第6話

教室の窓の向こうで、風が校舎の旗を揺らしていた。

あの色褪せた布は、もう何年も変わらずそこにある。

俺は、その無音のゆらぎを見ている時間が好きだった。


あの日以来──。


 


「……黒巻、最近、白石さんと仲良いよね?」


 


昼休み、席に戻る途中。

肩を軽く叩かれて振り返ると、隣のクラスの女子が立っていた。

笑顔で、でもその笑顔が妙にくっきりしていて、線が引かれている気がした。


 


「まぁ……屋上で話すくらいだけど」


「ふーん。あの子と話す人、久々に見たからさ。びっくりした」


「久々?」


「うん。……あ、やば、澪来た。じゃね」


 


その子が指差した先にいたのは、木崎 澪。

明るいベージュのカーディガンに、ハーフアップの髪。

白石と並ぶと、まるで昔の時間が形になったようだった。


 


「黒巻くん、だよね?」


「そうだけど……」


「ちょっとだけ、いいかな?」


 


人の少ない渡り廊下へ、俺は連れていかれる。

なんとなく、春の終わりに似た空気が流れていた。


 


「白石さんと仲良くしてくれてありがとう。……あかりと」


「……うん」


「最近、ちょっと変わったよね。

あの子が、また笑えるようになるなんて思わなかった」


 


“また”という言葉が、重たく耳に残った。


 


「……前は、笑えなかった?」


「中学の終わりから、ずっと。

私、あの子の親友だった。……だったけど、今は違うの」


 


彼女の笑顔は、優しかった。

でも、その中にある「置いていかれた人」の静けさを、俺は知っていた。


 


「……ねえ、黒巻くんはさ」


木崎がふと視線を落とす。


「大切な人を、失ったことある?」


 


不意に風が吹いて、カーテンが揺れた。

俺の中の記憶まで、空気ごとざわついた。


 


「……弟がいた。

……2年前、事故で亡くした」


 


それだけを言うと、木崎は何も言わずに、目を伏せた。

それでよかった。

それ以上、何も言葉はいらなかった。


 


「……それでも、名前ってさ」


俺は、ふと口にする。


「呼ばないと消える気がする。

呼んでるあいだだけ、そこにいる気がする」


 


木崎は、ゆっくりうなずいた。


「……あかりも、そうだったかもしれない」


 


その日の放課後。

俺は屋上の前で、少しだけ足を止めた。


ドアを開けた先に、彼女はいつものようにいた。

けれど、どこか、いつもと違うように見えた。


 


「……今日は、あまり寒くないね」


俺の声に、白石さんは一瞬だけこちらを見た。

微かに笑った──だけど、その笑みはどこか遠くにあった。


 


「さっきさ、木崎さんに会った」


「……うん」


「昔、親友だったんだって?」


「うん。そうだった」


 


風が強くなって、彼女の髪が横に流れる。


 


「けど、今はちがう」


 


その言葉だけが、やけにまっすぐだった。

他には何も言わず、白石さんはまた柵の向こうを見つめていた。


 


俺は、彼女の背中にそっと視線を落とす。


彼女も、たぶん何かを「なくした人」なんだ。

大きく騒がずに、ただ静かに、音もなく。


 


「……白石さん」


名前を呼ぶ。


それは、俺が唯一できること。


 


「なに?」


 


そう返ってきた声が、今日の救いだった。

風の中でも、ちゃんと聞こえた。


名前を呼べる人がいる。

それが、こんなにも心を支えるなんて。


 


今日、俺はそれを、ちゃんと知った気がした。

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