仰せのままに

かなぶん

仰せのままに

 東の山を管轄とする寺院では、僧侶たちが日々鍛錬に励んでいた。

 そんな山の中で。

 唯一人、全く別の理由でそこに住まう少女がいた。

 彼女の名は緋衣ヒエ

 いくら編んでも編み目の揃わない二房の三つ編みは亜麻色。琥珀の瞳には重そうな黒縁の眼鏡。全体的に野暮ったい見た目は、そのまま性格のズボラさ加減にもよく出ていた。

「アイツ、またあんなところで寝ているぞ」

「本当にイイご身分だよな。修行しないなら下山すりゃいいのに」

「ほっとけほっとけ。なんたって、アイツは特別だからな。理由は知らんがこの山にいることこそが、奴の役割だって話もあるくらいだ」

「そうそう。なんならあの堕落した姿を修行の糧にしろってことなのかもしれないだろ? あれに憧れるような無様な真似だけはするなってな」

 陽が暖かく、風が心地良い。

 そんな理由で寝転んでいただけの緋衣は、途端に聞こえてきた陰口も我関せず、日課の昼寝に勤しむ。

 と、その前髪に一羽の小鳥が降り立った。

「……文?」

 目の前の小鳥の足に結ばれた紙に手を伸ばし、そっと外してやれば飛び去る姿。

 なんともなしに追っては、見えなくなった当たりで小さな紙を広げてみた。

「げっ」

 途端、色を失くした緋衣は急いで起き上がると、寺院へ向けて走って行く。


* * *


「……だからって、どうしてこんなことに」

 久しぶりの下山に浮き足立つこともない緋衣は、一番近い停留所で頭を抱えた。

 あの後――。

 文を受け取った後、すぐに寺院へ向かったのは、老師へしばらくの下山の許しを得るためだった。ズボラを地で行く緋衣がこれを返上する勢いで行動した理由は、もちろんあの文。

 何せそこには、なるべくなら緋衣が今生中は会いたくない相手No.1の奴が、近々会いに来るという報せが書かれていたのである。

(絶対会いたくない。会ったら絶対、殺される!……たぶん、いや、きっと)

 断言できた割に推測で終わってしまうのは、正直分からないせいだ。

 緋衣が会いたくない以上に相手も、もっと言えば相手の一族も引っくるめて、緋衣や緋衣の一族とは関わり合いになりたくないはずなのに、どうして今更会いに来るのか。分からなさ過ぎて、それらしい理由が緋衣の殺害しか浮かばない有様である。

 何にせよ、座して死を待つ気高さみたいな気概は微塵もない緋衣。

 相手の身分と忙しさを思えば、しばらく下山してやり過ごせば問題ないはず。

 そんな考えの下、しばらくぶりに老師を尋ねたなら、まだまだ壮健と言って良いはずの年齢に見合わないやつれっぷりに驚いた。

 軽口混じりに加減を尋ねたなら、老師は言う。

 下山する者を募集したが、弟子たちは誰も首を縦に振らなかった、と。

 ここで、普段の緋衣であれば、もう少し勘ぐったところだろう。

 俗世を離れるという決断に至った者を何故寺院の老師が下山させようとしているのか。老師の募集に際し、弟子たちが誰一人応じなかった理由は何か。そして、それが果たされないからといって、どうして老師がここまでやつれてしまうのか。

