Aパート

 その朝、私は署から緊急呼び出しを受けた。廃墟ビルで男の死体が発見されたという。あわててマンションのドアを出るとそこにはナターシャがいた。


「おはようゴザイマス」


 外国人なのに流暢な日本語を話す。彼女はイワン共和国からの留学生だ。以前に留学していたが途中で帰国し、5年してまた最近、戻ってきたのだ。隣に引っ越して来て、あいさつを交わすうちに親しくなった。たまに部屋で2人でお茶をすることもある。勉強して将来は学校の先生になって子供たちの面倒を見たいという。優しい性格の女性だ。もちろん私が刑事だということは秘密にしている。


「おはようございます。ナターシャ、早いわね。どこかに行くの?」

「ええ、ガッコウに。チョット調べたいコトがあるから。あなたは?」

「仕事よ。呼び出されたの。じゃあね!」


 私は彼女とそんな言葉を交わして現場に向かった。


 ◇


 現場ではすでに鑑識が入っていた。カメラのフラッシュがパチパチと光っている。入り組んだ部屋の先の廊下に遺体があった。コートを着た中年の外国人の男性があおむけに倒れている。体に刺し傷などの目立った外傷はなく、血が流れた跡もない。頭部に殴られた跡もない。


(犯人はどうやって殺害したのか?)


 それにもう一つ、変わったことがあった。遺体に1枚の鳥の黒い羽が刺さっているのだ。そばにいる倉田班長に尋ねてみた。


「これはどういうことでしょうか?」

「日比野も気づいたか。犯人は何らかの意図をもって、殺した後に鳥の羽を刺した。それは何なのか・・・」


 何かのメッセージで、誰かに伝えようとしている・・・私にはそう思えた。


「所持品は調べた。財布もスマホもある。物盗りではない。身分証から被害者はアドーリフ・バザロフ。46歳、イワン共和国人。大使館の1等書記官だ」


 それを聞いて私はふと思った。


(イワン共和国? ナターシャの国と同じだ・・・)


 私はなぜか、因縁を感じた。偶然には違いないが・・・。


「大使館にはすでに連絡した。日比野。俺と来い。他の者は聞き込みだ」


 私と倉田班長はイワン共和国の大使館に向かった。イワン共和国と言えば、最近まで内戦が行われていた国だ。反政府ゲリラと政府軍が数年にわたって血で血を洗う争いをし、多くの犠牲を出したのち政府軍の勝利となった。それでやっと戦いが終わったと聞く。


 大使館では大使は出張のために不在で、代わりに職員から話を聞いた。被害者は最近、大使とともに本国から赴任してきたようで、たいした情報は得られなかった。交友関係は不明で恨みを買うようなことはなかったという。


 近所の聞き込みでも成果が上がっていなかった。目撃者もおらず、手掛かりとなる遺留品もない。捜査の行く手に早くも暗雲が立ち込めていた。


 ◇


 その日の捜査が終わって、私はマンションの部屋に帰った。するとナターシャが訪ねてきた。


「ミサ。クッキーを焼いたから持ってキタヨ」

「ありがとう。入って。お茶を入れるわ」


 ナターシャはたまにこうして差し入れをしてくれる。私たちは部屋でお茶をした。


「キョウはボランティア。コドモ食堂でオテツダイ」

「えらいわ」

「イイエ、コドモが好きだから。オサナイ弟や妹がイタカラ・・・」


 そんな話をしているとき、置いてある夕刊がナターシャの目に留まった。そこにはあの殺人事件の記事が載ってある。


「気になるの? あなたの国の人が殺されたから」

「シッテル。ニュースでミタ」

「お気の毒ね」

「デモネ、戦争中、死んだひと、いっぱいイタ。トモダチもたくさん・・・。私たちカナシイ思いシタ。ダカラ私は精一杯ガンバル」


 ナターシャは両手の拳を強く握りながらそう言った。彼女にとって戦争は忘れられない心の傷になっているのかもしれない。

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