童話×百合シリーズ──『人魚姫』1

白奈みやこ

第1話


 会話の中に、静寂が生まれる瞬間がある。

「あ、あの……っ、こ、ここに、小道具を足したくって……」

 絞り出すように出した声は、メイク担当の先輩が始めた話題でかき消えてしまった。というか、そうでなくてもきっと、隣の人にすら聞こえなかっただろう。

  スカートのひだをぎゅっと握って俯き、先輩のお話にしっかり集中しようとする。けれど、せいぜい日焼け止めとリップクリームしか塗らないわたしには、よくわからない。


「うん、いい案だと思う。じゃあそれも候補にいれておこうか」

 朗らかな言葉に、顔を上げる。にこやかに笑顔を振りまいた……朝陽先輩は、それからこっちを見た。

 染めていないのに明るい、ショートの癖っ毛がその耳元で少し揺れる。細い首に、筋が浮き出た。形の綺麗なアーモンドアイが、わたしに向かって細められる。


「それから次は……ひなちゃん。このシーンに、何か小道具を足したいのかな?」

「あっ……はい、ありがとうございます」

 まごつきながらも、なんとか先輩にお礼を伝える。

 朝陽先輩は普段から、声の小さなわたしの話も聞いてくれる。けれどさすがに今日は、届かないと思っていた。

 先輩に促され、わたしは辿々しくもなんとか、足したい小道具と予算のことを伝えられた。


    ◽︎ ◽︎ ◽︎


 ミーティングが終わり、休憩時間に入る。いつもすみっこに近い椅子に座るわたしの右隣には、必ず朝陽先輩がいる。そこが、先輩の特等席だそうだ。そしてその反対隣には、いつも同じ人が座る。

「ねぇ朝陽、さっきの続きだけど……」

 紗織先輩。朝陽先輩と一番近く、親友という立場にある人。王子様呼びされる朝陽先輩と並んで、お姫様って呼ばれている、嫉妬も湧かないくらいあまりに綺麗な人。


 二人は何気ない会話をしながら、時々わたしにも話を振ってくれる。そこに静寂が生まれた時、わたしは先輩に問いかけてしまう。


「どうして、先輩は。いつも、わたしの言葉に気がついてくれるんですか?」

 さりげなく聞いたつもりだった。けれど口にした言葉は、いつも重たく暗く、沈んで聞こえる。途中で言葉をのもうとしたけれど、二人に見つめられてうまくいかなかった。


「うーん、そうだなぁ」

 朝陽先輩は、芝居口調でうなりながら、すくっと立ち上がるとわたしの真横に並んだ。

「それはねぇ……お前の可愛い声を聞くためさぁーっ!」

「ひゃあっ!?」

 先輩の端正な顔が、ぐっと近くまで寄ってきていた。思わず、情けない声をあげて背もたれに頭をぶつけてしまう。


「やめなさい」

 凛とした声が、鈴のように鳴った。紗織先輩が、満月のように円な、月光のように冷めた目でこちらを眺めている。

「ひなちゃんがびっくりしているじゃない」

「あー、ごめんね? 可愛くってつい」

 その言葉に、胸の中で熱い星が弾ける。

 先輩が何気なく口にする可愛い、でわたしはいつも狂わされてしまう。

「い、いえ……ごめんなさい、びっくりしちゃって……」

 口の中でもごもごと呟けば、さっと頭を撫でられた。何も考えられなくなるわたしをおいて、先輩たちは会話を続けている。


「あーもう、わかったよ。でも、そんなに怒らなくても」

「怒るわよ。それに、質問からずれていたし。赤ずきんを模したつもりでしょうけど……やり直しね」

 紗織先輩が、淡々と返した。入部当時からずっと脚本を担当しているから、不自然な会話は聞き流したくない、と前に聞いたことがある。

「うちの姫は厳しいなぁ。こんな茶番くらい許してよ」

 胸の中をじくり、と冷たい氷が刺した。

 朝陽先輩はよく、可愛いという言葉を口にする。けれど、姫と呼ぶのはたった一人……紗織先輩だけだった。



    ◽︎ ◽︎ ◽︎



 わたしは、小道具で使うナイフを前に試行錯誤していた。稽古用のは100均のものでいいけれど、本番用のナイフと、その予備はまだ完成していない。


 今回の劇は、『人魚姫』。

 ナイフは、ラストシーンに大切な小道具だ。どれひとつとして手は抜けないけれど、わたしの担当する中では一番、気が張りつめてしまう。


 わたしに与えられた分担は、海にいた頃の人魚姫の持ち物と、最後に手にするこのナイフだった。

 昨日のミーティングで話したのは、人魚姫の持ち物を足すこと。元々は、人間の世界のものだけにするっていうお話しだった。けれど、どうしてもそこに、小道具を増やしたかった。だから先に小道具の先輩や舞台監督に相談して、予算を抑えることを条件に許可をもらってミーティングで発言をした。

