第7話

 里沙は少し心の中が変わってきたこともあり、勇気を出して未佐子に久本のことを周囲から確かめてもらった。すると久本は例の彼女と付き合っていると分かった。

 それを聞いたときはさすがに無傷とはいえなかったが、それほどショックもなく受け止められた里沙は、とりあえず穏やかな暮らしを送ろうと考えた。三村のことを考えるときの自分の感情だけに振り回されるのは避けたい思いと、自分を一先ずきちんとリセットしたい思いからだった。


 しかし、里沙の心の中は比較的穏やかでも、逆に生活はそうではなくなっていった。

 高校生活は送りようによっては兎角忙しい。部活には消極的で学校行事にも積極的でない里沙は常であればスケジュールに追われるなんてことはないのだが、今は他者からもたらさせた用事で次々時間が埋まっていく。

 あの悠々自適な暮らしは一体どこに行ったのだと里沙は毎日不思議がり、翔子や未佐子に笑われていた。


「里沙の本性がばれたんだ」


 昼休み、いつものようにお弁当を囲みながら里沙が本日の予定を報告すると未佐子にズバリ言われた。


「あたしの本性って一体何?」


 本性なんて言われてどんな悪事がばれてこき使われるようになったのか不安になった里沙だったが、未佐子の返事は悪行の暴露とは真逆だった。


「一見分からないけど、実はお人好し」

「お人好し? あたしが?!」

「ちょっと口が悪いところがあるんだけど、ホント優しいんだよねー」


 翔子までもニコニコと賛同している。未佐子は繁々と頷き要らない補足までする。


「そうそう、口の悪さが逆に相手に気を遣わせなくて頼みやすくしてる」

「そうかぁ?」


 訝しがる里沙だったが、なぜか翔子が自慢するように言い放つ。


「そうだよー、事実頼まれ事増えてるじゃん」


 里沙はそんな翔子にため息を吐きつつ、冷静に事実を述べる。


「あたしに言われても解決できないことがほとんどじゃん、他の人に丸投げとかしてるし。あっ、だからかー。押し付けられた人が怒って雑用をあたしに寄越してんだな」


 そうだそうだと頷く仕草をする里沙に翔子はとても不満げな顔だ。


「違うと思うなー」

「私も違うと思う」


 未佐子にまでそういわれては確信はすっかり揺らぎ、でもお人好し説は受け入れられないので里沙はもう逆切れするしかなかった。


「じゃあどういうことなんだぁ!」


 未佐子と翔子は顔を見合わせ笑う。


「あははぁ、知らぬは本人だけってヤツはだね」


 未佐子は本気で楽しそうだ。一緒に笑っていた翔子は笑いながら時計を見て里沙を気に掛ける。


「里沙っちそろそろ時間まずいんじゃないかな? 生徒会室に集合なんでしょー」

「あー、めんどいなー」


 本気でダルそうな仕草をする里沙だが、気にせず二人がテキパキと里沙のお弁当箱などを片付けてしまう。


「そう言いながらちゃんと行くところが里沙だよね」


 ハイ、と未佐子に荷物を渡される。


「はいはい、お人好しらしくちゃんと行きますよ」


 立ち上がる里沙のそういうところが魅力だと周りが分かり始めてるんだと二人は伝えずに胸のうちに留めて里沙を送り出した。

 里沙が生徒会室に行く用とは、夏休み中の練習等で教室や施設利用の申請受付に関する打ち合わせだった。活動としては体育祭委員の一環だったが、委員の誰もが携わる仕事でもない。

 体育祭は夏休み明けひと月もない日程で行われるので、当然夏休みの間に準備や練習が入ってくる。クラスを縦割りにして3クラスで1団、合計8団を組んで対抗していくので、練習場所の確保なんか放っておけば要らぬトラブルの元になる。そのトラブルを避けるため事前の予約制にして生徒会が管理するようにしていた。


 もともと体育祭自体が生徒会の主催なので生徒会が絡んでくるのは当然。その手伝いのためにある体育祭委員に仕事があるのも必然なのだが、生徒会と一緒に取り組むほど重要な作業だ。それを委員長でもない里沙が昼休みの打ち合わせまで顔を出さなければならなくなったのはただクジ運が悪かっただけだった。

 翔子たちのおかげで時間通りに生徒会室に着いた里沙はこの直後に控えている会議のために用意した資料を眺めながら、さっきの逆ギレが尾を引いているのかついつい愚痴っぽくなっていた。


「なんでアミダなんかでこんな大事な人事を決めるかなー」


 資料の最終確認をしながら里沙が呟くと、横にいた男子につっこまれてしまった。


「もともと体育祭委員になる人はやる気がある人ばかりだからですよ」


 生徒会役員の一年生である多岐の一言に里沙は失笑だ。


「実際やる気と関係ない人間がなってるんだからちゃんと立候補で決めるべきだったね」

「決まってしまったんだから納得してください」

「はいはい、してますよー」

「そうして下さい。そろそろ皆さん集まる時間です」


 生徒会室に隣接する生徒用の会議室に人が集まってきていた。各部活動の部長、各団の団長、あとはすでに集まっている委員長を含む3名の体育祭委員と生徒会役員だ。

 今から実際に申請をするわけではなく、申請の仕方を確認して部活の大会日程や優先の順位なんかをはっきりさせていくのが目的の打ち合わせだ。

 今日までに生徒会と選抜体育祭委員だけの事前の会議を重ねて概要はしっかり決まっていた。

 その事前会議で割り振られた里沙の役割は申請受付の窓口でも利用調整でもなく、決まった予定を通達・告示すること。申請許可が下りた知らせをしたり、各施設に貼ることになるスケジュール表を作成し、決定、変更があればそのつど書き加えていく。頭を使うことはないが、学校中を駆け回らなければならない役目だった。

