字が綺麗な御菩薩池くんは、綺麗な青春ラブコメを送っている
ZAP
第1話 ノートの字に驚かれた
高校には二種類の人種がいる。
教室コミュニティに順応できる人とそうでない人だ。陽キャと陰キャともいう。後者の代表的人間であろう僕は、前者の人々、つまりクラス中心で騒いでいる数人の女子をぼーっと自席から眺めていた。
「ヤバくね? この写真まじでエモくね?」
「うわホントだー。いいじゃんやるじゃんマジ写真家じゃん!」
……すごいなあ。
雑談を聞きながら僕は本気でそう思っていた。
なんであんなにも簡単に人と感動を分かち合えるのだろうか。
自分の言葉が否定されるかもって、喋る前に怖くなったりしないのだろうか。
「(きっと怖くないんだろうな)」
羨ましいとも思えない。
ただただ、感嘆するだけだ。
だって僕があんな風になれるはずがないんだから。
「御菩薩池(みぞろけ)何見てんだー?」
隣から僕を呼ぶ声がした。
スポーツ刈りの男子。僕の唯一の友達の田畑くんだ。
彼は僕が見ていたクラス中心の女子たちを見やると。
「お、Sランク女子じゃん。くくく、眼福だよなー」
田畑くんはにやにやと笑いながら言った。
「Sランク? なにそれ」
「知らねーのかよ。この前男子で女子人気投票してABCでランク付けしたんだよ。そんときダントツで人気だったのがあいつら。黒髪ロングに金髪に色々揃ってて、顔もスタイルも最高だもんな。あー、あのうちの一人とでも仲良くなりてえなー!」
「へー。そんな風に呼ばれてるんだ」
僕は感心してうなずいた。
確かに顔のかわいい子ばかりだ。
芸能人もああいう子たちみたいな感じなんだろう。
「なに、御菩薩池(みぞろけ)。まさかあいつら狙ってんの?」
「あはは。ありえないよ」
いや失礼な意味じゃなくて。
僕なんかと彼女たちではまったく釣り合わない。
名家のお姫様が下水のゾウリムシと付き合うようなものだ。
「だよなー。確かにお前には似合わねーわ、ぜんぜん」
田畑くんもわかっているようで、わははと冗談めかして笑った。
「でもさ。狙うのはないにしてもアレだ、あの中に好みの奴ぐらいはいるんだろ?」
「いないよ」
そもそも現実に存在する女の子にはそういう発想がわかないのだ。
「はあ? 嘘つけ、あんだけ可愛い連中見てそれかよ。お前ホントに男かよ」
「そんなこと言われても」
「性欲とかねーの? もしかしてホモなの?」
「いや性欲はあるよ。クラスメイトにそういうエロいこと考えられないだけで……」
僕はAVは見るしエロ漫画だって持ってるし自慰だってしてる。
ただ同年代の女子、それもクラスメイトはなんというか……違うんだ。ちょっと女の子だと思えない、というのは失礼すぎるけど。生物の教科書に出てくる『人間・女性』にしか見えないのだ。
でも、これは僕が全面的に悪い。
「僕はちょっと感覚がおかしいんだよ。実際の女の子が苦手なんだ」
僕はとある事情で12から14才のあいだ一切実物の女の子を見てこなかった。エロゲーやAVの女の子だけに興奮してた。そしたら画面の中の女の子じゃないとそもそも反応しないようになってしまったのだ。
画面の中にいてくれないと、女の子と認識できない。
いわゆる二次元コンプレクスに近いと思う。
「写真とか動画の女の子ならいいんだけどね……現実の子はちょっと」
「おー。アニメ美少女専門て感じ?」
「いや、そうでもないよ」
画面の中の女の子でさえあれば、アニメ絵でも女優でも興奮できる。
ただ、実際に動いて触れて話せてしまうとだめなのだ。
Hなことをする対象に思えない。
我ながらなんて特殊なやつだろうか。
「わはは、おもしれー! ホント変わってるよなー御菩薩池は」
愉快そうに笑いながら、ばんばんと背中を叩いてくる田畑くん。
ありがたい。
いじめられてもおかしくない性癖なのに。
彼は陽キャの側の人間だっていうのに、物好きにもこんな僕に付き合ってくれる。田畑くんがいなければ、たぶん僕は学校生活でひとりぼっちだっただろう。いくら感謝してもしきれないぐらいだ。
いつか何か恩返しできるといいけど、と思っていると。
キンコンカン、と予鈴がなった。
「お。次は化学じゃん。移動教室だぜ」
「うん」
田畑くんと一緒に僕は教室を出た。
そして廊下を歩いていく途中、筆箱を忘れたことに気付く。
「ちょっと取ってくるね」
そうして曲がり角を引き返した瞬間だった。
どんっ!
