第8話 決闘(2)
一人の男の起こしたに違いない惨劇は観客の声を完全に消していた。観客は奴隷の惨たらしい死を予感し歓声を上げたのだ。
しかし目の前に広がる光景は、殺しにかかった決闘士達の悶え苦しむ様。そして殺されたはずの奴隷がそこに立っているだけだったのだ。
予想外の出来事にそれを見ていたもの達から声が消えてしまっていた。
「ああ…やっと会えた」
僕はただ彼女のことをじっと見つめていた。
あの日は月明かりに照らされた姿だったから、日差しの当たる明るい場所で彼女を見るのは初めてだった。なんて可愛いんだろうか。はっきりと見える彼女の顔から目が離せなかった。透き通った白い肌に、鼻筋がスラっと通っていて頬がうっすらと赤みがかっている。
彼女に見惚れていると一人の男が僕に向かって突っ込んできた。叫びながら再び僕に剣を突き刺そうと向かってきた。
「邪魔するなよ」
僕はその剣を右に回りながら避け、その避けた勢いをそのまま利用し回転しながら男の首を何度も斬り裂いていった。
この剣は突き刺して使うのが主流で切れ味は大したことはない。しかし切り傷をつける程度の切れ味はある。僕は一度つけた切り傷を何度も何度も回転しながら斬りつけた。すると脆くなった肉が次第に剥がれていく。
僕は生まれつき動きが早かった。自分の力を初めて最大限に攻撃に使うことができた。なぜこの動きが今できたのかは分からない。ただ彼女に声をかけられて、生きねばと思い無我夢中で剣を振うと、たまたまこの技を編み出していた。
男の首がさらに剥がれてきた。あと一太刀と力を込めてその傷口に剣を走らせた。
すると男の首と体が分断され、男の首が宙にまった。体からは血が吹き出し、ころころとその場に生首が転がった。
それを見た観客は開いた口が塞がらない様子だ。目を見開き、その光景をただじっと見つめていた。
しかし次第にある感情が湧き始める。
飛ぶはずの無い首。体から噴き出る血。奴隷による大番狂わせ。今までに見たことのない逆転劇。スターの誕生の予感。
様々な思いが頭をよぎり、観客の出した感情は『興奮』だった。
これまでにない大歓声がこの舞台に向けられた。体全身が震え上がる。
これまでの震えは恐怖だった。観客達の早く死ねと言わんばかりの目。勝利を満身してしまった後のあの光景。仲間も死に、なす術の無い絶望。それら全ての恐怖による震えだった。
しかし今この沸るようなこの震えは、これまで敵の目だった観客達の変化、そして絶望を跳ね除け逆転できるという自信。勝利を確信した歓喜の震えだった!
僕達を取り囲んでいた男達が二歩三歩と後ろに退く。これまでにない雰囲気に明らかに動揺していた。
ヴォルトの方に視線を送る。ヴォルトはこの状況に追いついていないのか少し困惑した表情をしていたが、視線を僕と観客交互に移すと、次第にこの歓声が僕らに向けられているものだと気づいたのか、震え上がるような興奮した表情を浮かべた。
「グラス…!」
「ヴォルト……」
ヴォルトの嬉しそうな泣きそうな表情に僕は笑顔で返した。
「蹂躙だ!」
僕達は互いに笑い合い、逃げ惑う他の男達に斬り掛かった。
ヴォルトが全身の力を込めて剣をなぎ払う。その軌道にいた男達を二、三人まとめてぶっ飛ばしてしまった。男の腹に剣を突き刺したかと思えば、そのまま別の男の頭目掛けて剣を振るい男の顔を破裂させてしまう。
僕も負けじと動いた。回転しながら剣を避け、そのまま相手の首を斬り裂いていく。
一瞬で何度も斬り刻まれた首から血が噴き出る男。噴き出す血に怯えながら手で切り口を抑える。その隙を見て胸に剣を突き刺す。そして回転しながらまた別の男を斬り刻む。流れるような動きに、男達はただ突然体から血が噴き出すばかりだった。
仲間がなす術なく奴隷二人に蹂躙されていく光景に、一人の男が情けない声を上げながら逃げ出した。
あの牛骨の男だった。必死に走りながら牛骨を脱ぎ捨て、鉄球もその場に捨ててしまった。顔は涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃになっている。ただ「助けてくれ」と泣き叫びながら逃げ回っていた。
