忘れられた海の底で
karam(からん)
忘れられた海の底で
光の差し込む海の底では、多くの魚が緩やかに泳いでいる。澄んでいる海の中は、時が止まったように静かだった。小魚たちが海底に沈む、崩れた柱の藻をつつく。そこに大きな影が差すと、慌てたように彼らは散っていった。
影の正体は、一人の人魚である。彼女は物珍しそうに辺りを見回しながら、ふらふらと泳いでいく。時折、海底に落ちた食器やら何かの破片やらを拾い上げながら、奥にゆっくりと進んでいった。
ここは、海中都市だ。海中都市と言っても、もはやそこに住まうものは誰もいない。数千年も前に滅び、時の流れとともに海中に沈んだ都市。建物があった痕跡は至る所にあるものの、その多くが柱だけの残骸になっている。
そんな中で唯一、原形が残っているのは、都市の中心に存在していた王城だ。原形が残っているといっても天井はなく、壁も崩れて無くなっている場所が目立つ。しかし無残にも残骸となった周りの建物と比べると、海中にそびえる雄大な王城は本来の姿を失ってもなお、有無を言わせぬような異質感を放っていた。
人魚がいるのは、その王城である。それも玉座のある、かつてはこの場所で多くの事柄が執り行われていたであろう広間にいた。
至る所の壁や柱に彫られた細かな装飾に、ステンドグラスがあったと思われる大きな窓。一番奥には、原形を留めないほどに崩れた玉座があった。
人魚は広間の中央まで泳ぐと何を思ったか、おもむろに舞い始めた。
ここがまだ王城として機能していた頃、多くの人間がこの場所で舞踊をしていたように。まるで、人間の少女が舞っているかのように。人魚ではない、人間の踊りを彼女は踊った。誰もいない場所で、人魚は知っているかのように舞い続ける。
いつまで舞い続けたか。ふと、彼女は踊るのを止めた。
その視線は、崩れた王座にあった。彼女は、ゆったりと玉座に近づいていく。座るべき王を失った玉座は、ただの椅子だ。しかし今でも王を待つように、海中へと注がれる太陽の光は、その玉座を照らしていた。
人魚は王座には目もくれず、その後ろへ回り込むと、きょろきょろと辺りを見渡し始めた。何かを探しているようである。
しばらくして、彼女は目を見開く。慌てたように降下し、何かを手に取った。それは、箱であった。装飾のついた、錆びついてボロボロになったただの箱。
人魚は、箱をこじ開ける。元々は鍵が掛けてあったようだが、壊れていたようで難なく開けることができた。
箱の中身は、いくつもの煌びやかな宝石やアクセサリーが入っていた。人魚はその中から迷いなく、一つのペンダントを取り出す。海中に注がれる日光によって、ペンダントに埋められた大きな赤い宝石が輝いた。人魚は愛おしそうにペンダントを撫で、自身の首にかけた。彼女は、悲しそうに笑った。泣いているようでもあった。
他の物は興味がないというように、人魚は箱を投げ捨てる。その拍子に、中に入っていた宝石などが海中に散乱して落ちていく。
その中に、一つの冠があった。見るからに、王のものではない。赤い宝石で装飾されているが、王の冠にしてはあまりにも質素すぎる。この冠の持ち主は、都市が滅んだ時代に生きていた、最後の王族の王子であろう。敵国に攻め込まれ、崩れかけた城の中で最後のときを迎えた悲愴な王子。彼には最愛の人がいたというが、彼女はどうなったのだろうか。
海中に漂い、落ちていく王子の冠は定められたかのように、崩れた王座の上に落ちる。人魚はもういない。とうに、泳ぎ去った後である。誰もいなくなり、再び王城に静寂が戻った。忘れられた王城の中、持ち主のいない冠は、王座に燦然と輝いていた。
忘れられた海の底で karam(からん) @karam920
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