 こんなこと、一度もしたことがない。けれど、今回の舞台は特別だったから。



「ひなちゃん、どんな感じ?」

 後ろから突然声をかけられ、わたしは肩を跳ねさせた。くすくすと笑う人を、恨めしい気持ちを隠しながら振り返る。

 黒髪の猫っ毛が、わたしの袖をくすぐった。舞台監督の、絢先輩だ。

「完成したら、見てください。1回目の締め切りにはちゃんと間に合いますから」

「そっか、忙しそうだねぇ」

「はい、忙しいんです。とっても」

 そっけなく聞こえるように返して、わたしはナイフを回してみる。絢先輩のことは、嫌いじゃない。けれど、この人と話しているとなぜだか、居心地が悪い気がしてしまう。


 いきなり、わたしに並んで絢先輩は床に腰を下ろした。

「な、なんですか……、」

「ねぇ、ひなちゃん」

 絢先輩が、わたしを覗き込む。月のない夜の空のような、真っ黒でどこまでも深い目。

 そういえば、この人にも呼び名があった。


「やっぱり主役、断るつもり?」

 問いかけでありながら、有無を言わさない雰囲気があった。人間になりたいのなら声をよこせ、というような。人魚姫もきっと、この圧に逆らえずに無茶な取り引きに応じた。

 ――魔女。それは何も、この人の舞台を作る才能を指すだけのものじゃない。

「はい。というか、何度もそう伝えています」

 けれどわたしは、この人の横暴に答えるつもりなんてない。

 絢先輩は魔女、と呼ばれて怖がられている。なのにこの人にだけはいつも、自分でも不思議なくらいはっきりと……むしろ生意気に受け答えをしてしまう。

「いやぁ〜、困ったなぁ……人魚姫はひなちゃんしかありえないからさぁ」

「どうしてですか。なお先輩も、千代ちゃんも……」

「役者が足りないってことじゃないよ。わたしが求める『人魚姫』の舞台にふさわしいのが、ひなちゃんなんだ」

 手首を、掴まれた。手の熱がわたしの皮膚の下にまで侵食してくる。


「先輩、離してください」

 絢先輩の顔が、ぐっと覗き込んできた。わたしは顔を逸らす。

「そんなに舞台に出るのが嫌? でも前にわき役で出たことあったよね。主役が嫌? それとも……役柄が嫌なのかな?」

 淡々と、早口で重ねられていく言葉に、追い詰められていく。

 ――この人は、本当の魔女。

「わたし、は……」

 答えようとした、けれど声が掠れてうまく喋られない。

「王子様に、……朝陽に恋をして、けれど最後には諦めて命を落とす。それが、自分と重なって嫌?」

 朝陽先輩の低めの声とは種類が違う、大人びた低さの声が。……聞きたくないのに、聴覚をいっぱいにしてくる。

 絢先輩の手の力が、強くなった。

「っ、痛い……、」

 声を漏らせば絢先輩は熱いものにでも触れたかのように、手を引く。

「あっ、……ごめん、ひなちゃん」

 心配そうに、瞳が揺れる。わたしは、視線を逸らす。

 わたしが、日々の稽古もちゃんと参加できないくらい体力がないことは、部の全員が知っている。


「先輩。わたし……主役をできるだけの体力が、ないだけですから」

「わかった。この話はまた今度にしよう。……ごめんね」

 それが、どれに対するごめんね、だったのかはわからない。先輩は立ち上がると、わたしに小さく手を振った。頭をぺこりと下げると、先輩はなんにもなかったかのように笑って、わたしに背中を向ける。

 先輩はもともと細身だけど、その背中がいつもより細く見えた。

 謝らなければいけないのは、わたしの方だった。


 それでも、わたしは……朝陽先輩の、人魚姫にはなりたくない。

 だって、人魚姫は失恋する物語だから。




――続きます。

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