 連絡事項が主のこの日の打ち合わせで里沙が話すことは当然なく、終始資料をめくるだけの会議だったが、終わったあとに呼び止められた。


「お疲れ様です。授業後にもまた生徒会室集合ですよ」


 どうもこの役員で唯一の一年生・多岐に目を付けられているようで、里沙は申請係になってからというもの小言をもらっている。


「分かってまーす、言われなくてもちゃんと来るよ」

「夏休みなんてすぐなんですから、時間ないんでちゃんとして下さいね」

「はいはい、頑張りまーす」


 軽いノリで返した返事で、年下のはずの多岐に軽く睨まれた。ところが里沙は気にならない、どことなく多岐の態度から怒りを感じられないからだ。だから里沙はわざといい加減な態度を隠しもせず、多岐をイライラさせるのをコミュニケーションにしてしまった。

 多岐もそれを感じ取っていて理解しているらしいが飽きもせず口を出し、顔を合わせれば取り留めない口喧嘩だ。


「頑張るようには見えないですよ」

「メリハリですよ、おにいさん。頑張るタイミングが来ればやりますので、お許しを~」

「信じられません」


 雑用で残っていた他の生徒会の人たちがクスクス笑う雰囲気は里沙も意外に居心地が良くて運悪く任されたことでも実はそう苦にはなっていなかった。

 放課後、体育館に掲示板やスケジュール表を設置する場所の寸法を測りにやってきた。当然そこでは部活が行われていて、三村の姿ももちろんある。


「高峰先輩、ぼーっとしないで下さい」


 そういってくるのはもちろん多岐だ。

 仕事は分担しているので体育館に来ているのは里沙と生徒会の副会長・山田と多岐の三人だ。そんな少数の中で、里沙は単純にメジャーの端をもって押さえているだけ。だから視線はよそにやっていても差し支えはなかったが、サボっているようにも見える。

 この三人の中では一番背の高い副会長がメジャーをもって数値を読み上げていて、多岐はその傍で記録係だ。端を押さえている里沙とは少しだけ距離があり、部活の邪魔にならない程度に少し声を張って抗議する。


「えー、ぼーっとなんてしてないよー」

「してました」


 あっさり却下だった。

 しかし里沙もだからなんだと言わんばかりの態度であしらったらもちろん適当な返事に多岐の指摘が入る。


「ハイ、ハイ」

「ハイは一回で」

「定番のつっこみをするんだなー、多岐君は」

「つっこみではなくて諭したんです」

「はぁーい」


 里沙の間延びした返しに、多岐も飽きもせず反応する。


「先輩こそわざとですよね」


 この後に続く多岐の台詞を予想して、里沙はそれを遮るために先手を打った。


「あ、副会長。ちょっと曲がってる。で、なんだっけ多岐君」


 メジャー本体を持って計測している副会長は笑って里沙が右だ左だと言うのを大げさに対応して働いているアピールに協力してくれた。


「……わざとらし過ぎですよ」

「え? なに? ちゃんと働いてるでしょー」


 本当にわざとらしく言う里沙に多岐もため息を吐いて応戦だ。


「ハイハイ、そうですね」


 強調されたハイの声にノリノリで茶々を入れる。


「そっちこそじゃーん!」

「わざとです」


 口は動かすが、手もキッチリ動かす二人と一緒に居る副会長もそれを分かっているので二人を止めず楽しんでいる。


「二人は面白いね」


 そう副会長に笑われながら不真面目そうで、でも真面目に働いている最中も里沙はこっそりと三村を目で追っていた。

 真剣な顔でひたすらボールに向かっていく姿や、チームメイトとコンビネーションの反復練習をしている様子は、スポーツと縁遠い里沙には新鮮でとても格好良くみえる。一所懸命練習に打ち込んでいるその姿を初めてみた里沙はもう勘違いでもなんでもなく自分がときめいていることを自覚していた。

 測定を終え体育館を離れ、武道場や昇降口の掲示板など学校中の掲示予定場所も調べ終わり、そのあとも仕事のある生徒会役員と別れた。

 里沙は教室に戻り帰り支度し、まだ明るいが人気(ひとけ)のなくなった校舎を昇降口に向け一人で歩いていた。思い出すのはさっき見たばかりの体育館の風景。

 もっと観ていたかったような、でも目でも合ったら気まずかっただろうと微苦笑しつつ、思い出すだけでも十分心が熱くなる感覚を深く深呼吸でもするように体の中に大切にしまう。

 誰もいない階段。

 見上げる光取りの窓からは薄い雲が掛かった水色の空が見える。 


「好き…………だなぁ」


 小さく口にして実感。

 でも久本を好きになった時とは違う想いも里沙の中にあった。

 以前ならば相手に自分が好きでいると気がついて欲しい、同じ感情を相手からも得たいという想いが強く、それだけのために行動していた。

 でも、今は違う。

 好きだけど、友達でいたい。今のまま気の置けない友達になっていければいいと考えてしまう。

それは前の恋愛の痛みを二度と味わうことが無いよう防御のような発想だった。

 好かれたいけど深い関係にはなりたくない。その相反するような感情でも、今の里沙にとっては大切にしたい想いだった。

 相手のことは気になるが、気にしすぎない。気は引きたいけど、意識させない。

 暮れていく空を見てそんなことを考えた。

 それでも最終的にはやっぱり自然体で暮らしていこうと決意を固めて、颯爽と学校を後にした。

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