第19話 騎士

あの事件から程なくして『騎士』の就任が正式に決定した。

事件は公に発表され、オリオロス市民に大きな衝撃を与えた。


まず決闘士の英雄が、姫様の暗殺を企てたことにも驚かせたが、それをあろうことか友人であるもう一人の英雄が防いだ。そしてその決闘士は、奴隷という身分でありながら、姫様の直々の『騎士』に任命されたという。

この絵に描いたような成り上がりストーリーは市民の関心をさらに高めると共に、僕を『決闘士の枠組みの英雄』から、『真の英雄』と呼ばれ始めることは、想像にたやすいことだった。


僕は『真の英雄』という肩書きから『騎士』という称号まで手にし、順風満帆という言葉だけでは足りないほどの、賛美の嵐に包まれていた。


しかし僕の心境は複雑だ。当然のことだが、英雄と呼ばれていたヴォルトは、今やこの国一の裏切り者として、市民から非難の嵐に包まれている。

ヴォルトの死体は三日間晒し者にされ、市民から袋叩きにされたのちに、目の前で火炙りにされ、犯罪者の死体を埋める共同墓地に投げ込まれてしまった。


ヴォルトへの非難は、彼の死体が埋められた今でも続いており、ヴォルトの非難が高まるのと比例して、僕の英雄としての価値が如実に高まっていった。


僕はヴォルトの死体が袋叩きにあっている様を、偶然馬車から目撃したことがあった。その姿は見るも無惨で、袋叩きにされてる死体が、ヴォルトなのか誰なのか、判断がつかない程ボロボロの状態だった。しかし僕が突き刺した傷跡が体に空いてたことから、あの死体は間違いなくヴォルトのものだったと、嫌でも分かることができた。


僕はヴォルトの話を公にすることができなかった。国のお偉いさんの一人は、僕がヴォルトを非難すればするだけ僕の価値が上がるのだから、積極的に罵倒すれば良いというアドバイスをもらったこともあった。


しかし僕はヴォルトを裏切った張本人だ。彼を非難の嵐に蹴り飛ばしたのは僕なのだ。だからできなかった。僕が公で発言しないと、僕自身も巻き添えを喰らうぞと脅されたこともあった。それならそれでも良いと、僕はヴォルトを裏切った責任から、ヴォルトを裏切った恩恵を手放そうと自暴自棄になる時もあった。


しかし英雄という肩書きはどこまでぼ僕に優しく微笑んできた。僕がヴォルトのことを発言しないとなると、疑われるどころか、今でも親友を思っているのだと友情に感銘を受け、それでもなおアゲハ姫のために友人を殺した正義の行いへの賛美が、僕の元に降り注ぐばかりだった。


何をやっても僕の価値が上がってくこの現状に次第に慣れていってしまい、自分の得た恩恵や称号、それによってもたらされた安心感や達成感が、これまで感じてきた罪悪感と同居し合い、最終的にはこれで良かったのだと自分に言い聞かせることしかできなかった。


今日はこれから僕の騎士の就任式が行われる日だ。

僕は王宮に招待され、召使いの者達から衣装やら化粧やらで散々もみくちゃにされてしまい、式が始まる前から、既に疲労感でぐったりとしていた。

しかし今日から僕は正式に奴隷という肩書を脱ぎ捨てると思うと、どこか考え深くもあった。


そういえば、あのもみくちゃにしてきた召使いの中に、見知った顔が幾つかあった。それはあの日、ヴォルトと共に宮殿に連れて来られた女奴隷達だった。

アゲハ姫と話せる時間に彼女達の事は伝えていた。

あの日僕は、彼女達に向かって姫様に取り合ってもらおうと約束をしていた。せめてあの日の嘘はヴォルトの件だけにしておきたかった。アゲハ姫は僕の言葉以上に、彼女達に尽くしてくれたようだった。彼女らは貴族の遊び目的で使われるのではなく、召使として真っ当な仕事を与えられたようだった。


しかし彼女達の存在は、僕にとって驚異そのものだ。

彼女達は僕とヴォルトが一緒になって宮殿に近づいたことを知っている唯一の存在だ。

奴隷であるからあの日目撃した男が、ヴォルトだと気づかないことも考えられるが、僕の顔を見ると軽く驚いた表情を見せてきた。そうなれば、あの日僕と一緒にいた男がヴォルトだと気づくのはそう難しいことではないだろう。そうなると世間で広まっている話の矛盾に気がつくはずだ。


彼女達の動向には注視しておこう。もし少しでも変な噂がでようものなら容赦はしない。今はただ、せめて犠牲になったヴォルトのためにも、この幸せを守ることだけを考えよう。


ふと一人の召使いが扉の前で立っていることに気がついた。彼女はひどく怯えた表情をこちらに向けていた。僕はハッとなり、すぐさま笑顔を取り繕った。どうやら無意識のうちに考えが顔に出てしまっていたようだ。


