「先輩!明空(はるたか)センパーイ!」

 声は実際に返ってきた。更に一拍を置いて別人の声が届く。太い男の声だった。

「よう、大輔か?」

 声の主は言う。顔を顰める海老名は徐々に近づく黒い影を見た。影の正体はすぐに判明する。何のことはない。坊主が制服を着ているだけだ。法衣姿の男は山から吹き下ろす風に袂を膨らませながら歩く。彼はやがて海老名達の前に立った。海老名は相手の頭を見下ろす。彼より頭半分低い位置にあるそこには、当然だが毛の一本もない。つるりとした頭が上向き海老名を見た。不快な顔だ。海老名は反射的な感想を抱く。話に聞いていたように、住職としてはまだ若い。自分と同じ位の年頃だろう。濃く凛々しい眉。大きく力強い目。鼻は山襞のように堂々と坐っている。頑丈な顎から伸びる首は太く、体の厚みも立派なものだった。男としての自信に満ち溢れた男。海老名のような人種が一番嫌うタイプだ。一秒に満たない間に自分の中で最底辺の評価をつける。感情には直ぐ様蓋をした。運転手から取り次がれると、強いて表情筋を弛める。

「初めまして。私、海老名博実と申します」

 まずはこう言って頭を下げた。長すぎるほど時間をかけてから頭を上げる。

「この度はこちらのご住職様にご相談がございまして。…その、」

 ここでわかりやすく言葉を濁し、隣へ視線を落とした。すると誰よりも早く視線の先から声があがる。

「ああ、僕ですね」運転手は言う。

「すみません、居座っちゃって。帰りの手段がないようでしたら下で待っていますが、どうしますか?」

 首を突っ込まれるのは厄介だが、帰りの足は惜しい。海老名は少しの間逡巡する。その間に別の声が返事をした。

「話が終わったら俺が送って行こう。時間を気にしては落ち着いて相談も出来ないだろうし」

 若い住職は言う。申し出には親切ぶったところがなく、実にあっさりとしていた。彼は海老名へ向けていた視線を斜め下へ落とす。

「それにだ。大輔お前、また一件に長い時間をかけてるとサボりを疑われるぞ。いつだったか、受付のお姉さんがカンカンになってただろう」

「そうだった。俺、前科二犯だったんです」

 何かを想像したらしい運転手は顔色を悪くする。そこからの動きは慌ただしく、斜面を駆け下り車へ戻るや、かかった料金をメモし戻って来た。精算が完了すると挨拶もおざなりに車へ乗り込む。二人は爆音をあげて遠ざかる車体を目で追った。

「あいつ、捕まらなきゃいいけどなあ」

 住職がぼやく。生来のものなのか、これものんびりした口調だった。音が途絶える頃になって彼は体の向きを変える。

「お待たせして申し訳ない。話は中で聞きますから、こちらへどうぞ」

 袂から伸びる手は墓石の間を通る一本道の先を指した。住職がやって来た方向だ。

道の奥には建物が見える。まるでサーカスのテントだと海老名は思った。金色に輝く、先の尖った球体が頂点にある。そこから三角錐状に屋根が下りた。側面は五枚の白い壁に囲われている。自分が言うのもなんだが怪しい宗教団体にしか見えない。「あれがご本堂ですか?」と尋ねれば、隣を歩く住職が苦笑いを浮かべる。

「ええ、そうです。恥ずかしいですが負の遺産みたいなもんで。先代の住職が元々あった本堂を壊して建て直したんです」

「はあ、わざわざですか」

「そう、わざわざです」

 住職は苦笑を深くする。

「実の父親を悪く言うのもなんですが、下品で派手好きな人間でした」

「え、ではその先代はもう…?」

「はい、亡くなりました。新しい本堂が完成する直前に山中で事故に遭いまして。皮肉なことです」

「それは…大変ご愁傷さまです」

「ありがとうございます。しかし連絡を受けた時こそ驚きましたが、今は不思議と腑に落ちた感じなんです。念願叶ったりと浮かれたうえ、寄付を募った檀家さんへアピールをして見せようとしたんでしょう。何ともあの人らしいなと」

 いかにも悟ったふうな言い草だ。内心では、新築の本堂と住職の地位両方が転がり込んできた喜びを噛み締めているに違いない。海老名は鼻白む気分で心情の吐露を聞いた。しかし表面へはおくびにも出さない。ひたすら神妙な面持ちで相槌を打った。そうしている内に墓地を抜ける。話題の本堂が目の前に坐っている。間近で見ると一層趣味が悪く、馬鹿げているとすら感じる。流石の海老名も同情しかけるほどだ。巨大な引き戸を潜る。途端、眩い金色が海老名の目を焼いた。

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