第29話 桜の木
「ただいま」
「おかえり。どうだった? 恵子との旅は」
「上々」
けいちゃんは話を思いついたらしく、プロットを電車の中で練っていた。
「長野県立美術館行った?」
「行ってないよ? だって、松本からあずさで帰ってきたから。何かあったの?」
「あらー、それはもったいないことを。
「先に言ってよ」
あとでスマホで検索をしたら、確かに美しい風景画を描く人であった。今度長野に行った際は行こう。
夕飯を食べているときにゆーちゃんに言った。
「完成がいつになるか分からないけれど、秩父の祖父宅が改築できたら、ここを出て行くから」
「ええ。とうとう椎名も一人立ちね」
けいちゃんと一緒に暮らすとは言えなかった。絶対にいじられるから。言葉を味噌汁で飲み込んだ。
「そういえば、スランプは直った?」
「どうして?」
「知らないの? ニュース」
ゆーちゃんは私にスマホを向けてきた。
「え⁉」
河流業読の油絵、5000万で落札。
「あなた、これ恵子よね? 私には分かるわ。失恋のツラさがすべて詰め込まれたこの絵が!」
私は何ということをしてしまったのだ。この絵は封じるべき絵になってしまった。
京都の画廊に訪れなければならなくなったが、そのときにびーちゃんに散々言われるのだろう。そういえば、ゆーちゃんが成長したら、びーちゃんになりそうである。怖い。
「お土産買って来たんだけど」
ご機嫌取りを今からしなければと急いで大量のお土産を渡した。
「では、こちらのお話で書かれるのですね?」
仕事モードのゆーちゃんがけいちゃんに訊いている。
「はい、『半分現実で、半分愛』の物語です」
「多分に愛が含まれているけれども、どうでしょうか? 総編集長」
「もう、最高! 椎名ちゃんのラフ絵も素晴らしいわ」
こうして、私は本格的に日本画に向き合うことになった。
出版社を出て美術書を漁りにお店に入る。
「卒業制作はいいの?」
「それもするよ?」
「いっぱい来ている仕事は?」
「それもする」
けいちゃんはため息を吐いた。
「倒れないでね」
「まあ、大丈夫でしょ」
けいちゃんに「甘え」と言われてしまった。
「どうせ、琴葉さんのことを頼りにしているんでしょ」
「ううん。それ止めた。だって、これからはけいちゃんと一緒に住むからさ」
「そう」
段々と秋に向かっていく気候が丁度良く、私たちは腕を絡めて歩いた。
「ねえ、しーちゃん」
「何?」
「椎名K子は上手くやれるかな」
「できるよ、だってけいちゃんと私だもん」
根拠がなさすぎると厳しい言葉をもらった。
「あ、そうだ。永井様のところ行くけど、一緒に行く?」
「会ってみたい」
永井邸に行くと、庭仕事をしている永井様がいた。
「こんにちは、永井様」
「こ、こんにちは」
けいちゃんは人見知りを発動しているらしい。表情が固い。
「あなたが四季メグミ先生ですか?」
「先生だなんて、そんな」
永井様は丁寧に私たちを中に招き入れてくださった。広い応接室で私の近況をお聞きになる。
「河流として、活動を再開します」
「スランプを抜けたんだね。どうだったかい、スランプは」
「もう一生なりたくないですね」
はははと笑う永井様はその後、咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「いや、すみませんね」
永井様は笑って、「そうだ。失礼するよ」と言って出て行ってしまった。
戻ってきたときには手に木を持っていた。
「これは何の木ですか?」
「桜だよ。これを椎名さんにあげようと思っていたんだ」
「ありがとうございます」
永井様は私とけいちゃんを見比べてにこりと笑った。
「良かったね。失恋ではなくて」
「はい」
「それなら、もう大丈夫だ」
穏やかに笑う永井様。
この微笑みが、私たちが最期に見た永井様の姿であった。
永井様は病気が悪化していく中で、私という存在を見つけ、寿命を延ばしていたらしい。私が心身共に不安定だったことを知っていたのだ。だから、永井様は私の支えとなってくださった。
