第13話 旅行
「テストどうだった?」
アイヴィが無邪気に聞いてくる。
「?」
私は何を言ったのか分からないフリをした。
「テストどうだった?」
律儀にもう一度同じ言葉を投げてくるアイヴィ。彼女はテストが返される度に成績優秀者として名前が挙がった。
「あんまり絵ばっかり描いていると美大行けないよ? 美大は実技だけじゃないんだから」
正論が心に刺さる。
「け、けいちゃんはどうだった?」
苦し紛れにけいちゃんを見た。寝ている。いや、これは寝たフリだ。
「バレてるよ」
「駄目だったか」
すくっと立ち上がると、外へ行ってしまった。
「あの調子だと、私と一緒っぽいね」
「先が思いやられる」
アイヴィが頭を振った。
確かに私が目指している東京藝術大学は頭も良くなければ入れない学校である。共通テストと実技と面接から選抜される。今から勉強をしなければならないのも納得できるが今は絵を描いていたい。大学に入ったらどうせ絵を描くことになるが、授業を受けていない今の感性で絵を描きたい。勉強からの逃げと言われれば、反論はできないけれど。
そんなことよりも待ちに待った夏休みだ。アイヴィには悪いけれど、私はこの長い期間を絵に使わせてもらう。
8月の旅行に向けて、ボストンバッグを買った。1泊2日の予定なので、それで十分だろう。
私はけいちゃんのお父さんとお母さんに会えるのが楽しみで仕方がなかった。この前のお泊りでは、両親は忙しくて帰ってこないとだけけいちゃんが言っていた。そのときの顔が複雑そうだったので、何か事情があるのだろうと思った。
でも、今度の旅行はそんな両親が揃っての家族旅行だ。はっきり言って、私がそこに混ざっていいのか甚だ疑問ではあるけれども、けいちゃんからの誘いだったので断る理由がなかった。
いよいよその日がやってきた。けいちゃんとは前に漫画展を見に行った駅で集合する。そこは新幹線が通る駅でもあったからだ。
「本当はあずさに乗りたかったんだけど、新宿まで出るとなるとすごく時間かかるから」
「あずさ? 昔の歌にあるあずさ2号?」
「そのあずさだけど、今じゃ2号はないらしい」
そんな会話をしながら新幹線に乗り込んだ。
「軽井沢は何度か行ったころあるな」
通貨していく軽井沢駅を見ながら、私はそう話題を振った。
本当は眠りたい気持ちだったが、我慢した。せっかくのけいちゃんとの長旅だ。できるだけ思い出を目に焼き付けていたい。
だから、できるだけ彼女と会話をした。
「軽井沢のアウトレット?」
「そう。隣の市にできたアウトレットよりお店があって楽しい」
「私は行ったことないな」
意外だった。長野によく行くとは聞いたが、有名な観光地である軽井沢には行ったことがないなんて。
「うちは大体安曇野とか白馬に行ってしまうから、あまり軽井沢方面には行かない」
「なるほど。今回も同じく?」
「そう」
彼女は窓の外を見た。緑がたくさん流れていく。冬になったら、この辺は白いのだろうと思った。
「スケッチブック持ってきた?」
それは旅行前にけいちゃんから言われていたことである。何でも写生大会をしたいと。
「持ってきたよ。あと、簡易的な水彩絵の具」
「いいね」
リュックサックに入れてきたので、それで荷物がいっぱいになってしまった。まさかけいちゃんが写生をしようなんて言うとは思わなかった。
「なんで写生なの?」
疑問を口にした。
「安曇野の景色をしーちゃんにも刻んでほしくて」
「楽しそう」
それにしても、けいちゃんは色は今回も塗らないのだろうか。必要なら私の水彩絵の具を貸すのに。
「次は長野~。長野~」
「あ、降りなくちゃ」
「うん」
聞かずじまいだった。まあ、後で聞けるか。
私は足元のボストンバッグとリュックサックを持ち、乗車口へ向かった。
「はー、初長野駅」
無表情だったらしく、けいちゃんに「あまり感動的じゃないね」と言われてしまった。最近、顔に表情が出るようになった気がするのだけれど、思い込みだったのか?
「ここから松本に移動」
「へえ、松本って松本城があるところでしょ?」
「よく知ってるね」
城を描きたいと思って10年。全国の城をスケッチしてきたが、国宝である松本城はまだなのである。
「時間があったら、松本城行けたらいいね」
「うん」
松本城の可能性が出てきてウキウキした。でも、まずはけいちゃんのご両親と合流しなければ。私たちは特急に乗り松本へ、そして、在来線に乗り換え信濃松川駅で降りた。
「ここからどうするの?」
スマホで調べると、レンタルサイクルがあるらしい。それを借りて行くのだろうか。
「迎えが来る」
けいちゃんの言葉に反応するように一台の車が停まった。外国の高級車である。
「これ新型じゃん」
私は興奮してジロジロと車を見てしまった。
「恵子」
車の中から、女神のような女性が出てきた。おそらくけいちゃんの母だろう。目が似ている。歳を感じさせない佇まいに圧倒される。。
「その子がしーちゃん?」
見惚れいていた私は背筋を正して挨拶をした。
「はい、椎名です。しーちゃんです。今日からお世話になります」
「ふふっ、恵子が熱を上げるのも分かるわね」
「ちょっとお母さん」
けいちゃんが熱を上げる? 私に?
