「10回目の挑戦」-東大浪人、最後の挑戦

れおんがくしゃ

東大への道



 春が来るたびに、僕は同じ道を歩いた。桜の舞う道を抜け、神保町の古本屋街を通り、赤門を眺める。この場所が、僕の居場所になるはずだった——10年前、初めて東京大学の合格発表を見たあの日から、僕はずっとこの夢にしがみついてきた。


 「10回目の挑戦なんて、馬鹿げている」

 誰もがそう言った。最初は応援してくれた家族も、友人も、5回目の浪人を過ぎたあたりから、「もう別の道を考えたほうがいいんじゃないか」と口にするようになった。親戚は「もう働いたら?」と遠回しに告げ、バイト先の同僚は「東大って10年も勉強しなきゃ入れない学校なの?」と皮肉を込めて笑った。


 それでも、僕は諦めることができなかった。



 1回目の受験は、まるで地獄だった。模試ではそれなりにいい判定を取っていたはずなのに、本番では緊張で頭が真っ白になり、結果は不合格。悔しさに震えながら浪人を決意し、予備校に通った。


 2回目、3回目も不合格。受験科目ごとに成績は少しずつ上がっていたが、どこかでミスをしてしまう。数学の証明問題、英作文、リスニング——苦手を克服しても、次に別の課題が見つかる。4回目の浪人のとき、母が泣いて頼んできた。「もうやめて、違う道を探そうよ」と。


 僕はその言葉に耳を貸さなかった。


 5回目の浪人、僕は一度燃え尽きた。何のために勉強しているのか、なぜこんなにも合格に執着しているのか、自分でも分からなくなった。半ば惰性で受けた試験は、当然のごとく不合格。虚無感に襲われ、半年間はほとんど勉強しなかった。


 でも、6回目の浪人のとき、ある予備校の講師に言われた言葉が僕を変えた。

 「受験は結局、最後までやりきった奴が勝つんだよ」


 それから、僕は勉強方法を根本から見直した。受験のための知識を詰め込むだけでなく、「なぜこの大学に行きたいのか」を問い続けた。東大に入って何を学び、どう生きるのか——それを考えるうちに、少しずつ勉強が苦ではなくなった。



 迎えた10回目の受験。

 浪人生活も、30代が近づくにつれて異様なものになっていた。周りの同級生たちはとっくに社会に出て、家庭を持つ者もいる。自分は何をしているのか——その問いに苦しみながらも、ペンを握り続けた。


 本番の試験では、不思議なほど冷静だった。何度も同じ問題を解いてきたし、もう東大の入試がどんなものかは頭に染みついていた。数学の難問も、英語の長文も、10年間の積み重ねが支えてくれた。


 そして、ついにその日が来た。


 合格発表の掲示板の前。桜が散る中、僕は手を震わせながら受験番号を探した。


 そこに、僕の番号があった。


 その瞬間、すべての音が消えた気がした。何も聞こえず、何も考えられない。ただ、10年間の苦しみと、後悔と、努力のすべてが報われたことを、静かに受け止めた。


挑戦し続けることの意味


 僕は思う。

 「10回も挑戦するなんて無駄だ」と言う人は多い。確かに、他の道を選んでいたら、もっと早く社会に出て、安定した生活を送っていたかもしれない。でも、僕はこの10年間を無駄だとは思わない。


 何かを10年かけて追い求めることができる人間は、そう多くない。結果が出るまで諦めず、自分を信じ続けたこと——それが、僕の人生において最も誇れることだ。


 東大合格はゴールではない。むしろ、新たなスタートだ。

 でも、この10年間の経験がある限り、僕はこれからどんな困難に直面しても、必ず乗り越えていける。


 10回目の挑戦は、僕にそう確信させてくれた。

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