第2部①


 K町という場所を知っているでしょうか。隣県Iとの境目に位置する小さな町です。町名の由来になっているK山は、世界でも有名な紅葉の名所だと聞きます。山の裾野から広がる田園地帯。その一角へうずくまるように町はあります。

 主人の地元であるこの町へ嫁いできたばかりの頃、町内を案内された私は驚きました。町の風景があんまりに整って可愛らしかったからです。家を出て、田んぼの間の道を抜けると、もう使われていない線路が現れます。錆びて草に覆われた線路を越えた先には石畳の敷かれた通りが伸びています。緩やかに曲がりながら続く道の間には石造りの小川が流れています。川の上には等間隔に丸太風の橋がかかり、もう少し歩くと三角屋根のついた東屋が見えてきます。隣には川を跨ぐ形で藤棚が建っていて、春になれば雪解けのきらきらした水面を映した藤の花が、まるで宝石のように輝く様子が思い浮かべられました。

「ここは元々城下町でさ。石畳や堀なんかはその名残りなんだよ」

 前を歩く主人が言います。私は風景から目を離してその背中を見ました。縦横に広い背中は少し猫背ぎみで、太くて短い首や毛の逆立った坊主頭な特徴も相まって、まるで熊の後ろ姿のように見えます。振り向く横顔は満面の笑みでした。それでいて、目尻に皺のあるつぶらな目は不安そうに私を窺っています。私は自分より十も歳の離れた結婚相手をぼんやりと見上げました。私も今年三十を迎えましたが、主人は来月の三月で四十歳になるといいます。髪の毛が丈夫で額も狭いからか、目尻の皺などに気づかなければそれほど年齢を感じさせません。むしろ、三十路をとっくに過ぎていると見られがちな私と並べば釣り合いがとれて見えるでしょう。

「ねぇ、大丈夫?やっぱり心配事があるんじゃないの?」

 沈黙に耐えかねた様子で主人が言葉を重ねました。投げかけられる問は交際期間から今に至るまで繰り返されたものです。その度に返す言葉も決まっていました。

「いいえ、何にもないわ」

 口を開くとほとんど自動音声のような調子で声が出ました。返答を聞く主人は複雑な表情を浮かべますが、これもまたいつものことなのです。一連のやり取りを済ませた私は歩いてきた道を振り返りました。

「ねぇ、さっきの線路は何?もう使われていないみたいだったけど」

「ああ、あれはね、昔炭鉱があった時代に使われていたんだよ。その頃は町もずいぶん栄えていて、飲み屋なんかもたくさんあったみたいでさ。今はほとんどが潰れちゃったけど」

 話題が移ったことで主人は表情を明るくします。続く言葉を聞きながら、私の意識はまたふらふらとよそへ飛んでいきました。二月末のこの日はよく晴れて暖かく、春めいた青空の奥に何より白い山の頂が見えます。私は眩しさに目を細めてそれを眺めました。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る