彼女は気を取り直し、僕を会場まで案内を始めた。

長く続く廊下はこの国の繁栄を物語っている。天井は遥か上にあり、一定間隔で芸術的な彫刻が奥に続く大きな扉まで並んでいた。


僕たちが近づくと同時に、大きな扉は開かれた。中にいた貴族の連中がワイングラスを片手に、楽しそうに談笑している。

彼ら上流階級特有の独特なオーラに、僕は思わずたじろいだ。


しかし彼らは僕を見るや否や、一斉におおっと声をあげ、続々とこちらに近づいてきた。すぐさま僕は取り囲まれ、我が先にと喋り出す彼らに、つい言葉を詰まらせていた。


「ほほほ、これこれ。騎士様が困っているではございませんか」


ローク伯爵が貴族の群れから、突然その場に出現したかのように姿を見せた。彼はあの日と同じように、ハゲた頭を摩りながら、笑顔でこちらにゆっくりと歩いてきた。


「ほほほ、これはこれはグラス様。この度は就任、おめでとうございます」


「こちらこそお久しぶりですローク伯爵。お元気でしたか?」


「ほほほ、騎士様が私のような男に勿体無いお言葉。ありがたきことで」


ローク伯爵はあの日と同じような不気味な笑みを浮かべていた。彼の笑顔はどこか腹が見えなくていつも不安にさせられるのだ。


「これはローク伯爵、騎士様とはどのようなお関係で…?」


「ほほほ、なに大したことではございません。ただほんの少しだけ以前お会いしたことがあるだけでございます」


ローク伯爵の言葉を聞き、取り囲む貴族達がお〜と声をあげる。この時姫様に言われたことを思い出した。


式当日は、色々と僕と関わりになろうという者達が喋りかけてくるだろうと伝えられていた。『騎士』という称号は、姫様に最も近い側近。僕にツバをつけとけば、後々甘い汁を吸えるかもという魂胆だそうだ。


貴族たちがローク伯爵に流石と称賛している最中、奥の方が一部ざわざわとし始めた。何かに気がついた人たちから、続々とそれに距離をとる。皆が一斉に離れたその中心に、ホーレン将軍が真っ直ぐな目でこちらを睨みつけていた。


彼が目についた途端、貴族の連中は一斉に周りの者たちと喋り始めた。どうやらあの日取り乱したホーレンは貴族の間で噂になっていたようだ。性格が悪いのか天然か、ホーレンにも聞こえるようにひそひそと会話をしていた。


そんな周りの声など気にもとめず、ホーレンは真っ直ぐこちらに向かって歩き、僕の前で静止した。ホーレンがなにを喋り出すのかと、僕もホーレンを睨み返した。

しかし彼はふっと顔を和らげ、僕に笑顔で握手を求めてきた。僕はホーレンを睨みつけたままその握手に応じた。


僕とホーレンの握手に、周りの貴族は安心したように声を漏らす。ホーレンの笑顔は側から見れば完璧な笑顔なのだろう。

しかし僕を見つめる奴の目は、殺意で満ち満ちていた。彼の目の奥には無限の闇の中で、地獄のような炎が今でも僕を焼き尽くそうと燃え続けていた。


僕がホーレンを睨みつけたのは、彼の殺意に気づいたからだけではない。

ホーレンはアゲハ姫との婚約の約束があったことを聞かされていた。その婚約は白紙になるのではという噂も広まっているが、僕はこいつを許さない。僕を差し置いて彼女に近づいたこの男が、憎くて仕方がなかった。


僕らが睨み合っていると、前方から会場全体を包み込むような大きな歓声が上がった。この歓声を受ける相手は一人しかいない。

ホーレンは僕の手を乱暴に手放し、群がる貴族の群れに隠れるように姿を消した。

僕はホーレンの姿を見送った後、彼女の方へ振り向いた。


アゲハ姫はこの大広間を見下ろせる場所で会場の者達に優しく手を振りまいていた。そして僕と目が合うと、優しく微笑んだ。その笑顔が天使のように美しく感じた。


僕は中央にある階段に向かって歩き出した。彼女も僕を歩き出したのを見てゆっくと階段の方へ足を進めた。

会場の者達も皆一斉に僕らから一定の距離をとり、その様子を見守っている。


僕は彼女の目の前で跪いた。それを合図に彼女は腰につけた剣を引き抜き、僕の首元に剣を向かわせた。剣の重みを右肩にうっすらと感じる。剣が首元にある緊張感が今はとても心地よく感じた。

しばらくの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。


「グラス、其方は我の右腕として、我剣として、永遠に我の支えになることを誓うか」


会場が彼女の言葉に息を呑む。僕も彼女の言葉一言一句を噛み締めるように聞き入れ、彼女の方へ顔を上げた。


「誓います」


この言葉を聞き、会場から大きな歓声と拍手が鳴り響いた。

これにより僕は正式に彼女の騎士となった。これからは一生彼女のために生きることを許された。

彼女のために命を捧げることができる。これ以上の喜びはない。

この会場に鳴り響く拍手が、僕の幸せの絶頂に至ったこの瞬間に、さらに彩りを与えてくれているような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る