その光景に観客は笑いだした。みっともなく逃げ惑う決闘士に向かって「恥ずかしい奴め」と上から笑っていた。
僕はその後を追いかけた。ヴォルトも男の捨てた鉄球を拾い僕の後を追った。僕らは走るのではなくゆっくりと歩きながら彼を追い詰めようとした。逃げ道がないのは分かっていたからだ。
自分に向かって歩いてくる僕らを見て、男は顔が引きつらせ、泣き叫びながら舞台を回るように逃げだした。
観客達はその逃げ惑う男が近づくと「頑張れ頑張れ」と小馬鹿にしたように声をかける者もいれば「みっともない早く死ね」と罵声を浴びせるものと様々だった。
次第に男の体力に限界が見え、よたよたとなり始める。もう走っているのか歩いているのか分からない速度だ。僕たちは速度を変えることなくただその男に目掛けて歩き続けた。僕たちを見るたびに怯えた表情をこちらに向け、また少し速度を上げて逃げればまたすぐに遅くなるそんな繰り返しだった。
そして男が僕たちを見て、また逃げるように走り出すと何かにつまずいて転んでしまった。
転んだ拍子に観客はまた一斉に笑い出す。
男が何につまずいたのか振り返ると、筋肉で全身を覆っている顔のない死体が転がっていた。
僕たちは男に追いついた。目の前に立ち、転んだ男を見下ろすように見つめていた。男は怯えたような顔をして逃げようと試みるが、すでに腰が抜けてしまっており、まともに走ることができなくなっていた。
「前にもこんな事があったな…」
あの日監視さんと一悶着あった日。あの日も最後はこのような形になったと思い出していた。
「今度は止めないよな?」
「ああ止めないよ…俺がやるから」
そう言いながら倒れ込む男に向かって歩き出し男の顔の上に鉄球を掲げた。男は泣きながら何かをヴォルトに訴えていた。恐怖のあまりうまく言葉にできなくなっていた。ただ時折「許して」だの「助けて」だの一言だけ言葉が繋がっていた。
ヴォルトは拳に力を入れ始める。鉄球を持つ拳が細かく震え始めた。鎖の音が小刻みになり出した。観客もついに迎える最後の瞬間を逃すまいと緊張が高まる。
ヴォルトの拳の力が強くなり、鎖の持ち手にヒビが入り始める。男は言葉にならない悲痛な叫びをヴォルトに向けていた。ヴォルトはそれを黙って見つめるだけだった。そしてついに腰に力を入れ、男の顔に鉄球を叩きつけようと振り被った。
しかしヴォルトはふっと力を抜いた。男の顔面に鉄球を叩きつけるのではなく、男の顔面にただ鉄球を落とすだけだった。
鉄球が地面に落ち、鎖がジャラジャラと金属音を立てると同時に、ペシャっと肉の潰れる音がした。反動で男の体が少し浮きそしてそのまま地面に戻った。
一つの演目が終結となり観客が大歓声を上げた。地鳴りのような歓声が僕らを労うように向けられた。
「おい!お前ら!名前は、名前はなんて言うんだ!?」
「そうだ!早く教えろ!お前達の名前はなんだ!?」
僕たちに向かって近くの観客が声をかけてきた。
「僕がグラス。こっちはヴォルト。まあこれからよろしく頼むよ。頑張るからさ」
「グラス……ヴォルト…!」
「グラス!ヴォルト!グラス!ヴォルト!ーー」
一人の観客が僕らの名前を交互に呼び始める。それに近くの観客も一緒に叫び始め、それが徐々に全体に広がりだし、次第に闘技場の全てが僕たちの名前を激しく呼び始めた。
信じられない光景だった。闘技場全体が僕たちに祝福の歓声を上げていた。闘技場には紙吹雪が舞い上がり、金管管楽器の勝利の音色が全て僕たちだけに注がれていた。
まるでこの世界の全てが僕たちの勝利の賛美を歌っているかのようだった。あまりにも壮大な光景につい目が潤んでしまう。
「グラス……」
ヴォルトが声をかけた。ヴォルトもまたこの闘技場全体の歓声を肌で受け体が震えているのがわかった。
「グラス……俺今すげえ嬉しいんだ…!まるで全てが許されたような。俺の夢が叶ったんじゃないかって…魂が震えてるのが分かるんだ!………なのに」
ヴォルトの目には涙が浮かんでいた。ヴォルトは俯きながら体を小刻みに震わせていた。
「なのに……なんでこんな気分なんだろう…。俺は今夢が叶っている最中のはずなんだ!