 しかし、タイミングの良さに魅了されてしまった頭は、渡りに船とだけ思い、ついついその募集に乗ってしまう。

 僧侶とは言い難い自分のような者でも、その役目は引き受けられるのか、と。

 斯くして、応じた理由もなしで下山を許された緋衣だが、到着したバスに乗り込む後ろには、もう一人伴があった。

 肌のほとんどをくすんだ色の包帯で巻かれた、ぼろ切れのような外套を纏う、小さな同伴者。はみ出た髪は包帯よりも白く、瞳は黒い。

 お陰でバスの車内が少しだけざわついたが、緋衣はいつもの陰口のように意に介さず座り、小さな同伴者は当たり前のようにその隣へ座った。

 バスが発車すれば、しばらくして元に戻る車内。

 久しぶりの地上の光景を見る気にもなれない緋衣は、真っ直ぐ前だけを向く同伴者を一瞥だけして、膝に置いた布を少しだけ捲った。

 そこに並べられているのは、十枚の白い羽根。


 曰く、その昔、恐ろしい魔物がいたという。

 全身を白に輝かせたその魔物は、天の使いとも思える美しさではあったが、気性は荒く、何よりも赤を好んだ。

 魔物が跋扈する世にあっては、皆平等だった。

 男も女も、老人も赤子も、富める者も貧しき者も、皆等しく――肉塊と為る。

 昼となく夜となく、陽に当たり星月を浴び。

 おびただしい血で光り輝く毛並みを染めては、魔物が悦に入ること幾年月。

 ある時、優れた老師が現れ、魔物の討伐に乗り出した。

 その戦いは凄まじく、隊を組んでも老師は終始劣勢であった。

 だが、勝機は既に老師と、彼を擁する寺院によって決まってもいた。

 魔物の一撃で老師の命が散らんとするその時、白い体毛を染めた血がこれを編んで呪符と成し、魔物を封じ込めたのだ。

 老師は死の淵にありながらも、最期に魔物の目から輝きを奪うと、戦いの最中に魔物から飛び散った十枚の羽根に輝きを与え、息を引き取った。


「――でも、結局魔物は一時的に封じられただけ。だから次代の老師は交渉に入った。この羽根の輝きを取り戻したければ、自由を得たければ、我らの命に応じ、それを持って人の世の理に準ぜよ……ってことらしいけど、合ってる?」

 一先ずの宿を得て、大してない荷を解いた緋衣が改めて確認したなら、同伴者はどこも見ていない黒い瞳でコクリと頷いた。

「つまり、この話の魔物があなたで、この十枚の羽根は命じるための道具?」

「…………」

 二度目の問いかけに返ってきたのは沈黙。

 それでも老師からはそう聞いているため、緋衣はどうしたもんかと頭を掻く。

(これは確かに誰も手を上げないわ。私だってもうすでに後悔してんだから)

 要するに、この羽根分の命令をこの魔物にして、ついでに果たされたら、魔物は解放されると同時に人の世の理に従う生き物になれる――そうだが。

(無理では? だって、その後は誰も、それを実行しなかったんでしょ? 早い話、誰も寺院の交渉が上手くいくって思ってないってことじゃない)

 ついでにこんな風に下山することになったのも、散々放置した挙げ句、そろそろ呪符自体の効果が自然に切れそうだからに他ならない。このままでは件の魔物が力を取り戻してしまう、かと言って、昔話のご都合主義を信用した挙げ句失敗してしまったなら、人の世を破滅させる業を背負うことになるのでそれはそれで嫌――とんでもない話である。

 そして、そんなとんでもない話にノリと勢いで全乗っかりしてしまった緋衣は、自分の迂闊さを呪うばかりだ。

 とはいえ、いつまでもこうしていては埒が明かない。

 どの道時間が来たなら魔物は開封され、第一被害者は自分と周囲になるのだ。

 ならば、命令というのを試すしかないだろう。

「うぅ……それもこれも、全部アイツのせいじゃない。アイツが余計な文を寄越すから。……よし、それなら!」

 思いつき、羽根を一つ取り出した。

 根元に墨をつけ、羽根と共に入っていた白い護符に書き記す。

「どうか、アイツと、今後一生、会うことが、ありませんように、と」

(重く考えなきゃいいのよ。適当にこうして十個書けば何の問題も――)

「不可だ」

「!?」

 続けて次の護符へ手を伸ばした瞬間、知らない声が聞こえた。子どもというには落ち着いた、少年と思しき低い声。

 驚いて声のした方を見れば、相変わらず視点はこちらを見ない包帯姿が、はっきりと同じ声で言う。

「それは願いだ。願うな。命じろ」

「あ、あなた……喋れるの?」

 恐る恐る尋ねたなら、少しだけ顔をこちらへ上げた包帯姿は抑揚のない声で言う。

「生涯会いたくないのならば命じるといい。殺せと」

「いやいやいやいや!!」

「何故だ。それで会うことはなくなるだろう」

「それはちょっと、過激すぎるでしょう? 私が会いたくないだけで、そこまでする必要はないんだから」

「だが、ソイツのせいで迷惑を被ったのだろう? 生かしておく必要はあるのか?」

「ある! あるある、ありますとも! アイツはアレでも有能だから! 私には必要ないけど、他の人たちっていうか、この国にはなくてはならないから! 私には必要ないけど!!」

