第10話

 会議後、三村に話しかけられた。


「高峰、さっきのことなんだけど」

「あ……うん、なんだった?」


 今の里沙には三村と上手く喋れる自信などなかったが、なんとか自分を奮い立たせ三村と向き合った。するとその無理が表情に出ていたのか、三村は心配を口にした。


「大丈夫か?」

「大丈夫」


 そういう他に言いようがない。


「何かあったか?」

「何にもないよ」


 これも全く同じで説明の仕様などないし、里沙自身も動揺の真っ只中で正直誰にもどうにも話せるような心境ではない。


「元気ないようにみえる」

「……最近ちょっと忙しかったから疲れたかな」


 三村の気遣いに里沙はせめてもの言い訳をした。


「今日は早く帰ってゆっくりした方がいい」

「うん、ごめん」


 有難く三村の申し出を受け入れて急いで帰る。

ついさっきまで嬉しかったはずが些細なことで動揺する自分に里沙は恐怖に似た嫌悪感を持ってしまった。

 走るように帰った里沙はベッドに飛び込み自分の考えを打ち消そうとのもがいていた。

 里沙が抱いた疑念。

 それは翔子の好きな人だ。

 里沙は翔子の好きな相手が実は三村なのではないかとふと感じてしまったのだ。思い返せば一年の時から二人は仲が良かった気がする。里沙は久本に夢中で他のことはほとんど目に入っていなかったので分からなかっただけで、翔子の気持ちが三村にあっても不思議ではなかった。そこでさっきの会話を思い出すと、その疑いは膨らんでいく。

 三村は気付いていないのに翔子は一緒に走っていること知っていた。気に掛けて見ていたからではないか。

 考えれば考えるだけ、翔子は三村が好きだと思えてくる。

 さらに三村の過去の発言も里沙の気持ちを重くさせる。

 三村はナチュラルな人が良いと言っていた。それは翔子のような人ではないか。

 今の三村は翔子のことをどう思っているのかはまったく分からないが、二人が付き合う可能性が里沙の中でどんどん膨らんでいく。


「だとしたら……あたしはどうしたらいい……」


 翔子は当分告白しないと言っていた。里沙も告白する気は今のところないが、将来的に翔子が告白をして付き合うことになったら二人を祝福できるかは分からない。だったら今、翔子の気持ちを確かめる前に先に三村に告白してしまった方がいいのか。

 考えがまとまるはずなどなかった。


「…………とりあえずお風呂でも入ろ」


 気持ちが沈んでいる時の里沙の逃避方法の一つだった。お湯に浸かって考えるとなんとなく気持ちが整理できるような気がしてすっきりできるまでずっと入っていた。この日は相当長湯になったが、それでもどうするか決めることはできなかった。

 グルグルと頭の中を巡る感情でとても眠れなかったし、学校に行くのも気が重い。それでも何とか気力を振り絞って登校した。

 翔子の顔もしっかりと見れず、当然心配されるが軽い風邪だと誤魔化した。いつまでそんな言い訳が通用するかと不安なことだけが次々増えていく。

 未佐子に相談するのも躊躇ったのは、未佐子は翔子の好きな人を知っている気がしたからだ。教えてもらってはないと言っていたが鋭い未佐子はきっと勘付いているに違いない。だから相談したら相手を聞いてしまうのではないかと不安だった。

 ネガティブな想いに駆られると長引くと自分の事を客観的に知っている里沙は、今回もそうやってどんどん暗くなっていくと分かっていながらも回避できないと思っていたのだが、しかしそうはならなかった。

 悩みだした翌日には思いもよらない人間が教室に現れたからだった。


「高峰ってヤツいる?」


 教室のドアの前にいるクラスメイトにそう声を掛けたのはバスケ部エースの辻口だった。


「高峰さーん、呼び出しですよー」


 三年の辻口が二年の教室に来ることなどめったにないことだ。それが突然現れればクラス中がざわめくのは仕方がないことだ。そしてそんな人物に呼び出しを掛けられれば注目されるのも必然だ。


「あたし?」


 しかし当の里沙も辻口と接点がないので驚いていた。

 さすがに学校中の有名人、それどころか校外試合などで付いたファンはそれ以上いると噂のエースを全く知らないわけではなかったが、それはあくまで噂程度。辻口に興味がないどころかバスケにも興味がないのでどれほどの活躍でカリスマなのかは理解できていない。

