第3話


 ロシェルに王立劇場に行ってくる、護衛はこいつに任せると言うと、ロシェルは特に反対はしなかった。


「貴方がおられるなら、殿下の護衛は万事大丈夫でしょう」

 と、抜かりなくイアンは強く釘を刺されたが。


 さすがに馬ではいけないので、王宮から馬車で王立劇場に向かった。

 大仰では無いが、貴族の馬車に扮して城を出た。

 不思議な感じがルシュアンにはした。

 まるで初めて出かけるみたいだ。

 そんなに城下に行ったことはないけど、公務や、大貴族の夜会などのためになら、出かけたことがないわけじゃない。

 そういう時はもっとたくさん護衛がいて、馬車を取り囲み、街並みもほとんど見えないのだ。

 ヴェネツィアの大通り、通ったことはあるはずなのに、初めて見るような景色だった。

 夕暮れ時、街並みは賑わっている。


 ルシュアンは思わず見入った。

 開いたままの入り口から見える店内では、楽しそうに人々が笑って食事をしてる姿が見える。

 荷物を持って、帰路につく人々。

 しばらく何も考えず眺めてしまってある時、向かいに座っているイアンをほったらかしにしてしまっていたことに気付いた。

 普段は王妃やロシェルが一緒に馬車にいて、色々なことを喋ったりしているから。

 気を悪くしたかなと一瞬思ったのが、イアンの方を見ると彼は深い緑色の瞳で、穏やかな表情でルシュアンを見てくれていた。


「……なんだ?」

「いえ。楽しそうに見ておられるなと」


 彼はそんな風に言って、自分も窓の外を見た。

「私も城下町の夕方の風景は好きです。人々が仕事を終えて、一日の終わりに家に帰ったり、食事をしたり、一番安心している空気を感じる。楽しそうでしょう」

 そうか、自分だけじゃなくイアンもそう感じるのかと思うと、何故か安心出来た。

「……うん」

 ルシュアンは、今なら何かを素直に言えそうな気がした。

「……俺あんまり、こんな馬車一台で出かけたこと無いんだ。いつもいっぱい周囲に護衛がいて、街もよく見えない。ヴェネツィアは……こういう街だったんだな」

 イアンはルシュアン・プルートの言葉に、何故か一瞬フェルディナントの顔が過った。


(……まだヴェネトには、希望が残ってるんかな?)


 罪も無いのに滅ぼされた、亡国の王子。

 この地に彼が来たとき、ヴェネツィアの街を見た時一番感じた感情は何なのだろう。


(この王太子が王妃とは別の道を選べる王にもし、なったとしたら……。

 お前はヴェネトを許せるんかな? フェルディナント……)


 竜にもたれかかって眠る、ネーリ・バルネチアを思い出す。

 その傍らで、笑えるようになった友の姿を。

 もしそういう可能性があるなら、それは【シビュラの塔】の砲口を向けられた世界には、ルシュアンの存在は希望になる。

 彼が平和的な王になる。素晴らしいことだ。


 ……だが世界がルシュアンを讃えることになっても、

 ヴェネトが確かに殺戮した三国の人々は存在する。永遠に消えることはない。

 ルシュアン・プルートも、母親の過ちによってその永遠に消えることのない罪で汚れた玉座を引き継ぐことになるのだ。

 彼もまた、不幸せな王になることが約束されている。


 平和になったと喜ぶのは容易い。


 失われた者たちの存在を忘れることが、簡単ならばだが。



◇   ◇   ◇



「新しい演目に変わったのです」


 王立劇場に付くと、王太子が来ると思っていなかったのか、支配人が慌ててやって来て、桟敷に支度を調えた。

 身を乗り出さない限り、誰も桟敷を覗き込むことが出来ない王家の桟敷に明かりが灯されると、階下が少しどよめいたのが聞こえた。

 王族が来ていることが分かったのだろう。

 王妃はこういう時、必ず立って姿を見せるが、ルシュアンはそうしなかった。

 今日は普通に、観劇をしたいと思ったからだ。

 イアンも側の椅子に座る。

 さすがにいい景色だ。劇場の隅々まで正面から見れる。

 イアンは本国でも観劇は好きで頻繁にしていたので、こういう桟敷は久しぶりだった。

 表情が嬉しそうに見えて、ルシュアンは連れて来て良かった、と思った。


「あのさ……、いつも母上とかロシェルがいると、正直息が詰まることがあるんだよ。だから……また、お前の時間がある時でいいから、護衛として付いてきてもらってもいいかな」


