弱酸性の弱男性

 今年のコーチェラにMiike Snowが出演していた。スイスかスウェーデンかどこかのインディーポップバンドなのだが好きになったころには活動量が低下していたころだったので、ライブの配信があると知ってかなりテンションが上がった。

 歌を担当しているのはアメリカの音楽プロデューサーでもあるアンドリュー・ワイアット。ひげ面の彫の深い顔立ちをしている。白いワイシャツにサスペンダー姿で歌うワイアットの姿は若さの盛りを過ぎた男の哀愁があり、美しかった。正直これくらいの年代の男が一番好きだ。というか物心ついたときにはもう、ストライクゾーンが42歳の中年男性だった。取り返せない時間の経過に愕然としているくらいの年代がいい。それより若い人間のよさがわからない。だから私はロリコンに厳しい。


 結婚した時の夫も42歳だった。

 夫は若いころの男前ぶりを今でも心の支えにしており、私が他の男を褒めると絶対に謎の張り合いを見せてくる。このあいだ京都駅で岡田将生そっくりのスーツ姿の旅行客を見た。まばゆいばかりの十頭身に興奮冷めやらぬ様子で家族に報告すると、夫はなぜか俺だって十頭身あるんですけど!いまは肥って頭身が下がったかもしれないけど……でもスーツってバフかかるからね!あれずるいんだ……等々と畳みかけてきたが内心岡田将生に張り合っていい中高年は吉川晃司くらいだよ。出直してきやがれ、と毒づいた。口には出さなかった。自制心があるので。


 まぁでも夫が美しかったのはほんとうのことなのかもしれない。私は人間の顔を立体的に認識するのが苦手なので、美醜に関してはいまいちよくわからないが、夫がその辺のご婦人よりも女性らしいのは客観的に見て事実だと思う。脚の毛も薄いし髭もほとんど生えてこない。手もしらうおのように美しい手をしている。

 証券口座の金銭を違法アクセスでぶっこぬかれた男性が匿名でインタビューに答えていた。60代らしかった。夫とほとんどかわらない。モザイクのかかっていない、血管の浮き出た皺のある手を見て、夫は不思議そうに自分の手を持ち上げてみていた。

「全然ちがう」男の手と自分の手を比べると別の生き物みたいに見える。それがどうにも不思議そうに、他人事みたいに言う。

 前にTwitterでつぶやいたことがあるのだが、夫の手は同年代の女の手と比べても、つややハリがあり、美しい。手だけ見ると美しい女に見える。テレビの仕事をしていたとき、女将の手元を映したシーンのリテイクのために夫の手が使われた、自分の手はよく使われる、後ろ姿もそう。と言っていたことがあった。私はほんとうのところ夫の言うことをまじめにとりあっておらず、また言っているなと適当に聞き流していたが、本当なのかもしれない。

 でもなんていうか、私は女みたいな男と付き合うならきれいな女と付き合えばいいじゃない。と考えるほうなので、女みたいな男が好きっていうタイプではないんだよな。冒頭に挙げたアンドリュー・ワイアットみたいな男が好き。だから夫が美人アピールをしてくるたびに内心?ってなってる。自分は以前男性ホルモンの働きが弱いという意味で夫みたいな人のことを弱男性と言っていたのだが、最近はどうも弱者男性の意味で弱男性と使われることが多い気がする。よわい男性性。弱男性。弱酸性と韻を踏んでいる。夫は男性性がよわい。やさおとこ。おんなみたいにめちゃくちゃ喋る。ずっとひとりで喋っている。まぁでも、やさしいことはいいことだ。たぶん。


 でも本音を言うと私より女らしい男はわたしの隣に立たないでほしい。

 ただでさえ控えめな私の女性らしさがますます埋もれるので。

 このあいだ幼稚園のときの子供にもらったお手紙を読み返していたら、覚えたてのひらがなで

「おかあさん かっこいい」

 と書かれていた。うそでもいいからかわいいと書け、と教えておけばよかった。


私は以前から河合隼雄をこきおろしているのだが、河合はユングをやっていて、男らしい女は女らしい男と番うみたいなことを言っていて、それが図星でむかつくから反動でめちゃくちゃ悪口を言っているのだ。人間ってほんとうのことを言われるのが一番腹が立つ生き物なんだよなぁ。


 夫はけっこう純粋に、女という生き物を嫌っているところがあり、それは同族嫌悪なんだろうなぁ。って思う。


 このあいだ電車の中で高校生男子の集団がわいわい話していて、シュッとした男の子に同じ部活の男の子が「俺の友達がお前のこと好きっていってたで」と報告していたがシュッとした子は怪訝そうに「顔も見たことないのに?」と言っていた。この話を夫に報告すると、めちゃくちゃ軽蔑した表情で「な、あいつらなんにも考えてないんだよ」と言ってきて。ノーモーションでシュッとした男子高校生に感情移入したうえで女全般へのヘイトを顔に出す夫に、やっぱりなぁ。となった。


 これだけ女を軽蔑しているということは、多少モテたというのは本当なのかもしれない。高校生のころ、バレンタインデーには行列ができたという。人口が多い年代ってすごいなぁ。


 でもなぁ、っていつも思う。一番人気の人間を好きっていうのは、ある種の人間たちにとって安牌というか、安全地帯なんだよなぁ。好きってわからない、とか、異性が好きじゃない。とかっていうよりは、一番人気の人間を好きって言ってるほうが、よりカムフラージュしやすいというか。溶け込めるんだ、みんなに。

 だから夫のモテた話を聞いているといつも、その好きって誰かの迷彩服だったんじゃないかなって思う。


 夫はふつうにASD人間なのでいくらモテたところで女の子たちの期待する誘惑者としては振舞えず、しらん男に怒られたり、かわいそうな目にたくさん遭っていて、なまじ見た目よく生まれるのも試練だよなぁ。などとわたしは他人事のように見ていた。だから私の小説は見た目のいい人間に共感的というか、同情的というか、そういうところがあると思う。

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