 里沙が自分で感じた唯一の事実は顔がいい男というだけだった。


「ちょっと来て」


 その男らしい顔がかなり険しい表情で里沙に近寄ってくる。

 顔が良いというのは里沙の一般論で、決してタイプなわけではないので、どうやら怒っているらしい辻口に近寄られるとただ怖いだけだ。


「えっ、なに、なに、なんで……」


 腕を捕まれて引っ張られれば付いていかないわけにはいかない。強引な様子と雰囲気からどうも辻口の機嫌がかなり悪いと里沙は察知した。

 連れられてこられたのは人気のいないバスケ部の部室だった。薄暗く独特の臭いのある部屋に我知らず里沙に緊張が走る。


「あの……どういったご用件で――」


 全く状況を理解できないので脅えながら恐る恐る聞いた。すると辻口に少し乱暴に腕を離され、里沙はよろける。


「とぼけんなっ! お前以外いないんだよ」


 なんとか転ぶことはなかったが、怒声に肩をすくませる。

とりあえずすぐさま暴力に訴える気がなさそうなことは、辻口が里沙から距離をとって立ってることで分かったが、それ以外、状況どころか言っていることまでさっぱり分からない里沙には尋ねるほか現状を脱する術が思いつかなかった。


「……なんのこと?」


 ただでさえ考えることの多い今の里沙に思い当たることなど一つも出てこなかった。


「俺と一条もも江のことだ!」

「一条さん?」


 それでようやく一条とこの目の前にいる辻口が付き合っていることを思い出した。


「俺とアイツが付き合ってるのを知ってるのはお前だけなんだよ! それがバレたんだ、お前以外にいないだろっ」


 別れたのがお前のせいだと言われるよりはマシかとふと思った里沙だったが、全くの無実で疑われるいわれはないと当然否定した。


「……違いますけど」

「もも江もお前以外話してないと言ってた、俺だって誰にも言ってない。外でデートなんてしたことない、試合だって観に来させないようにしてたんだ。ばれる訳ないんだよ!」


 興奮状態のこの男に里沙が何を言おうと納得しそうにないと悟った里沙は突破口を探そうと話題を変えることにした。


「いくらあたしが違うって言っても証明しようがないですよね、仮にあたしだとして一体あたしをどうしようと思ってるんですか?」


 ここまで引っ張ってきたからには何か報復が目的なのだろうと考えた里沙だったが、逆に辻口に問われた。


「何が目的だ」


 自分の事でも手に負えていないのに人のことまで首突っ込む余裕はないと思わず言いそうになるのをグッと堪える。


「目的ですか?」

「付き合ってるのをばらして何が目的か聞いてんだよ!」


 里沙以外にはもう絶対にいないと思っていないと出てこない質問だが、付き合っていたことさえ忘れていた里沙には応えようがない。


「……バラしてないので、一番答えられない質問ですね」


 もうすっかり頭がパンク状態の里沙は正直な感想を述べていた。


「ふざけてんなよ」


 さすがに切れそうになっている辻口を落ち着かせようと考えを搾りだそうとする。


「えーとあたしが推測するに、二人が付き合ってるのを隠してたのは辻口先輩に気がある人たちが一条さんに嫌がらせする可能性があるからですよね」

「ああ」

「ということは、一条さんに個人的恨みがあるか、先輩を好きな人が妬んでって可能性が一番高いんではないでしょうか?」


 言葉にしながら、なかなか真っ当な意見ではないかと里沙は我ながら感心した。暗にどちらも違うというニュアンスを込めたが辻口には伝わらない。


「お前はどっちだ」


 そんなこと聞かれても里沙は答えを持ち合わせていない。そして仕舞いには里沙の方も段々イライラしてきた。冷静さなど吹き飛んでいきそうだ。


「どっちも違います……じゃなくてあたしじゃないんですって。大体一条さんと話したのは委員会が一緒になってから初めてだし、失礼ですが先輩にも恋愛感情はありません」

「じゃあ、単純に口が軽いか面白半分ってところだな」

「どうしてもあたしを疑いたいんですね、では目的も聞いたから次は何ですか? 復讐でもします? あたしを殴りでもしたら満足ですか?」


 里沙はどんどん声を荒げていったが、辻口は逆に声は抑えて内に怒りを渦巻かせているようだった。


「殴れるもんなら殴ってやるよ、お前が女じゃなければとっくに殴ってる」

「それで? 殴れないならどうする! バレたのを一々訂正してまわれとでも?」

「裏切っておいて、本当に殴ってほしいのか! あぁ?」


 その瞬間、緊迫した空気が支配した部室に外からドアを激しく叩く音が響いた。

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