第29話 後悔

「実はヴォルトから相談を受けたことがあってな。それも随分と前、お前たちが初めて決闘をした後ー」


それは初めての決闘を終えてしばらく経った後、二人の反響が凄まじく、さらに大儲けしようと決闘の日程を練っていた時だ。


ヴォルトが私の部屋を尋ねてきた。奴隷たちの前では、バカでやかましい男という印象だったが、その日は様子が違った。どこか元気がなく沈んでいるようだった。


「どうした、こんな晩に」


「ちょっとな……ちょっと……話を聞いてほしくて」


これはただ事じゃないと思い私はすぐに部屋に招いた。ヴォルトにお茶を淹れてやり、私も対面するように椅子に腰掛けた。


「なんだ、話って」


ヴォルトは何も喋らず、ずっと意味深にカップを見つめていた。私は彼が言葉を探しているのだとすぐに理解した。だから黙って彼が喋り出すのを待ち続けていた。


「実はなオリヴァー、俺ずっとあの日のことが忘れられなくて…」


「ああ?…まあそりゃな、あれは忘れられないだろうさ」


思わず拍子抜けしてしまった。しかしヴィルトの表情は暗い。その表情が妙にひかかった。


「実はさ、ずっとあの光景が頭から離れないんだ。あの男が……あの最後の男の顔が……」


ヴォルトはあの日、鉄球を男の顔に落として止めをさしていた。あの凄まじい戦いのラストには、少々静かな幕引きだったが、あれはあれで味のある最後だと印象ついていた。


「そりゃ忘れられないさ。あれはいい幕引きだったぞ」


「ずっと頭から離れないんだ。あいつの顔が、声が、あいつの訴えかけるあの表情が……」


ヴォルトが顔を暗くしながら答えた。そして彼の言動に私はひどく動揺していた。


「待て。お前………だってお前は、その覚悟があったはずじゃ」


「あったさ。俺は自分も夢の為なら、人を殺してでも叶えてやるって気合いがあった……けど、あんな表情されたらさ」


「ちょっと待ってくれ!お前……お前人を殺した経験が……ないのか……?」


そこからヴォルトの過去を聞いた。彼が村で友人が自殺をしたこと。それが自分のせいと考えたこと。自分が殺したと自覚していたこと。


とんでもないことをしてしまった。私は自分の力を見誤っていた。

彼を初めて見た時、直感で彼には既にその覚悟があるものと分かっていた。てっきり人を殺したことがあるのだと思っていた。


彼には確かに人を殺す覚悟があった。

でもそれが大きな間違いだった。ヴォルトはバカだった。ヴォルトは自分が殺したんだという実感だけで、そこまでの覚悟を持っていた。彼は直接人を殺したことがなかった。馬鹿の一つ覚えで正義と真理を知った気になって、自分の覚悟を信じ切っていた。


なんて愚かなことをしたんだ。私はてっきり彼には訓練は必要ないと考えてしまった。あれだけの覚悟があるのなら、懇願する死人の声や表情に惑わされるはずないと考えていた。

しかしその覚悟は、自分の頭の中で生まれただけのハリボテで、現実味のまるでないものだった。そしてヴォルトはそのハリボテを心から信じてしまっていた。


彼の人を殺すという覚悟は、口だけのでまかせにすぎなかった。


私は酷く後悔した。人を殺す覚悟のない子供をあんな場所へ連れてしまっていた。

訓練を受けることなく、死人のあの表情を見て、あの懇願を聞いて、正気でいられる者などそうはいない事など、私が一番よく知っていたはずなのに。


「でも……あいつは違うんだ……あいつは……」


ヴォルトは怯えた表情をしていた。自分の肩を抱き、細かく震えている。


「グラスはそんな事気にもとめなかった。ただ嬉しそうに、俺に笑顔を向けてきたんだ。……俺はあいつと違った」


そのまま目に涙が溢れていた。どの顔には、恐怖とどこか怒りのような表情があった。


「俺はあいつに言ったんだ!俺とお前は同じだって……でも違ったんだ!俺は知った気になっていただけなんだ。あいつの苦しみを知った気になっていただけなんだ!」


「ヴォルト……」


「それでもな……それでも…俺、後悔はしてないんだ……。あの時、会場の皆んなが俺たちを祝福してくれた。俺たちを労ってくれた。あの光景が忘れられないんだ。そして思ったんだ。あぁ俺、叶ったんだって」


ヴォルトはあの光景を思い出していた。声援の全てが注がれるあの瞬間を。魂が震えるあの瞬間を。


「それだとさ…それだと……あいつはどうなるんだよ」


ヴォルトが顔を手で覆いながら俯いた。さらに涙を強くした。彼の悲しみは一人の男に向けられたものだった。


「俺はあいつとは違ったんだ…。それなのに……俺だけ先に夢を叶えちまった。あいつはこれから先も、ずっと叶わない夢を追っていくのかな?それじゃあ俺、あいつの為に何ができるのかな?俺、あいつの為に何かしてやれるのかなぁ…」


「ヴォルト……」


私は椅子から転げるようにヴォルトの元へ行き、力強く抱きしめた。


「すまない…すまないヴォルト……私のせいですまない……」


私は声を震わせながらヴォルトに何度も誤った。彼も私も体を震わせていた。


「私が絶対、お前を守ってやるからな…!必ず……必ず…!」



彼のこの不安は私のせいだった。彼がここまで苦しんでいるのは私の驕りのせいなのだ。

だから私は誓った。ヴォルトを幸せにしてみせると。ヴォルトが幸せを願う、グラスを幸せにしてやると。

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