猫を連れて異世界転生! 勇者の力を得るはずが…まさか、覚醒したのは一緒に転生した飼い猫!?
漆戸いひ
猫を連れて異世界に転生した
私、拙者、在下、当方――どうやら異世界に転生してしまったようだ。
なぜそう確信しているかと言えば、周囲が現代日本とは明らかに異なる石造建築群(どちらかと言えば欧州騎士物語に出てきそうな様式)に囲まれているという事実に加え、10分前に筋肉ムキムキの男に因縁をつけられ、その掌が頭部を捉えそうになった瞬間、男が吹き飛ばされたという出来事があるからだ。
何らかの魔法か超能力を手に入れたかと思った―――が、その直後、天下無敵の気分で男に殴りかかった全力パンチが軽々と受け止められたことで、その幻想は打ち砕かれた。
という訳で、顔面直撃を再び喰らわないため、現在私はこの町の路地裏を全力疾走中である。
幸いな点が三つ。まず、建物間の隙間が狭く迷路状の路地が多いため、巨大なジグソーパズルのピースの隙間を逃げ回っているような状況だ。
二つ目、あの男は筋肉隆々すぎて狭い路地では動きが鈍く、かなりの距離を稼げていること。
三つ目―――飼い猫が無事なことだ。
私、拙者、在下、当方は、ペットの猫を連れたまま異世界にしたらしい。
青黒い短毛種で、最大の特徴は脚が極端に短いこと。普通の猫の半分以下で、特別に品種改良されたのかもしれない。
とにかく、「グレイ」は今も私の腕の中で平然としている。疾走中の揺れなど眼中にないようで、現状の危機を全く理解していないのか、のんびりと大口を開けて欠伸をし、鋭い牙を覗かせた。
「はぁ~」
今は彼女の様子を気にする余裕などない。逃走に全神経を集中している。追跡戦は既に15分続いており、ふくらはぎの筋肉が悲鳴を上げ、喉が痛み、腕がだるく、もう呼吸すらままならない。
「はぁ……はぁ……一体……どうなってるんだ…はぁ……」
「はぁ……ちょ、ちょっと休憩……」
男が近くにいないことを確認し、壁に凭れながら息を整える。グレイも抱かれ続けるのに飽きたらしく、腕から飛び降りると、短い四肢を動かして石畳の上を往復し始めた。
「はぁ―――はぁ―――」
正直、全力疾走の後なら血液が足に集中しているはずなのに、頭が妙に冴え渡っている。
異世界転生の理由など――今更考えたところで現状打破に何の役立たない問題はひとまず脇に置いて。
さっき路地裏で目覚め、グレイを連れて出てきた途端、あの男に狙われた時のことを思い返す。あの視線は明らかに的を絞ったもので、何か特別な目的があって私を狙っているように感じた。
見るからに異邦人だから因縁をつけやすいと思われたのか?
確かに私の着ている長袖シャツとワイドパンツは、この町の服装と相容れない。だが、
―――それだけの理由で?
ここまで執拗に追いかけるなら、次のターゲットを探すか、町の宿や酒場の前で待ち伏せした方が効率的だろう。
もしかすると、私に何か特別な要素が?
この異世界にしたのは確かに特別な。
いや、現地の人から見れば、私こそが異世界から来た者だろう。
男はこのことを知っていて、わざわざ他の人より先に私を追い詰めに来たのか?
「にゃ~」
だが、私には何の特殊能力もない。
先程男が吹き飛ばされた理由すら分からない。
「にゃ~」
いずれにせよ、町を脱出し、服を着替え、元の世界へ戻る方法を探すべきだ。
「にゃ~にゃ~」
「静かにしろグレイ! 考え事してるんだ!」
ふと気付く。グレイは家では滅多に鳴かない。ただし―――
何か助けを求めているとき以外は。
!
振り向くと、いつの間わり現れた男がグレイの首根っこを掴み、片手でぶら下げていた。短い四肢を必死に動かすが、全く届かない。
「クソ野郎! グレイを放せ―――!!!」
男は嫌味な笑みを浮かべた。
「困るねぇ。お前ら異世界人は『勇者』を復活させる最高の材料だ。あのケチな国王様がお前らの首に法外な賞金かけてんだよ」
「グレイを放せ! 俺がついていくから!」
「へへっ、お前は当然として」男は歯を見せて笑い、悪意に満ちた目でグレイを見下ろす。「こいつもな」
グレイは牙を剥き出し、灰黒い毛を逆立てて威嚇する。
「ハッ! 悍ましい! 勇者の力はなくとも、異世界産なら問題ねぇ。まとめて貰うぜ!」
実際、法外な賞金と言われた時点で話の流れは読めていた。最後まで聞いていたのは、逆転の機会を伺っていたからだ。
だが格闘の世界では、体重が全てを決する。
筋肉隆々で体重が私の倍はある男との勝負は、最初から決まっていた。
長距離走の直後、一旦止まってから再び走り出すのは至難の業。実際、立って話を聞いている間も足は震え続け、逃走など不可能だ。
ならば選択肢は一つしかない。
男が最後の言葉を吐き終わる瞬間、腰を落とし、右足で地面を蹴りつけ、体ごと横方向から体当たりを仕掛けた。
倒せるとは思っていない。一瞬の隙さえ作れれば―――
「グレイ! 逃げろ―――!!!」
その隙に男の手を引き剥がし、グレイを解放することに成功した。
少なくとも、彼女だけでも逃がさねば。
猫は私ほど値が張らないと言っていた。少しでも時間を稼げば、グレイは逃げられる!
「行け―――!!!」
男の手から離れたグレイは空中で身を翻し、完璧な着地を決めた。
そして、
―――ゆっくりと振り返り、優雅とも言える仕草で首を傾げ、既に私を押さえ込んだ男を見上げて、短く鳴いた。
「にゃ~」
彼女に早く逃げろと叫ぶ私の声は、どこかで聞いたことのある大きな衝撃音にかき消された。
どうやら、勇者の力を持っていたのは私ではなく、連れの猫の方だったようだ。
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