蝉の鳴く夏

小学生

蝉の鳴く夏

扇風機が右へ左へと、まるで首を振るように風を送っている。 

高校2年生の僕は、夏休みを利用して久しぶりに祖母の家に来ていた。祖母の住む古びた一軒家にはクーラーなんてものはない。きっとこの村全体を探し回ったとしても見当たらないだろう。


クーラーが無いこの村の夏はなんとも耐え難く、毛穴から噴き出した汗は、みるみるうちに僕のTシャツを濡らしていた。


蝉セミのジリジリとしたやかましい求婚の歌がどこか遠くの木から聞こえてくる。こんな田舎なら結婚相手に困らないだろうななんて考える。人間には田舎のこの村だって、蝉にとっては大都会だ。張り切る気持ちもわからなくは無い。


うるさい蝉の鳴き声に、この暑さ。

この村の空気は、なんだかゆらゆら揺れている。


どう考えても人間には耐えきれない暑さに、畳の上でへばっている僕を見かねた祖母が、冷たい羊羹を差し出してくれた。


「羊羹なんて今時、誰も食べないよ」


そう言いながらも一口食べると、程よい甘さと塩気が熱い体に染み渡った。


「あれ、なんだこれ美味しい」


思わず感想がこぼれ落ちた僕に、


「美味いに決まってるじゃない」


そう言いながら祖母は嬉しそうに微笑んだ。



それからしばらくして、祖母が近くの田んぼに草を刈りにいったことで暇になった僕は、久しぶりにこの村を歩き回ることにした。


何も無いと思っていたこの田舎にも、歩いてみるとそこには案外美しい日常がある。

用水路の水音や、錆び付いたバス停、古い一軒家に、大きな入道雲。

僕の住む街とは全く違う街並みに、ゆっくりと流れる夏の時間。

僕は久しぶりに少しだけ興奮していた。


まるで初めからボロボロだったかのようなアスファルトの道を歩いていると、用水路の先には小さな川が流れていた。


「そういえばこんなところに川があったな」


祖父と二人で網を持ち、魚を追いかけた遠い日々を思い出し、懐かしくなった僕は橋の下を覗き込んだ。

するとそこには、僕と同い年ぐらいの髪の短い女の子が座っていた。

彼女は紐に縛り付けた小さなイカで、一人静かにザリガニ釣りをしていた。


その姿と腕前に見とれていると、彼女が


「君、新しくこの村に引っ越してきたの?」


とハッキリとした声で僕に声をかけてきた。


「違うよ」


急に話しかけられた僕は少し驚きながらも、澄ました様子で答えた。


「夏の間だけ遊びに来てるんだ」


僕はそう答えながら彼女の傍に降りていった。


「そっか」


彼女の目が少しだけ悲しそうに見えた。


それから少しの間、僕は彼女がザリガニを釣り上げる様子をすぐ横でみていた。彼女はひょひょいとザリガニを釣り上げては、川に投げて逃がすことをただひたすらに繰り返していた。


「飼ったりしないの?」


会話の糸口を探していた僕は、思いついた疑問を彼女に投げかける。


「飼わないよ。臭いもん。」


確かにそうだ。僕も昔飼っていたことがあったれど、直ぐにヘドロのように臭くなる水に耐えきれず数週間で近くの用水路に逃がしたことを思い出した。


「飼いたいなら取ってあげようか?」


彼女は少し間をおいて僕に尋ねた。


「要らないよ。どうせ僕の町には持って帰れないもん。」


実際に僕の周りでザリガニを飼っている人なんて見たことはないし、

この歳でペットがザリガニだなんて、友達に馬鹿にされるかもしれない。


それでも不思議なことに、僕の中ではこのザリガニを飼いたい気持ちがふつふつと湧き上がっているのを感じた。どんなにヘドロの様に臭くなるザリガニだって不思議と今回は最後まで面倒を見れる気がしていた。でも、僕はこの村に住んでいない。僕の町では、こんなにも臭くなる生き物を飼えないことは火を見るよりも明らかだった。


