第8話 部室にて

 Gペンに慣れたけいちゃんの描く速さは異常と言えた。

 けいちゃんがキャラクターを描いた後に私が背景を描くのだが、追い付かない。背景が細かいのは当然として、普通人物の構図に四苦八苦するはずである。しかし、けいちゃんはささっと下書きをすると、Gペンでモリモリ描いていく。画面上に何人いても、だ。

 彼女の人物画は入部試験のときより、更に漫画のためにデフォルメされた。活き活きとした様は変わらず、むしろ強調されたように思える。

 一方の私は定規片手にミリ単位のパースの崩れも許さずに製図ペンで背景を描きこんでいた。

「今日もやってるかね」

 生徒会を抜け出してきた部長が私たちの様子を見に来た。

 集中しているのか、けいちゃんは気が付かない。

「けーいーこっ!」

 部長が目の前でべろべろばーをしても気付かない。完全にゾーンに入っていた。

「しーちゃん、恵子が全然構ってくれないよー」

「こっちだって締切が迫っているんですよ。というか、部長は漫画描かなくていいんですか?」

「描いているわよ、家で」

 部長もデジタル派だったか。

 もしかして、今の時代、アナログで描いている方が珍しいんじゃ。

「いやいや。プロでもまだアナログでやってる人たくさんいるよ」

「心の中を覗かないでください」

 ケラケラと笑う部長は私をからかうのを楽しんでいる。私はむくれて、フンと顔を逸らした。

「しーちゃん、機嫌直して。お願い」

 そんなに綺麗な顔をして両手を擦り合わせてお願いされたら、許すしかなくなるじゃないか。

「もういいです」

「やったー! 愛してるー、我が初恋よ!」

「やめてください、その話を蒸し返すのは!」

 ギャーギャー言っている間にもけいちゃんは手を進めていた……と思ったら、完全にぴたりと停止している。

 部長と目を合わせた後、けいちゃんの方を見ると、主人公とヒロインの告白のシーンで止まっている。

「告白のときって、ただ顔が赤くなるだけじゃないですよね?」

「うん? まあ、そうね。いや、そうでもないかも。とある人物は無表情で私に『綺麗だ』『好き』と告白をしてきたわ」

「それって私のことですよね?」

 部長の初恋エピソードいじりが続き、私がツッコむなか、けいちゃんは難しい顔をして手を顎に持って行った。

「しーちゃん、試しに部長に告白してみてくれない?」

「え、けいちゃんまで私に無茶ぶりするの?」

「あら、面白いじゃない」

 面白がっている時点で告白の雰囲気も何もないだろう。しかし、けいちゃんの頼みだ。

 私は思い切って手を差し出した。

「好きです。付き合ってください」

 部長は私の手をパンと叩いた。

「そんな無表情な告白がありますか!」

 絶対参考になってないだろう。

 けいちゃんが設定した主人公は熱血で猪突猛進タイプだ。ヒロインも頭に血がのぼりやすいタイプのキャラクターである。そんな2人の告白タイムなのだから、当然熱気が凄いであろうことは想像できる。だが、その表情が分からないらしい。

「あ、そうだ。アイヴィが付き合いたてのときに話したよね? そのときの表情覚えてる?」

 こくりと頷く彼女。

「それだよ、それ」

 訝しがる彼女。

「本当だって。恋する乙女は皆あんな表情するんだって。ねえ、部長?」

「それだとヒロインは解決するけど、男の主人公の方は表情分からなくない?」

 味方にはなってくれなかった部長。

 皆でうーんと悩んだ。

「これは男子に告白するしかないわね」

「どうやって?」

 私は嫌な予感がして、逃げようとした。しかし、襟を掴まれてあえなく撃沈に終わった。

「パソコン部へ行ってちょうだい」

「何するんですか?」

「『資料探しです』と言えば分かってもらえるわ」

 けいちゃんも一緒に行こうとしたら、止められた。

「え、でも、けいちゃんがその表情を描くんじゃ」

「しーちゃんが資料を持って来ればいいのよ。それで何とかなるから」

「はあ」

 曖昧な返事をして、パソコン室に向かう。パソコン部は今日も部活をしているのだろうか。それが問題だ。

 それにしても先ほどの部長の態度は何だったんだろう。冷たい印象を受けた。

 長い廊下を進み、右に折れると、パソコン室がある。ちなみに漫研の部室があるのも、パソコン室があるのも旧校舎だ。段々と暗くなってくる空が旧校舎を闇へと誘う。いつも暗くても、けいちゃんと一緒だったから耐えられた。今は独りぼっちだ。