「しーちゃんはキレかっこいいわね」
「キレッキレってことですか?」
けいちゃんのお母さんは大きな声で一笑する。
「綺麗でかっこいいってこと。あなた、気に入ったわ。絵が好きなんですってね」
「はい」
そのとき、ウィーンと窓が下がって男の人が顔を出した。
「立ち話はその辺にして出るぞ」
けいちゃんのお父さんは意外と若かった。まだ30代ではないだろうか。ずいぶんと早く結婚したものだなと思った。
車に乗り込むと、車は静かに発進した。
「ホテルはあなたたち2人部屋にしたから、安心してイチャつきなさい」
「それはどうも」
けいちゃんはぶっきらぼうに答えた。親に対する態度は様々あるけれど、けいちゃんのそれは親への無関心が起こしているものだと感じた。
安曇野いわさきちひろ美術館はすぐに着き、車から降りる。
「そういえば、なんでご両親は車なのに、私たちは電車だったの? 私がいたから?」
疑問を口にしてみればおかしな話である。両親は車、娘は公共交通機関。普通、家族旅行なら一緒に車で行くか、電車に乗るはずである。
「まあ、そのうち分かる」
けいちゃんは美術館周りの自然をスマホで撮っている。周囲の自然は圧巻だった。白馬の山々が近くにあり、自然が茂っている。広い芝生では家族たちが戯れている。平和そのものだった。
それに対して、この家族は何かがおかしかった。
「えっと、しーちゃん、だっけ?」
お父さんに声をかけられた。
「僕はこういうものだけれども、受け取ってくれるかい?」
差し出されたのは名刺だった。
(新垣……陽介……?)
けいちゃんの名字は『野原』のはずである。もしかして、この人はお父さんではない?
それか、夫婦で別姓を名乗っているか。
何をしている人だろうと思ったら、銀座に画廊を持っている人だった。
「君は非常に優秀な絵描きだと聞いている。もし、個展を開くとか、作品を置きたいなら、僕に相談して欲しい」
「ありがとうございます」
私は丁重に財布の中に名刺を入れた。こういうコネは取っておくべきである。
「さ、ビジネスの話は終わり」
けいちゃんのお母さんが手を広げ、美術館へ手を向ける。
「あなたたちの目的はこちらでしょう?」
「いけない。そうだった」
新垣さんがけいちゃんのお母さんと腕を組んで美術館に入っていく。本当に仲がいい。
「ねえ、新垣さんって、なんで名字違うの?」
「あの人は私のお父さんじゃないからだよ」
ということは、不倫!
娘の前で堂々と不倫だなんてすごいな。
「ちなみに、お父さんも不倫してる」
「はあ。家族にもいろいろな形があるもんだなあ」
「引かないの?」
「なんで? 別に、それぞれの事情というものがあるなら、他人がどうこう言うことなくない?」
けいちゃんはくしゃっと泣きそうな顔をした。初めて見る彼女の表情に私はどぎまぎしながら、謝った。
「え、わ! ごめん! 勝手にけいちゃん家の家族について偉そうなこと言って。干渉されるの嫌だよね」
「ううん、ありがとう」
何故、けいちゃんはお礼を言ったのだ。はてなマークが頭を占める。
「行こ」
私の手を引いて美術館の中へ誘うけいちゃんはもういつもの彼女であった。
「この子供は凄く幸せそうだけれど、この子供は口を強く結んでいるね。何を考えているんだろう」
「多分、持っている花の花びらが散ってしまったから」
「怒っているの?」
「違うと思う」
いわさきちひろが描く子供の絵は感情豊かで、逆に表情を読み取るのが難しい。私の感受性の問題だろうけれども、けいちゃんはいつもその絵を見つめているからであろう。その絵の中の子供をすごく分かっている気がした。
「本当に好きだね」
「私が一番好きなものを見せてあげる」
そう言われて、私は興味津々で彼女の後についていった。場所は館内併設のカフェであった。
持ってきたのは、赤いソースがかかった、ピンク色の豆腐だった。
「違うよ。ババロアだよ」
なんでも、安曇野の美術館でも東京の美術館でもこれが有名らしい。いわさきちひろが愛した味。私も気になって注文しに行った。
「美味しい。ババロア初めて食べたけど、なんか思ってたのと違った」
「豆腐じゃないでしょ?」
「うん」
私は夢中になってババロアを頬張った。食に興味のない私にここまでの食欲を与えるとは。恐るべし、ババロア。
「あら、またババロア食べているの」
「けいちゃんのお母さん」
「あら、いやだ。私の名前は
友達のお母さんをあだ名で呼ぶのは気が引けたが、本人がそれでいいと言うなら、それに合わせるだけだ。
「びーちゃんは、何の仕事をなさっているのですか? 見たところ、美術関係に思えますけど」
私の言葉にけいちゃんのお母さんこと、びーちゃんはびっくりした顔をした。
「あら、なんで分かったの?」
「絵を見ているときの手が美術に通ずる人の手つきだったので」
びーちゃんとけいちゃんが顔を合わせている。
「あら~、やっぱりこの子、絵の天才かも」
「しーちゃんって美術のことになると起きるんだね、頭が」
けいちゃんのは完全に悪口だったので、私だってそれくらいわかりますという態度にするために腕を組んでのけ反った。
「そろそろ写生大会しない?」
けいちゃんがこちらを窺ってくる。糖分も満たされたし、準備万端である。
「よし、やろう!」
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