マフラーの軍狼

@sorabo_coffeeholic

第0話 眠らぬ街にも朝は来る

午前六時。北半球の五月の朝はまだ肌寒く、風が吹くたびに指先に刺されるような痛みが走る。思わず動きが鈍り、縮こまりたくなるほどだ。日が上る直前の東の空は少しばかり白むものの、大部分は青黒い天井に覆われている。無数の星明りが闇の中をひしめき合い、夜の終わりを惜しむように煌々と灯っている。まるでそれを再現しようとするかのように街には既に多くの光が灯る。区画整備により細長く連なっている市場では、漁港から送られてきた魚介類の競りや、採れたての野菜の朝市に集う市民の活発な声が飛び交っている。


 ヘイグターレ帝国帝都、サンティレア。アプロニア大陸最北端に位置する、面積人口ともに最大の国の首都たる巨大都市は、早朝でも平穏が訪れることはない。この大陸の人間は皆、生活スキルーーー衣食住はもちろんのこと、職業、治安、インフラなど必要なものは沢山あるがーーーにおける不足の部分を魔法で補っている。そんな魔法中心の世界で莫大な人口とそれを持ち得るだけの国力を支えているのは、昼夜問わずに行われている魔法の研究である。国自体も長い歴史を持っているが、約千年前の黎明期から粉骨砕身、魔法に力を注いできたヘイグターレは、他国に比べ頭一つ抜きんでている。


 また、この都市は中心部に向かうほど海抜が低くなる器のような地形をしているため、「擂鉢都市」とも呼ばれている。過去の文献では、度重なる超大型の魔法実験による地盤沈下で中心部が沈んでいったといわれているが、各資料で実験の行われた年代及び回数の記載が異なること、地形を変える規模の魔法が現在使用できる者が存在しないこと、口伝も残るが人により異なり信憑性に乏しいことなど不確定な情報が多いため、詳しいことは今でも判明していないらしい。

 ともあれこの地形は敵国の襲撃や災害時には弱点となる上、空気の流れも悪く、排煙や煤塵などは中心部へと淀んでいってしまう。そのため都市経済の根幹を成している各商業地帯と交互に層をなすように、城壁が幾重に構えられていたり、物品運搬の利便性の向上と水害防止のため運河が張り巡らされていたり、壁の中腹に通気用の格子が作られていたりする。


 この城壁は往年にわたるヘイグターレの魔法研究の結晶で、五層の城壁はいずれも厚さ20m以上、最小のものでも高さ50mを誇り、見た目はもはや山と呼んでも差し支えない。内側からメイガー、ギガロ、テラムロ、ペタヴィ、エクスリアと命名されており、最も外にあるエクスリア城壁に至っては厚さ80m、高さ150m、総延長約540㎞にも及ぶ巨大な建造物で、アプロニア大陸に存在する建造物で最も大きい。建造にかかった年数も22年で、これまた最長の建造年数とされている。なおメイガー城壁の内側にはいわゆる中央省庁や皇族関連の住居、大手商社の本社等重要な建造物が密集しており、その中心部に皇帝の住む城、シュトラメルグ城がある。



 幾重にも工夫が凝らされた巨大な擂鉢都市を最外壁、エクスリア外壁の頂上から一瞥した青年は、先ほどまで勤しんでいた魔法の鍛錬を一旦止め、城壁の端に腰かけた。市民の家々が羽虫ほどにも見える高さであれば、どれだけ派手な魔法を使おうとも物理的被害は無い上、騒音被害も無いに等しい。それどころか城壁自体に魔法耐性、吸収軽減の呪文が隙間無く張り巡らされており、生半可な魔法では傷すらつかない。魔法を扱うものとしては城壁はこの上ない練習場所である。エクスリアはあまりにも広いので青年の近くに他の魔法士たちは見当たらないが、多くの者が練習していることだろう。



 「ついに合格だ……。待ってろよ、兄貴」



 彼の名はキドロア・セルエイク。夜に沈むような黒い髪。常に眠気を訴えているような気だるげな黒い眼。180センチを越える上背と細身な体にこれまた黒の服を纏うので、朝ぼらけの中では彼本体なのか影なのか見分けを付けがたい。そしてキドロアにはイヴァンという4つ上の兄貴がいる。イヴァンはヘイグターレの定める国家魔法士試験に三年前合格。国家魔法士となり、メイガー城壁の内側、中心部で働いている。その試験にキドロアは三日前に合格したばかりである。