けいちゃんを見て、あの『失恋』の中の彼女と分かると安心したのだろう。
永井様は静かに眠るように息を引き取ったと松谷先生から聞いた。
「何故、私を呼んでくださらなかったのですか⁉」
葬儀のとき、松谷先生に感情むき出しで迫ってしまった。
「うむ、いい顔になった。君を呼ばなかったのは永井様が君に満足していたからだ」
「そんな……」
永井様の遺言は信じられないもので、近親者のいない永井様は私に全財産を譲ると書いた。ただし、私が筆を折った場合、残った額を団体に寄付するという内容だった。
私はしばらくの間、大学の研究室でぼーっとしている時間が多かった。卒業制作をしなければならないのに、その気力が出てこない。
「しっかりしなさい!」
家に帰ったら、ゆーちゃんが私をビンタした。
「そんな腑抜け顔をするなら帰ってこなくてよし!」
「そんなあ」
家を追い出されたところでけいちゃんに連絡を取ってみた。否、泣きついてみた。
「琴葉さんが言うなら仕方ない」
けいちゃんからも蹴り出された。私は夜の東京をフラフラと彷徨っていた。いつの間にか、中央線沿いにいた。
そこには絵を売っている人がいた。
ちらりと見てみると、水彩画のようであるが、キラキラとしている。
「いらっしゃい」
ヒゲを長く生やした私と同じくらいの年齢の男性が声をかけてきた。
「これはあなたが?」
「はい」
「このキラキラは何ですか?」
「天然石を砕いたものです」
私はその時、衝撃が走った。そうか、天然石!
「この絵ください、全部!」
「え⁉ 全部⁉」
私は大量の絵を持って、中央線に飛び乗り、大学へと戻った。
そして、3月、私の描いた卒業制作の日本画がコンテストで特別優秀賞を貰った。
何故、特別が付いているかと言うと、審査員でも判断しかねる絵だったからだ。師匠である松谷先生も笑いながらも困惑していたらしい。
「全く。私の弟子ながら、毎度やってくれるよ。まさか絵の具を砕かないで貼るとは」
河流業読の名がさらに広がることになった。
総編集長が涙をハンカチで拭いている。
「いいわ。このお話。きちんと子供にも届くわよ」
ゆーちゃんは厳かに出来上がったゲラをテーブルに置いた。
「新垣さん、そして、月読さん、ありがとうございます。素敵な絵本になりました」
「こちらこそ、お誘いいただきありがとうございます」
けいちゃんと私は同時に頭を下げた。
「それで、次の本について何ですが……」
「え、もう⁉」
私が驚いていると、ゆーちゃんがパンと手を叩いた。
「あなたたちはもう絵本作家よ」
「絵本作家」
けいちゃんが目をキラキラとさせている。それはそうだ。彼女の夢が叶っているのだから。
「もちろん、あなたたちのスケジュールは加味します。よろしいですね?」
「はい」
家に帰り、ゆーちゃんに気になっていたことを尋ねてみた。
「ねえ、高校生のときに、打ち合わせは喫茶店かファミレスって言ってなかった? 今のところ出版社でしかしてない気が……」
「秘密保持よ。あんな誰が聞いているか分からないところで隠し玉を話せるわけないでしょう」
「それもそっか」
「ところで、修士課程をトップで卒業したあなたはいつ出て行くのかしら?」
「もうちょっとかかる」
「そう、恵子によろしくね。はー、あなたたちは青春を謳歌していていいわね」
青春? もうそんな歳ではないけれども、私たちのことをまだ高校生だと思っている?
「本を相変わらず読まないしーちゃんに教えてあげる、サミュエル・ウルマンの詩を」
ゆーちゃんは空で詩を歌い上げた。つまり、青春とは年齢のことではないということだ。
「なるほど。じゃあ、ずっと青春だね、私たち3人」
「私も入っているの」
「だって、ゆーちゃん、闘争心が薄れることなさそうだし」
「それはそうね」
納得がいったように、ゆーちゃんはマグカップを洗いに台所へ向かった。
「青春か……」
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