⑩
事件は自殺と自殺未遂、加えて未遂者による自殺幇助という形で処理された。それまでの約一ヶ月間遺体は警察に保管されていたらしい。遺族に引き取られ、そのまま火葬場に運ばれる予定だ。事情が事情だけに葬儀や通夜は行わないのだという。海老名はこれらの情報を火葬場へ向かう車中で教えられた。例によって乗り古された軽トラックに乗っている。助手席の海老名は黒のスーツを、運転席の明空は法衣を着ていた。その色使いは今までになく派手だ。明るい緑色をした着物の上に金色の袈裟を掛けている。足袋を履いた足は長い裾を捌きつつ器用にペダルを踏み変えた。車窓の眺めは田園地帯を過ぎ、パチンコ屋の並ぶ四車線の道路へ出る。曲がる事なく道なりに直進した。
「火葬炉に送る前に経をあげさせてくれと俺から頼んだんだ」
明空は言う。相も変わらず嫌気が差す程正直な声だ。言葉は続く。
「海老名。そっちは寺の檀家で手伝いという事になっている。着いたら俺の指示通りに動いてくれたらいい」
海老名は訳もわからないままぎょっとする。時間をかけ、苗字を呼び捨てられたからだと気づいた。勝手な配役共々不服極まる。しかし「日当が出るぞ」という一言で黙らざるをえなくなった。そうしている間に窓外の眺めは寂れ、ついには緑しか写らなくなる。火葬場は市街地を外れた場所にあるようだ。海老名はせめてもの意趣返しにと意地の悪い声を出す。
「今回もタダ働きか?商売道具が残らず燃えたってのに気楽なもんだ。馬鹿なんじゃねぇのか」
「そうだな」と即答が返される。涼しい声だ。明空はそのまま言葉を続けた。
「確かに俺は馬鹿や阿呆なんだろう。でもそれで良いと思ってる。本堂が燃えた事もそうだ。何にも持たなくたってへらへら笑っていられる阿呆でいられたら、それが理想だ」
「そんな奴は息してるだけの死人と同じだぜ。それか狂人だ」
海老名は言葉を吐き捨てる。後は助手席の窓を開け煙草をふかした。それきり会話がなくなる。車は右折後、緩やかなカーブに沿って走る。一本道の先は開けた駐車場になっていた。黒い一枚板のような建築物が奥に聳えている。まるでそれ自体が巨大な墓石に見えた。軽トラックは建物の入り口近くへ停まる。旅館などによくある縦に長い屋根が、停まった場所近くまで伸びている。明空が先に車を降りる。屋根の下に入った所で奥の自動扉が開いた。黒いスーツ姿の男が二人駆け寄って来る。一人は知らない男だ。もう一人は陽子の夫である木立だった。海老名と似た髪型を、これも同じく後頭部で結んでいる。二名は立ち止まった明空へしきりに頭を下げた。その様を眺めながら海老名は車を降りる。彼が近づく間に会話は済んだらしい。最後に深い一礼をし、木立ともう一人は建物の中へ戻って行く。時間差で隣に立つ海老名は「何だって?」と尋ねた。
「後で謝礼の話をしたいと言われたから断ったんだ」
明空は答える。経を読みあげるだけで金が入るなどというシステムは、海老名からすれば喉から手が出る程羨ましい。それに一切の執着を見せず、彼は視線で前方を示した。
「もう準備は出来ているそうだ。段取りはさっき伝えた通りで頼む」
墓石の中は高い吹き抜けになっている。寒々しくがらんどうな空間だ。それでいて息苦しくなるような圧迫感を覚える。中央には台車に乗った棺桶と簡易的な祭壇がある。祭壇に写真や花はない。その代わり、棺桶は白地に花の絵が描かれている。いい値段がするだろうな。海老名はそう考えた。祭壇の後ろを覗けば仏壇の扉じみたものが全部で五つ並んでいる。あそこが火葬炉の入り口だろう。見ていて気持ちの良いものではなかった。視界の端で緑と金色が動く。明空が祭壇の前に立った。目を閉じ、顔を僅かに俯向かせる。両手に掛ける数珠を擦り合わせた。口の中で小さく何かを言う。海老名は祭壇の横から様子を見ていた。読経の声は次第に大きくなる。石造りの壁や天井に反響し、四方八方から大勢の声が降るようだ。海老名は酷く耳障りに思う。そのうえ無駄に長々と続けられるものだからたまったものではない。欠伸を堪えたのは一度や二度できかなかった。その度に請求する日当の金額を増やして堪える。
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