 一口に国家魔法士と言っても様々な配属先があるが、キドロアは国の魔法軍に入るつもりでいる。今日はその魔法軍を一目見学しようと計画しておりそれに向かう前に日課の魔法の鍛錬をこなしているところだった。

 休憩を切り上げ、凭れ掛かっていた壁から離れ一つ伸びをする。太陽は未だ顔を見せないがこの数分で空はだいぶ白んでいた。星々の光も大部分が陽光にかき消され、西の端に逃げ込むように弱々しく佇んでいる。思えば幼い頃から魔法は徹底的に叩き込まれてきた。楽しくないときも、親にすら見せない涙だってあった。でもそのおかげで実技試験も易々と通過した。試験官に有無を言わさない実力を証明してみせた。軍への内定はほぼ確実だろう。いざ軍に入ったとき、どんな任務が待っているのだろうか……。

 これから待つであろう様々な出来事に思いを馳せていたところで、見覚えのある緑髪の女が、魔法を使い地上からこちらに浮上して向かってきた。キドロアは一つため息をつき、彼女の方へ歩み寄る。女も城壁最上部へ着地するとキドロアの方へ向かっていく。



 「ローーアーーー!!……やっぱりここにいたのね」



 小走りにキドロア駆け寄ってきた女性はフローリカ・シレア。キドロアと同じく三日前に国家魔法士の試験に合格した、キドロアの幼馴染である。

 逡巡の多いロアだが、口数はかなり少ない。そんな彼には到底ついていけないほどのお喋りな活発系女子である。背丈は女性にしてはかなり高く、ロアと頭一つ分ほどしか変わらない。長くて艶のある深緑の髪を項辺りで一つに結んでおり、すっと伸びた鼻や左右対称なやや切れ長の目、薄い翡翠の瞳はロアの闇と相反するほどに澄んでいる。総じて容姿端麗でありながら魔法の腕も立つ。試験の前から、試験官―――もちろん試験を受けに来た男共にも―――注目されていた。



 「……よくここにいることが分かったな」

「イヴァンさんに聞いたことあったから。ロアならここで特訓してるんじゃないかって」

「ああ、そういうことか……」



 いつのことかは忘れてしまったが、兄に希望を聞くどころか言い当てられた時があったことを思い出した。そのくらいロアは小さいころから軍に対して特別な思い入れをいだいている―――それを当然と思えてしまうほどの理由もある。



 「まあ、想像に難くないだろう。俺が師匠の背中を常に追いかけ続けていることも、師匠に並ぶ―――いや、いつの日か師匠を超える魔法士になると意気込んでいることも」

 「そうね、あなたが師匠を尊敬する様はもはや崇拝に近い何かを感じることがあるもの……。あなたの実力なら間違いなく合格はしているでしょうね。後は希望と抽選が噛み合って見事魔法軍に選ばれるといいけど」

 「そうだな。―――でもお生憎様、魔法軍入隊は確約されているんだ」

 「え?それってどういう―――」

 


 そういってロアはポケットから一枚の青い紙を取り出した。その紙には"特待生招待用紙"と書いてある。学科試験及び実技試験において著しく優秀な成績を収めたものに対しては、希望する配属先を他の者に先んじて調査し、その配属先から逆指名する形で招待用紙が届くというものだ。部隊としては優秀な人材をヘッドハンティング出来て、招待される側としても希望が確実に通る―――両者に得がある制度といいうわけだ。

そしてロアの招待された部署は―――帝国魔法軍、ロアの希望するところであった。ロアが広げて見せたその紙―――通称"青紙"を見て、リカは目を丸くした。



 「そ、それって青紙!?」

 「……まあ万が一特待生を逃すわけにもいかんから、少し本気を出しただけだ」

 「まったく……。そういうとこだけ抜け目ない男ね」

 「当たり前だ。―――ようやく師匠と同じ舞台に立つことができるんだからな」



 ロアは隠しきれない様子で満足気な面持ちをした。ロアには魔法の師匠がいる。名はディアゲラ・フィスドナーク。帝国魔法軍第一部隊の部隊長を務めている人物だ。魔法の腕はロアの比ではなく、設立当時から今までの帝国魔法軍において魔法適性の高さは最高級、史上最強の部隊長とも噂される人物だ。容姿端麗、頭脳も明晰で、信頼を越えもはや信仰といっても過言ではないほど慕う部下もいるほどだ。ちなみに師弟というだけでロアとディアゲラの間に血縁関係はない。

 通常、アプロニア大陸にある国では、魔法は親から子へ、子から孫へと教えられ受け継がれていくものだが、ロアの父親はロアが六歳の時に不慮の事故で亡くなっていたため、父の友人であったディアゲラから教わることとなったのだ。



