第33話 最後

「グラス…」


「お久しぶりですアゲハ姫。将軍との会話は聞こえてましたね?」


彼女は何も言わなかった。月明かりが彼女の顔を青く染めていた。初めて出会ったあの時とは違い、彼女は恐怖や不安に押し潰さそうな顔を僕に向けていた。


僕は彼女にこんな顔をされてもどこか落ち着いていた。ホーレンの一撃で頭が回らなかった。

しかし彼女の顔を見た途端、どこか懐かしさも覚えていた。

今の彼女の顔はこれまで殺してきた彼らと同じ顔をしていた。今から殺されるという恐怖を顔に滲ませながら、それでも死にたくないという願望を切実に僕に訴えかける、彼らの顔と酷似していた。


「あなたを殺しに来ました」


彼女に言葉を投げかけた。僕にとってこの言葉は反省の弁でもあれば、決意の言葉でもあった。彼女を裏切ってしまったことの反省。その嘘を覆しにきたという決意。

血がまわらず頭がボーッとしてしまう中、僕はその思いだけを心に留めることに努めていた。


「グラス…どうして」


「さあ、剣を構えてください」


彼女の声を遮るように言葉を被せた。彼女の言葉を聞くと、僕の決意が激しくゆらぐ気がした。彼女の顔を見るだけで、僕の心は押し潰される感覚があった。

それでも僕は、彼女への想いよりも、自分の決意を優先させたかった。


彼女は僕の声を聞くたびに目に涙を浮かばせた。手も口も震わせながら、乱暴に剣を構えた。月明かりが彼女の顔に触れ、その涙を強調するように目を反射させていた。


「姫様、それじゃあ僕を切れませんよ。さあ、僕と同じように構えて」


剣を前方に構える。あの森での光景が思い出された。彼女は僕の言うことを素直に従ってくれた。しかしその顔は僕の事を睨みつけたままだった。


彼女の構えを見つめる。全然なっていなかった。

あの時は背筋を伸ばし、剣と体が一直線になるような美しい構えだった。

しかし今の彼女の構えは、恐怖で体を縮こませ、涙で体全体を震わせる、とても不恰好な構えだった。

しかし彼女の顔はどこまでも真っ直ぐに僕を見つめていた。

どれだけ出来損ないな体制であろうと、どれだけ涙で顔を汚そうと、その気高いお姫様は、生きるという意志を捨ててはいなかった。

この国の気高い姫は、目の前に命をとりにやって来た暗殺者をに屈するのではなく、確固たる生への執着を見せつけていた。


彼女の姿を見て、思わず口角が上がっていた。それは彼女が不恰好で面白いからとかでは断じてない。

これまで多くの者を殺してきた僕にとって、死を目の前にしながらも、ここまで凛とした姿を見せた者は他に存在しなかった。

もちろん色んな顔を見てきた。ホーレンだったり決闘士達の多くは、怒りに顔を支配されていた。ヴォルトはただ穏やかな表情をしていた。

他にも恐怖やら同情やら色々な表情を見てきたが、彼女の決意にも似たこの顔は、とても新鮮に写っていた。


そんな彼女を目の当たりにし、愛おしく感じると同時に、自分が好きになった相手が、自分が使えた姫様が、こんなにも頼もしく気高い存在だったのだと目の当たりにし、嬉しさと誇らしさから笑顔が顔に漏れ出してしまっていた。


大きく深呼吸をした。剣を構えた時に感じる、あの落ち着きが生まれた。ホーレンに切られた傷の痛みも薄まり、ただ目の前にいるアゲハ姫の動きに神経の全てが研ぎ澄まされていた。

空気が変わったのを感じ取ったのか、彼女の体にも力が入った。


僕は彼女目掛けて突撃した。彼女は僕の動きに驚くと同時に、やけくそになりながら剣を振り落としていた。


(さようなら……アゲハ姫)


別れの言葉を心に灯しながら、僕は剣を振り下げる彼女に迫っていた。

彼女の剣を振り落とすため剣を振り上げようとしたが、肩は上がらなかった。

まるで将軍の亡霊が僕の肩を上から押さえつけるように、僕の肩はぴくりともしなかった。


そのまま彼女の剣は僕の胸に浅く入った。微々たる傷だった。しかしホーレンによって付けられた致命傷は、たかがその浅い切り傷一つでも、僕の体を止めるには十分な一撃だった。


「グラス!!」


彼女は血のついた剣をその場に落としながら、一目散に倒れた僕の元へ駆けつけた。

不思議と痛みは治っていた。どこも痛くないが、意識が朦朧としいた。自分の死を直観していた。


彼女は僕の元へ駆けつけると同時に、倒れる僕を抱き抱えた。そしてただひたすらに声を振るわせながら、僕の名前を呼び続けていた。


「アゲハ姫……おめでとうございます、完敗です」


「ばか!どうしてこんな事を!どうしてこんな……こんな」


「アゲハ姫…本当に…申し訳ございませんでした。僕は…あなたを裏切った。あなたは…僕を信じてくれていたのに……」


「グラス…」


「でも……これで、あなたへの嘘は無くなりましたよ……」


僕は彼女に笑顔を振りまいた。とても誇らしい気分だった。


「これで僕は…嘘偽りのない男になりました。やっと…あなたに相応しい…男になったのです…」


「ばか…ばかですあなたは!私の命を狙ってそんなことを…!私の命を狙っておいて、どうしてそんな事を言えるのですか!