それなのに……なんでこんなに苦しいんだろう。なんでこんなに苦しいのに、心から嬉しさが込み上げるんだ…。この気持ちはなんなんだ……?」
ヴォルトの目から涙が溢れ出す。めいいっぱい涙を堪えようと歯を食いしばっているのに、つい溢れてしまったような顔だった。
「……そんなに嬉しかったのか?僕は今最高の気分だぜ!」
僕は心から溢れた最大級の笑顔をヴォルトに向けた。
ヴォルトはその顔を見て少し驚いたような絶句するようなそんな表情を見せた。ただその後僕の言葉に「そうだな」と答えるだけだった。
しばらく歓声が続いていると、突然観客からざわめきの声が聞こえ始める。その異様なざわめきに僕もヴォルトも拳の力が強くなった。
するとヴォルトが目を見開き、口をぽかんと開けたまま僕の名前を読んだ。僕もヴォルトの視線の先を追うとその驚愕の理由がすぐにわかった。
アゲハ姫がこちらに向かって歩いているのが見えた。
闘技場の下に降り、何人かの従者を引き連れて僕たちの方へゆっくりと歩いてくる。
その神々しく異様な光景に、僕たちは何も考えることができなくなっていた。ただ彼女がゆっくりと近づいてくる様子をぽかんと見つめることしかできなかった。
彼女は僕たちの前で足を止めた。そして従者が僕たちを取り囲むように広がった。取り囲む従者の中には槍を持つ者もいた。
すると彼女は目を瞑りながら少し深呼吸をして再び僕たちをまっすぐ見つめた。
「本日の演目、大変有意義でした」
その声を聞いた瞬間、僕たちは思い出したかのように跪いた。汗をだらだらと流しながら顔を上げることなくただその言葉に耳を傾けていた。
僕は彼女の話がほとんど耳に入らなかった。そしてただ彼女の声に感動すると同時に彼女が僕たちに話しかけている現実に身を震わせていた。そんな光景を見てか、彼女は突然ふふふと笑みをこぼした。
「ふふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。私はただ、今日の演目に感動して少しお礼がしたくてここまで来ただけです」
彼女の言葉に僕たちは恐る恐る顔を上げた。目の前にあの日の美少女が立っていた。僕たちに目を向けてくださり、初めて見た微笑みの表情が僕の心をがっちりと掴んで離さなかった。
彼女は僕たちの顔を交互に目を向ける。その時ふと僕と目が合うとニコッと笑ってくれたように見えた。幻想かもしれないが、もう死んでもいいと思った。
「えっとお名前は…確かグラスさんとヴォルトさんでしたよね?私がここに向かっていた時に会場の声がこちらまで届きました。ふふ凄い歓声でしたね」
彼女の姫としての優雅な振る舞いの中にかすかに見える子供のような笑顔も垣間見れた。
「ところで、どちらがどちらなのでしょう?すみません、声しか聞けなかったものですから」
「それは、」
「俺がヴォルトです。そしてこっちにいるのがグラス。ありがたきお言葉、感謝致します」
ヴォルトが僕の言葉を遮って彼女と会話しやがった。絶対に後で殴ってやる。
「ヴォルトさんに、グラスさん。素敵なお名前!教えていただき感謝いたします」
アゲハ姫が口元を片手で隠しながら笑顔を覗かせた。彼女の一つ一つの言動から目を離せずにいた。
「じゃあまず、ヴォルトさん。あなたに本日のお礼をさせて頂きたいのですけど、何か欲しいものはありますか?私に出来る範囲でしたら…」
その言葉に会場全体ざわつきだす。この国の姫でもあろうお方が、奴隷である僕たちに何か施しを与えるなど異常な事態なのだろう。周りにいる従者も時折アゲハ姫の方に目を向け困惑したような表情を浮かべていた。
ヴォルトは頭を下げて額に汗の数を増やしていた。それもそうだ。今僕たちは最大のチャンスを頂いているのと同時に最も難しい選択を迫られている。仮に少しでも頭が高い事を言ってしまうと、どうなるのかは明白だ。アゲハ姫はその願いの為に動いてくれるだろうが、他の人間がどう動くか。
ヴォルトは必死に考えを巡らせていた。目を見開き唇を噛んでいたが、すぐに諦めるようにため息をして、まっすぐに彼女を見つめ返した。
「姫様ありがたきお言葉感謝致します。しかし俺は姫様に今日の決闘を楽しんでいただいたことが全てです。ましてやそのような慈悲深いお言葉、これ以上に望むことなどございません」