 「イヴァンさんとは違うとこになるのね」



 イヴァンはサンティレアの中央部に位置するヘイグターレ帝国立中央魔法司院、通称"帝立央魔院"で研修を受け、そのまま帝立央魔院の第一号館にある、総務部に配属された。帝立央魔院には全部で四つの館があり、第一号館は魔法士のあらゆる雑務を取り扱っている、“サンティレア市役所”とも呼べる建物である。



 「兄貴は一号館で管理職に就きたいと言っていたからなあ……。本望なんじゃないのか。そういうリカはどうなんだ」



 ロアの青紙を覗き込みながら話しかけていたリカに、ロアは尋ね返した。



 「私?私は帝立調理魔法室にしたよ」



 こちらもにこやかな笑顔で返す。ヘイグターレでは調理をする際に魔法を用いる場合、この帝立調理魔法室の卒業証明が必要となる。就学期間は3年。ただ、飛び級制度が存在し、早いものは2年以内で卒業する。調理師、料理人、飲食業を営む者ははもちろんこの資格が必要だが、国家魔法士でない者、とりわけ一般女性においてこの資格をとるものは多い。



 「あれ?お前帝立高等魔法学校に行くって―――」

 「調理魔法室を卒業してからね、いつまでも教師やってられるわけじゃないから」



 ヘイグターレでは国力維持及び増強の名の下、優秀な魔法士を絶やさない為に、魔法教育にはかなり力を入れている。その結果、帝立央魔院から教育部を分化する形で出来たのが帝立高等魔法学校である。就学期間は4年と7年がある。ヘイグターレにおいて12歳までは義務教育とされ、魔法とは関係のない読み書きなどの世間一般の知識を習い、卒業してからこの学校に進学し魔法を勉強するか、魔法には関わらず働くかを選べる。一般市民からすると学費は少し高く、広いサンティレアながら分校も多くはない。親が夭折したロアは通っていないが、リカにとっては4年間、生徒として通った母校である。リカはなおも得意げに答える。



 「まあ一年半ぐらいで調理はサクッと卒業しちゃうだろうね。その後は魔法学校の教師になるから」



 自身に満ちて夢を語るリカとは対照的に、ロアは神妙な顔をしていた。



 「何よ?私の実力に不満でもあるの?」

「いや、実力に関しては全く心配はしていない」

 「じゃあ何よ?」

 「お前が教え子の女子生徒を襲う気がしてならないんだが」

 「そんな大勢の人間が見てるまえじゃしないわよ!」

 「二人きりだったらするのかよ」



 リカの不完全な否定を指摘しつつロアは嘆息した。リカがレズビアンでなかったらさぞかしモテただろうとこれまで幾度となく考え、その度に諦観に浸るロアである。



 「せっかく容姿は良いのに中身がこれじゃなあ・・・将来お嫁に行けるかどうか」



 ロアの本音混じりのつぶやきにリカは少々驚いた顔をした後、大笑いしながら言った。



 「ロアにそんな心配をされるとはね。大丈夫。さすがのあたしもそこら辺は切り分けて考えてるわよ。女同士じゃ子作りできないことぐら知ってるわよ」

 「朝っぱらから下世話な話をするんじゃない」

 「あら?結婚云々の話を振ったのはそっちじゃない?まあいいわ。それに私にだって男性の想い人の一人や二人いるものよ?」

 「いやいたとしてもそこは一人にしろよ。……でも初耳だな。」



 ロアは目を細めた。



 「誰だ―――なんていう野暮なことは聞かないでおこうか」

 「それが賢明ね。まあきいたところでロアには教えないけど」



 リカは再び得意げな顔をして笑った。



 「じゃあ私は先に街に戻るから。どうせロアのことならまた外壁の上で魔法の鍛錬でもするんでしょう?」



 ロアは頷いた。夏は太陽が地平線から完全に昇り切って離れるまで鍛錬を続けるのがロアなりのルールだ。



 「じゃあね、特待生さん」



 リカは追風タービルを使い、自身を勢いよく浮き上がらせると、風の向きを下から後ろに変えあっという間に飛び去って行った。この追風タービルもほとんどの魔法士が使える基本的な魔法である。



 「相変わらず忙しい奴だな……。まあ鍛錬もノルマ自体は終わってるんだが……。たまには早めに切り上げて、俺もぼちぼち行くか」



 ロアも追風タービルを使い、街の中心部へと飛び去った。朝日が顔を出す東の空を流し見て目を細めながら青紙を折り畳み、再びズボンのポケットへ押し込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る