「わっ」
「きゃうっ!?」
曲がり角でぶつかる。ぺたん。相手がしりもちをついた。相手は女の子だった。金色のくるんと跳ねた長い髪、ぱっちりした目、メリハリのついたスタイル。そんな子が廊下に転んで、しりもちをついていた。
あ、この子知ってる。
クラスの中心にいた、Sランク女子のひとり相坂奈緒(あいさかなお)さんだ。
清潔感のある今風ギャルの子だった。
「ごめんね。大丈夫かな、相坂さん」
転ばせてしまったので手を差し出す。
「あー、だいじょびだいじょび。ぶつかってごめんね、あーし急いでてさ」
えへへっと笑いながら立ち上がろうとする相坂さん。
転んじゃったのに相手を責めず素直に謝る。
今時珍しい、いい子だなあ……。
彼女はスカートをぱんぱんと叩いてホコリを払いながら、あたりを見回す。
「あ、ノート落ちちゃったね。ごめんごめん」
相坂さんは落ちてしまった僕のノートを拾い集めてくれる。
金色のラフな髪がふわふわとすぐそばで揺れている。
僕なんかにそんな親切しなくていいのにね。
そう思っていると、ぱらり。
ノートのページがめくれた。
「――」
ぴたっと、相坂さんの動きが止まった。
何の変哲もない僕のノートの開いたページを見つめている。
じー。
じー。
じいいいいいっ。
「――――す」
「す?」
相坂さんは両手でノートを広げて。
「すっごおおおおおおおおおおおおおおおおおおいっ!!」
叫んだ。
「……へっ?」
僕はぽかんと口を開けた。
「これ、なにこれ超ヤバいじゃん! めっちゃくちゃ綺麗!!」
「え、いや、綺麗って何が?」
「じっ!」
じ?
疑問に思っていると、目をキラキラと輝かせて僕に詰め寄る相坂さん。
「字、めっちゃ上手じゃん! なんなの!? 先生なの、習字のお師範なの!?」
「じ……あ、ああ、字が綺麗ってことね」
やっと理解が追いついてきたぞ。
相坂さん、僕のノートの字が綺麗だぞって言いたいのか。
そんなことはじめて言われた。というか他人にノートを見せるのが初めてだ。
「わー、わー、ひらがなと漢字がきっちり同じサイズ! ありえなーい!」
ノートを天に掲げて『すごいすごーい』とはしゃぐ相坂さん。
まるでプレゼントをもらって喜ぶ幼稚園児だ。
「なんでこんなに綺麗なの!? 日ペンなの、美子ちゃんに貢いでたの!?」
「うん、まあ、美子ちゃんじゃないけどね」
僕は小学校の頃にペン字教室に通っていた。
きっかけは「御菩薩池」というやたら画数の多い難しい名字を、かっこよく書けるようになりたかったのだ。そこでまあ、色々あって、まじめに取り組んだ。おかげで名字以外の字もある程度、色々な書体で見栄えがするようになった。
まあ僕の唯一の特技とは言えるかもしれない。
「すごいじゃーん! なんで黙ってたのー!?」
黙ってたもなにも。
そもそも相坂さんと話す機会とかないし。
「僕より字が綺麗な人とか、いくらでもいるし」
「いないよ! 周りにひとりもいないよ! あーしの字なんてこんなのだよ!?」
相坂さんはがばっと自分のピンク色の可愛いノートを広げて見せる。
ぬちゃあっ(イメージ音)。
「……おう」
絶句した。
確かにひどい。まず読めない。スライムを無理やり引きちぎったみたいな文字だ。かろうじて読めるのはひらがなの一部だけ。漢字は『複雑だからたぶん漢字だろう』と推測できる程度だ。
直線は数ミリで迷子になってるし。曲線は途中で逆方向に曲がってるし。
幼稚園児でももっとマシな字を書きそうだ。
「ひどいでしょ!?」
「まあ……うん……ええと……とても個性的だね」
なんとかオブラート表現に包んであげた。
字なんて読めればいいんだよ、というのが常套句だが、彼女の場合読めないのだ。
「そーなの。アルティメット下手なの。ほんと汚いゴミカス字なの、あーし……」
相坂さんは涙目になっていた。
さっきまで笑ってたのに今はめちゃくちゃ落ち込んでる。
「だ、大丈夫だよ。字が綺麗じゃなくても別に人生は問題なく送れるよ」
今はスマホ社会だし――と続けようとすると。
「そんなことない! 問題しかないよっ!」
「えっ」
がばっと食い入るように力説された。
「だって、字がヘタなせいで、あーしの人生終わっちゃいそうなんだよ!?」
「人生がっ!?」
なにそれ。
宇宙人と字の綺麗さでバトルでもしてるの?
「な、何かあったの?」
気になって僕が聞いてみると。
相坂さんはじーっと僕を見て真剣な表情で。
「あーしの悩み、聞いてくれる?」
おもちゃをおねだりする子供みたいな視線だ。
僕はうなずいた。すると。
「ほんとにっ!? やたやたっ! これで百人力だよーっ!」
相坂さんはぴょんぴょんと飛び跳ねた。
ミニのスカートが危なっかしくひらひらと揺れている。
「いや聞くだけで、解決できるかどうかは……」
「できるよ! だってキミ、すっごい字が綺麗なんだもん!」
だからなんなの、その綺麗な字への謎の信頼感。
「じゃあ放課後に教室で待っててね! えーと」
声がぴたりと止まる相坂さん。
そっか。クラスメイトでも僕の名前を知らないんだ。
まあ当然である。僕は田畑くん以外とはまったく話さないんだから。
「御菩薩池琢哉(みぞろけたくや)だよ」
「み……みぞろけ? それなんて書くの?」
99%以上の人は僕の名前を聞いたときそう返してくる。
「字は覚えなくていいよ。無駄に難しいからさ」
「えー、やだやだ。知りたい知りたい。書いてみせてー!」
わがままだなあ。
でも断るほどのことじゃない。
僕はノートにボールペンで慣れた名字を書いた。
「おおー」
相坂さんは口を半開きにして食い入るように見つめている。
やがてニコッと笑って。
「すっごい、カッコイイ名字だね!」
そう言ってくれたのだった。
「……うん。ありがと」
人の名前を素直に褒めてくれる。
そんな相坂さんに、僕はどこか懐かしいものを覚えていた。
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