 資料やら何やらを早く持って帰らねば。


「失礼します……」

 パソコン室は暗く、画面の光で人がいることがかろうじて分かる。

 その中から部長のような人に声をかける。判断基準は完全に見た目だった。

「あのー、漫研なんですけど、資料が欲しくて……」

「どんな?」

 フンスフンスと鼻息が荒いその人は当たりだったようだ。漫研の名だけで理解してくれた。

「男性の告白シーンの表情を探しておりまして」

 その言葉を発した途端、私の周りに人が群がった。

「それなら、このゲームがおススメよ!」

「違う! こっちの方が攻めも受けもどっちの表情が見られるからこっちよ!」

「手っ取り早く資料が欲しいなら、このゲームのセーブ使っていいから」

 皆一様にゲームを勧めてくる。そうか、資料ってゲームのことだったのか。

「ふふ、漫研のみに許されているのは漫画だけど、パソコン部のみに許されているのはゲームよ!」

 フン! と荒々しい鼻息を吐いて得意げである。

「……で、バスの時間までに資料が欲しいのですが」

「だったら、『世界最速を目指せ! 恋愛RPG~戦闘は告白の後で~』がいいんじゃないかしら?」

「資料があるならそれでいいです」

 私はげっそりしながら、パソコンの前に座った。

 ゲームなど産まれてこの方やったことがない。チュートリアルという言葉もパソコン部の皆さんに教えてもらうまで知らなかった。

 私の後ろにはぐるりとパソコン部の皆さんが集まって半円を描いている。

「では、始めます」

 クリックをし、不慣れなパソコンで不慣れなマウス操作をする。

 しばらくして、分岐が出てきた。後ろが上だ下だとうるさいが、私の直感を信じた。

 一時間後。

「駄目だ。無理……」

「資料が欲しいんでしょ? 自分の手で掴み取りなさいな」

 バシンと私の背中を容赦なく叩く。

「うー……じゃあ、もう一回行きます」

 さらに一時間後。

 バッドエンドを迎えた私にパソコン部の皆さんがヒソヒソと小声で話している。

「バッドエンド出す方が難しいんじゃなかったっけ?」

「これレアってこと?」

「というか速い人だと、一時間なら余裕でクリアできるボリュームだよな?」

 こんなに惨めな気持ちになったのは初めてだ。

「ええい! 何が資料集めか!」

 私はパソコン部の部長にお礼を言ってから、パソコン室を出た。

 空はもう暗くなり、バスの時間まであと少しである。

「急がなくちゃ……っと、部室にカバン置きっぱなしだ」

 闇に包まれた廊下をそろりそろりと進んだ。かろうじて、満月の夜だったので、多少の光はあった。

 部室に戻ると、真っ暗である。

(もう2人とも帰っちゃったのかな? どうせ、けいちゃんにはバスだから行き着く先は一緒か)

 そう思ってそろりと部室のドアを開けた。

「⁉」

 私は驚きの声を出さないように慌てて口を両手でしっかりと封じる。目の前で何が起こっているのか、理解ができた途端、冷や汗と動悸が止まらなくなった。

 満月の光の下、暗い部室の中では、部長とけいちゃんがキスをしていた。

 いや、この角度だとけいちゃんが背中を向けているので、実際にはキスはせず、顔を近づけているだけかもしれない。

 それにしても、部長とけいちゃんがそういう関係に? いや、でも、今日の部長は厄介払いをしたいようであった。その厄介者はこうしてのこのこと戻ってきたわけだけれども。

 部長が私に気が付いた。ニヤリと笑う部長。これは、私への当てつけか? 何の? 初恋の? 私が本当の初恋を忘れて、けいちゃんのことを初恋だと思っていた罰か。

 私は息を殺しながらその場から転げるように逃げた。


 バスの発車時刻までまだある。バスの中で待っていようとしたら、カバンを忘れたことに気が付いた。

 どうしよう。

「しーちゃん」

 背後からいきなり声をかけられて、肩をビクリと震わせた。

「カバン置いていったよ?」

 けいちゃんが無邪気にカバンを差し出してくる。

「あ、ありがとう」

 私は目を逸らしながら、彼女から離れるようにスススとスライドして、そのままバスに乗り込んだ。

「しーちゃん!」

 けいちゃんが何か叫んでいる。やめて。今はあなたの声を聞きたくない。

 私は耳を塞いだ。目もぎゅっと瞑った。

 これでけいちゃんのことを見なくて済む。

 バスの扉が閉まり、発車する。

 ふうと安心して、椅子にもたれかかり、全ての五感を開放した。

「しーちゃん」

 おかしい。何故、けいちゃんの声が聞こえるのだ。幻聴か。彼女は別のバスである。

「しーちゃん、バス間違えてるよ」

「……え?」

 私は間違って、けいちゃんの家の方面のバスに乗ってしまったのだった。

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