 今は何故か、素直にそう言えた。

「喜んで」

 イアンが返答に時間を掛けなかったので、ルシュアンはとても嬉しかった。

「勿論、あんたがどこぞの令嬢とこれは見たいんだって劇だったら断ってくれていいからな。そんなことで俺は怒んねえし」

 イアンが半眼になる。

「……それはどうも」


 ルシュアンはつい、笑ってしまった。

 まだ恋人作ってねえのかよ。

 王城の侍女とか、貴族の令嬢とか、結構こいつのこと気にしてんのに。


 世話役の人間がワインと、砂糖菓子を持って来てくれた。

「新しい演目の、パンフレットにございます」

「この前の砂漠の見たよ。面白かった」

「ありがとうございます」

 王太子の言葉に女性が嬉しそうに一礼した。

「他の貴族の方からも好評をいただきました。将軍もご覧になりましたでしょうか?」

「ええ。見せていただきました。是非に見た方がいいと勧められて。演出も華やかで素晴らしかったです」

「そうでしたか。ありがとうございます」

「新しい演目になったのですね」

「次の長期公演に向けての、短期の演目になりますが、ヴェネトの新鋭脚本家が書いたものになりますので、楽しんでいただけると思います」

「へぇ……王立劇場でもそういう演目を掛けるんですね」

 イアンが興味深そうにパンフレットを手にした。

「どんな話?」

 ルシュアンが女性スタッフに聞いている。


「実は……、ヴェネト王宮が舞台なのです。

 この前の仮面舞踏会で、一騒動あったのだとか。

 それを元に、脚本を書いたそうにございます。

 お互いの素性を知らない仇敵の男女が、恋に落ち、王宮の仮面舞踏会で踊るのですが、夜会の最中に正体が片方にばれて、剣を交わし合うんです。

 黒衣の青年将校と、月の女神に仮装した令嬢が戦い合う所は特に見所で……」


 思わずイアンが吹き出した。

「あ、あの……どうなされましたでしょうか?」

「いや。気にしないでいいよ。このスペイン総司令官たまによく分かんない笑いのツボがあるみたいだから」

「さ、左様にございますか……」

「楽しませてもらうよ。ありがとう」

「はい! ぜひごゆっくり」

 女性スタッフがにこやかに出て行くとまだ、ぷくくくく……と隣の椅子で腹を抱えて笑っているイアンを、ルシュアンがつんつん、と指先で突く。

「んで? 何がそんなにおかしいんだよお前……全然今笑うとこじゃねえぞ。っていうかまだ幕も上がってねえぞ」

「いや……知り合いが思いがけないところで出演させられてて……」

「はあ?」

 ぷくくく……とまだ笑っている。


 あの生真面目な神聖ローマ帝国の竜騎兵が、自分をモデルに王立劇場で演目が掛けられてるなんて言われたらどんな顔するのかな……と思ったら面白くなってしまった。

 これは早速明日にでも言いつけてやらなければ。

 何がそんなに面白いのかちゃんと話せよこのやろー、と足でも突きながらルシュアンは笑っているイアンの顔を見ていた。


(まったく、よく笑うやつだよな)


 でもこの顔は嫌いじゃない。

 明かりが消え、劇場全体が暗くなる。幕が上がった。


 華やかな王宮の情景から物語は始まる。

 ルシュアンは初めて心が躍った。







【終】



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海に沈むジグラート 第75話【未来を灯す】 七海ポルカ @reeeeeen13

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