「そうか……」

 力一杯、真を持って言ったなら、包帯姿の顔が下を向く。

 ただ下を向いただけとは分かっているのだが、緋衣より身長が低いせいで、小さい子どもをいじめたような気分になる。

「ええと、ご、ごめんね? 半端なことしちゃって」

 思わずそんな声かけをしたなら、頭を上げた包帯姿は首を振った。

「問題ない。お前の考えは興味深いと思っていたところだ」

(お、お前って)

 相手の正体を頭では理解しているものの、小さい子どもに言われるにはあまり歓迎できない二人称である。

「え、ええと、私はお前じゃなくて緋衣。緋衣って名前なんだけど、あなたは?」

「なるほど、緋衣と呼んで欲しいということか」

「う、うん、まあ……」

「我に名はない。執着もない」

「それは……好きに呼べってこと?」

「我は命じない。命じられる者だ」

「うん……」

 噛み合っているのかいないのか、いまいち判断に困る返しだ。

(というか、それなら緋衣って呼べと書けば良かったってこと? 呼んで欲しいって解釈だと願いだもんね。うぅ……一個逃したか)

「じゃあ、メイって呼んでいい?」

 命令の「メイ」。

「…………」

 返ってきたのは沈黙。

 パッと思いついた名前の安直さに呆れた可能性もあるが、その前の沈黙を思い返せば、肯定と捉えて良いだろう。

(いや、これもメイって呼ばせろって書けば……うん、もう不毛が過ぎる)

 出発してから一日も終わっていないのにどっと疲れが押し寄せてきた。乗じて腹が鳴ったなら、緋衣は「まずは腹ごしらえしようか。メイ、行こう」とまたしても命じの機会を己で潰す。


* * *


 面倒事を引き受けたせいか、寺院から支給された路銀は潤沢だ。

 だからと豪勢な食事を並べる気にもならない緋衣は、二人分の食事を前にして早速口に運んでいく。

 久々に選んだ食事は宿おすすめのスープだった。

 ホロホロと崩れる肉がすこぶる美味い。

 大きめに切られた野菜も食べ応えがある。

 決して早食いの方ではないはずだが、節制を美徳とする寺院の食事にはない味わいは、いつもより早く緋衣の腹を満たし、温めた。

「っふぅ……。んまっ!」

 と、スープ皿からようやく顔を上げたところで気づく。

「あ、ごめん。メイは両手も封じられていたんだっけ」

 外套のせいで、肝心なことを忘れていた。

 自分ばかりが堪能してしまって申し訳ないと思いつつ、メイの食事を手伝おうとしたなら、レンゲを手にしたところで首が振られた。

「必要ない」

「え? 食べれないの?」

 言われてみれば、口にも包帯が巻かれている。

 ついそちらへ手を伸ばしたなら、避けるように頭が後ろへ引いた。

「食べられる。だが、必要はない。緋衣たちと違って、不要だ」

「そんな……」

 少しだけ掛かっていた指により、露わになったのは干からびた小さな唇。

 口を開けての発声ではなかったが、せっかく口があるのにもったいないと緋衣は思った。そして少し悲しくなった。

(旅の伴が食事を楽しめないとか、そんなの……私も楽しくない)

 そうしておもむろに羽根を取り出しては、護符に書き記す。

 ――食べろ、と。

「お前、それは――んぐっ」

「緋衣、だよ」

 不可解だと言わんばかりのメイの口へ強引にレンゲを突っ込む。

 言うほど抵抗もなくすんなり口に入れたメイは、レンゲを取り出すなり命じられた通り、モゴモゴと咀嚼し、ごっくんと飲み込んだ。

「……甘い」

「甘い? 割と塩が効いていると思うんだけど」

 不思議に思いつつも再び口へ運べば、難なく食べていく。

 そこに面白みを感じたなら、催促するように口が開き、緋衣は思わず笑った。

 しかし、

「美味しい?」

「……甘い」

(もしかして……味オンチなのかな?)

 食べるようになったものの、感想を聞けば返されるのは「甘い」ばかり。

 かといって、甘い物を嫌う様子もないため、緋衣はそんな結論に至った。

 自分の気持ちを最優先にしたはずの最初の命令が、実はメイにとってもそう悪いものではないと緋衣が知るのは、まだまだ先のこと。

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仰せのままに かなぶん @kana_bunbun

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