どうして自分の命を狙った相手を!どうして私を失望させた裏切り者を!どうして……どうして」


彼女が細かく震え出した。


「どうして……殺しに来たあなたに……こんなにも涙が溢れるのでしょう」


彼女の瞳からは大粒の涙が溢れていた。


「どうして…どうしてこんなにも悲しいのでしょう…。どうしてこんなに苦しいのでしょう……」


彼女の涙が僕の顔に落ちてきた。彼女の涙が今の僕にはとても嬉しいものに感じ、小く笑みが溢れた。


「アゲハ姫、そんなに泣かないでください」


彼女の涙を拭おうと腕を伸ばした。先ほどまで動かなかった腕が、自然に彼女の瞳まで腕を伸ばすことが出来た。

彼女は驚いたように僕を見つめ、涙を拭う僕の腕を彼女は受け入れていた。両目の涙を拭うと、彼女は僕の手を力強く握った。


「僕はずっと…あなたに愛されたいと思っていた。とても自分よがりで…子供じみた…わがままな夢です。

ですが今の僕は……あなたの真実になりたい。

あなたの事を知ったから。それがあなたの為になると信じたから。

初めて自分の夢が…誰かの幸せの為になったのです。僕は今、自信を持って……あなたの真実になれたことを断言できます。……これほど嬉しいことはない」


「なんで……どうしてそこまでして……」


「僕はあなたが好きです」


彼女が再び驚いた顔を僕に向けた。僕は自分の最も大きな真実を言葉に出すと同時に、心がすっと軽くなった気がした。


「あなたの声も、瞳も、心も、全部好きです。

アゲハ姫、あなたを心の底から愛しています」


「グラス……」


彼女は僕の手を強く握り、再び涙を流した。その光景は、これまで見たどの景色よりも光で溢れている気がした。


「グラス……私はこの先、どうやって生きていけばよいのですか…。あなたのいない、嘘に塗れたこの世界で、一体どうやって生きていけば良いのですか…」


「アゲハ姫……どうやって生きるかなんて、誰にも分かりませんよ。ただ…その世界で…生きていくしかないのです」


「そんな…無理です…。私は……こんな世界耐えられない……」


「…あなたはこれからも、嘘に塗れた世界で生きていくしかないのです…。

だから、僕を信じてください。どれだけ人に騙されようと、どれだけ人に裏切られようと、どれだけ嘘に飲み込まれて行ったとしても、僕だけは……僕だけは、あなたの真実です」


あの時言わねばならなかった言葉を、ようやく口にする事ができた。


僕は一度彼女を裏切っている。彼女を失望させてしまった。許されることではない。


それでも僕は彼女の真実になりたかった。

だから彼女についた嘘を実行したのだ。彼女についた一つの嘘を取り除くために、僕は命をかけたのだ。


もう一度彼女に信じてほしい。それが虫のいい話だということも分かっている。

それでも僕は思いを口にした。自分を信じてくれと言葉にした。


この世界は嘘でできている。それはどう足掻いても決して逃れることのできない真実だ。

そんな世界で生きるために、人は嘘をつくものだと知っていながら、人を信じて生きていくのだろう。

誰もが必ず嘘をつく。僕はもちろん。ホーレンやヴォルト。アゲハ姫だって、この嘘の世界に準ずる為に、自分を偽って生きてきた一人だ。


僕の人生は親の嘘から始まった。僕の父はあんな現実を隠すために、わざと隠していていたのだろう。それもまた彼なりの優しさだったのだと思う。

しかし僕はそれを拒んだ。その嘘を拒絶した。


これは僕の選択だ。

この父の思いが、自分の予想通りの真実だったとしても、僕はきっと父を拒絶していたに違いない。


僕らはこの嘘に塗れた世界で生きていくために、嘘つきだと知っていながら誰かを信じるしかないのだ。

だから彼女自身がそれを決めればいい。誰を信じるのかを、彼女自身が自分の直感に従って決めればいい。


僕は彼女にとってのそれが僕であって欲しい。

彼女がこれから信じるに値する、彼女が嘘に塗れた世界で生きて行く為の支えとなる真実が、僕であって欲しい。

これが僕の願いだ。僕の夢だ。僕はその夢の為に生き抜いた。


だんだんと意識が遠くなっていく。彼女の顔もだんだんとぼやけてきた。声も遠くに聞こえる。


どうやら彼女は僕の名前を呼んでいるらしかった。それがたまらなく嬉しかった。

彼女の腕の中に居られることが。彼女に涙を流させたことが。僕なりに、彼女の真実になれたことが、どうしようもないほど幸せに感じた。


彼女に幸せになってほしい。

彼女が信じるに値する人がこの先現れたなら、悔しいがそいつにその席を譲るとしよう。たまに亡霊にでもなって、そいつを怖がらせてやる。それぐらいで勘弁してやろう。

ただもし、もし彼女が、僕を信じてこれからも生きていく事になったのなら。

彼女が僕を支えに生きていく事になってくれたら…。

今はただ、自分の理想を浮かべながら、静かに眠ることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る