その言葉に会場からは安堵とも取れる声と共にヴィルトに拍手が送られていた。きっと彼も色々と考えたのだろうが、こうする他何も思いつかなかったのだろう。
「そうですか…わかりました。お気持ち、ありがたく頂戴します」
彼女はヴォルト回答に微笑みながら答えた。しかしその笑みはどこか寂しそうな、どこかがっかりしたような、そんな表情に見えた。
「…ではグラスさん」
「グラスで大丈夫です」
僕が彼女の言葉を遮った瞬間、闘技場に動揺が走った。従者も手に持たれている槍を咄嗟に強く握る素振りを見せた。
やってしまった。つい呼び捨てで呼んでほしくてあんな事を口走ってしまった。もう後悔しても仕切れない。あまりにも軽率な自分の言動に顔が赤面してしまう。
アゲハ姫は少し驚いた表情を見せたが、少し咳払いをして再び僕に優しい笑みを浮かべた。
「では、グラス。あなたの望むものはなんですか?」
「僕も…」
ヴォルトの言葉をなぞろうと思ったがどうにも言葉が出てこなかった。さっきの彼女の顔が頭に浮かんだ。もしかしたら彼女はこんな模範的な回答は望んでいないのではないだろうか。もしかしたら本当に僕たちの為に、何かしてあげたいと思っているのではないだろうか。
さっきの発言で少し開き直っているだけなのかもしれない。しかしそう思わずにはいられなかった。
だが僕の夢は、本当にもう叶ってしまっているのだ。彼女をこの目に映す。ただそれだけの為にここまで来たのだ。しかもその願いは今この瞬間さらに飛躍して叶っている状態だ。本当に僕にはこれ以上何も望むものがない。
彼女には嘘はつきたくない。正直に言おう。今の僕の気持ちを。
「僕もあなた様に会えたことが何よりの喜びです。ましてやそんな言葉までかけて頂くなんて、誠にー」
ふと彼女の顔を見た。彼女はとても寂しそうな顔をしていた。姫という肩書きではない。彼女の本心がとても残念そうに俯いていた。
そんな顔をさせたい訳じゃなかった。もっとあなたには笑っていてほしい。初めての彼女との会話をこんな風にしたくない。
彼女に会えた事による興奮と緊張で喉の渇きを覚えた。
そういえばさっきまで殺し合いをしてたんだっけな。幸せすぎてつい忘れてしまっていた。
あの牢屋に戻ってもあるのはあのぬるい水だけ…。
これ位の贅沢は言っても許されるかな…
「誠に感謝申し上げます。そして一つだけ、一つだけお願いをさせてください」
彼女の顔をしっかりと見つめた。彼女もゆっくりと僕に目を合わせる。彼女と目が合った瞬間、僕は彼女に微笑みかけた。
「冷たい水を下さい」
彼女が驚いたような表情を浮かべる。観客も僕の発言に言葉をなくしている。闘技場が未だかつてない緊張と沈黙に包まれる。
そしてその緊張を破ったのは、彼女の無邪気な笑い声だった。
腹を抱えながら、目に涙を浮かべながら笑っている。他の者はその姿に驚愕していた。そして僕はその姿に見惚れていた。
彼女は次第に上体を起こして時より手で涙を拭うような素振りをしながら深呼吸をした。
「はい!わかりました!この国一番のとびっきり冷たい水を用意させて頂きます!!」
彼女は今日見せた中で一番笑顔を僕たちに向けた。そして従者に彼女が飲むために持っていたであろう水を器に注ぎ、僕に振る舞ってくれた。
それを口にすると暑さと疲労でやられていた体に確かな安らぎを与えてくれた。
人生で一番美味しい水を心に刻みながら飲んでいると、彼女は僕の目の前にしゃがみ込み、頬を両手で覆いながら無邪気な顔でこちらを覗き込んだ。
「どうですか?お味は?」
その笑顔に僕はつい赤面してしまった。耳が最初に熱くなって、次第に顔全体がほてるのが分かった。
僕はただ「美味しいです」と目を逸らしながら答えることしかできなかった。恥ずかしさで目を合わすことができなかった。
僕の言葉を聞き、彼女は満足そうに頷くと再び笑顔を僕に向けた。
そして突然立ち上がり闘技場全体に声を響かせた。
「さあ皆さん!今日の演目の主役のお二人に、もう一度大きな拍手と声援を!!」
すると観客が大歓声を上げる。そして再び僕たちの名前を呼びながら会場一体で僕たちを祝福してくれた。
僕もヴォルトも満足げな顔を見せ合いながら、互いに拳を掲げた。すると再び歓声が巻き起こり僕たちを包み込んだ。
僕たちの夢が叶った瞬間だった。
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