の感覚を忘れていたと思う。だからあの時代に私が持っていたのは実際の飢えではなく飢餓感で、ほとんど想像の産物だった。


 いまでも夜中になると思い出す。高熱を出して学校を休んだ日のこと、解熱剤を直腸にいれられて昏昏と眠り続け、目が覚めたのは夜中だった。空腹を抱えて一階の冷蔵庫をのぞくとなにも入っていなかった。食事を忘れられていたことも寂しかったが、家族もいなかったから(もしかすると母は仕事に出ていたのかもしれない。父が母を呼び出したのだろうか、よくわからない。ただ家に人の気配があったようには思えない。弟もたぶん眠っていた。母も?弟の隣りで眠っていただろうか?私はおどろくほど母のことを覚えていない)

 食事を忘れられることはよくあり、一日三食食べるものだとも知らなかったから、お腹が空いても水を飲んでごまかしていることが多かった。公園にある水道蛇口の場所には詳しかった。しかしその夜は一日なにも食べていなかったこともありほとんど耐え難い飢餓感に襲われた。もしかすると空腹ではなく、母に存在を忘れられていたことのほうが堪えたのかもしれない。わたしたちは実際にはお腹が空いても死ぬことはなく、昼になれば学校給食が食べられるし、命が危うくなるわけではないことを知っている。知っていても、それでも夜、どうしてもお腹が空いて眠れないあの夜を思い出して体の内側からすべての水分が干上がっていくような、おそろしい思いに駆られる。このままこの飢えが続けばきっと自分は死んでしまうのではないかというようなおそろしい不安。

 現実には私は生きたが、体に刻まれた恐怖だけが残った。いまでも夜になると思い出す。はやくすぎてゆくよう、じっと耐え忍ぶが、耐えられなければなにかを口に運ぶ。しかし決して空腹なわけではないから、食べたところで気分が晴れるわけでもない。実際には存在しないからこそなおのこと厄介な架空のこの飢えを、マルグリットも知っていたのではないかと思う。彼女のお気に入りの作中人物アンナ・マリー・ストレッテルも豪奢な食卓の上で架空の飢えに苛まれている。飢えを抱えたままどこかに消えていきそうで、でも彼女はそこに留まる。なにもかも与えられた環境で彼女は満たされることを知らず、空虚な身体を抱えて眠る。ただ眠る。

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