「ふーん。そう」


彼女はそう言いながら、また新しく釣り上げたザリガニを川に投げる。


それからどれだけ時間が経っただろうか。

不思議と会話の無いこの空間に僕は満足していた。


「もう6時か。帰らなきゃ」


彼女が呟いた。


気づけば18時を知らせる鐘が、この空間との別れを告げるかのように遠くのスピーカーから鳴り響いていた。


「じゃあね」


彼女はそれだけを僕に言うと、直ぐに去ってしまった。


あの子がザリガニを釣りあげながら何を考えていたのか、最後まで僕には全く分からなかった。それでも、たしかに僕にとってあの空間には、感じたことの無い心地良さがあった。一人になった僕の耳には、今まで聞こえていなかった蝉の声と川の音だけが響いていた。


家に戻り、味の薄い肉じゃがを食べながら、僕は祖母に尋ねた。


「この村に僕と同い年ぐらいの女の子いるの?」


「おや、会ったのかい」


祖母が聞き返す


「昼に川で会ったんだ。あんまり話をしたってわけじゃないんだけどさ」


僕の頭には、彼女がザリガニを釣り上げる姿が今でも鮮明に映し出されていた。


「ああ、そうだったのかい。あの子は少し前にこの村に越して来たんだよ。母の療養のためらしくてね。歳は一つ上の子だったっけかな。この村には子供がいないから、あんまり話してるところを見た事ないんだけどね」


祖母の言葉に僕は安心した。彼女がすぐにどこかへ行ってしまう事は無さそうだ。


「きっと嬉しかっただろうねぇ。仲良くするんだよ」


蝉が相変わらず、必死にジリジリと鳴いている。ずっとやかましかったこの鳴き声も、今なら少しだけ気持ちが分かる気がする。


「好きになっちゃったのかい。」


驚いた僕が顔を上げると、いつにもなく嬉しそうな祖母がニヤニヤしながら僕を見ていた。


「違うよ!ただ仲良くなれたらいいなって思ってただけ」


僕は焦って答えた。


「そうかい」


祖母は何もかも見透かしたような目で静かに返す。


照れ臭くなった僕は、急いで湯気の上がる湯船に浸かり、早々に寝ることにした。昼とは違い、今度はコオロギ達がリリリと鳴いていた。全くこの村はほんとうに生き物たちの大都会だ。生き物たちの音を聞きながら眠りにつき、気づけば朝だった。


それからというもの、僕は3日に1回あの川へと向かった。

本当は毎日行きたかったけれど、

照れくさくて毎回少しだけ間を開けて川へと向かった。


なんとなく、彼女に興味を持っていることは、祖父を含めてこの村の誰にもバレたくなった。


しかし、そんな僕の偽装も虚しく、

何度行っても彼女はあの場所に居なかった。


その度に、僕はいつまでも川辺に映るザリガニの影をいつまでも一人眺めていた。


川の流れる音に蝉の声。


この長い夏の1日をただ1人で過ごすのば少しだけ寂しかった。


「僕もこんな風にジリジリと鳴けたらなぁ。」


寂しい僕からこぼれ出る小さな声は、蝉の鳴き声とは全く違う音だったけれど、きっと同じような鳴き声だった。


夏休みも終わりが近づき、とうとう僕は実家に帰る日を迎えた。


「また来てね」


祖母は笑顔で言った。


「また来るよ」


僕はそう答えてバスに乗り込んだ。


美味しいご飯に優しい祖母。草刈りに野菜の収穫。実際にこの夏はとても充実したものだった。この村にしかないものが沢山あったし、それらに沢山触れた。それでも何か、この夏に少しだけ何かが欠けた気がしてた。


知らなければ満ちていたであろう胸の隅。


バスに揺られながら、祖母の家で過ごした夏休みの思い出と、彼女のことが頭を巡った。


「ポチャン」


川に投げ捨てられたザリガニの音はいつまでも、僕の耳の奥で鳴り響いていた。


もしかしたら、もう彼女には会うことは無いのかもしれない。


夏の暑さのせいで、呼吸が少し浅くなる。


僕はなんで、あの子に会ったんだろう。

彼女は僕を呼んでいなかったのに。


バスの小さな窓に映る、無限に広がる青天と大きな入道雲を眺めた。


「これから少し雨が降りそう。」


誰に向けるでもなく、一人呟いた。


そんな僕の小さな鳴き声は、きっとどこにも届かない。



相変わらず蝉はジリジリと鳴いていた。

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