第34話 ピラミッドの春
五月四日、瞳は自宅の最寄り駅である白妻駅から地下鉄に乗って移動していた。
「瞳」
開かないドアの前に立っていた瞳に話し掛けてきたのは稔であった。偶然同じ列車に乗っていた。
「奇遇ね」
「ももの誕生日のこと、瞳は知っていた?」
「全然。ミカが教えてくれたのは先週よ」
「遅いね」
「そうね」
列車はトンネルを抜けて、高架橋の上を走っていく。日差しが急に車内に差し込んだ。弓をしならせたような曲線のカーブで、まんべんなく光が当たっていった。
「スプリングセンターだっけ」
「ええ、そうよ」
「七日堂はもうないんだっけ」
「ええ」
「アムスはまだ沢山あるのにね」
稔の言うアムスとは、アムステルダム赤丸というスーパーマーケットのことであった。発祥は隣の県であるが、多井平市内には多く出店している。
「
詳しいことはわからない。瞳は納得しそうな言葉を告げて、話に決着をつけようとした。
スプリングセンター駅に到着した二人は、改札を出てバスプールを通り抜けた。
七日堂の建物はまだ存在する。解体が行われる予定は公表されていない。七日堂が閉鎖されたことで、周囲の町並みも衰退の影が見え始めていた。
瞳の後ろをついて歩く稔。黒いブラウスの裾が歩くと揺れていた。
二人はバスプールから繋がる商業施設に入った。
その商業施設は七日堂と歩道を挟んで向かい合わせであった。五階建てのビルに複数のテナントが入っていた。
二階にある喫茶店が待ち合わせ場所であった。ミカは壁沿いのカウンター席に一人座っていた。テーブルには透明なカップに注がれたアイスティーが置かれている。
「ミカ」
瞳が後ろから声をかけた。ミカは後ろを振り向く。二人はミカの後ろに立っていた。
「行こうか」
カップを手に取って立ち上がり、椅子を元に戻した。店を出るとまず、言葉を発したのは稔であった。
「何するの?」
「何しよう」
無計画で乱雑な答えが返ってくる。だが、瞳にはその答えが嘘であることはお見通しであった。
「何もないの?」
「あるでしょ」
「ある」
「そりゃ、今日だからあるよね」
ミカは持っていたアイスティーを一口飲んだ。喉が少し潤わせてから温めていた作戦を二人に告げた。
「ももには、今日遊びに誘っている」
「ももはいないけど」
「集合時間は遅く伝えている。どっか遊びに連れてっていい思い出でもあげればいいかなって」
「いや、雑な彼氏かよ。もうちょいマシなプレゼント用意しろよ。これだけ時間あったのなら。小学生でも騙されんよ」
連続的な稔のツッコミにミカは目線を落として言い訳をした。
「瞳のプレゼントでお金使ったからさ」
「そうだったの?」
「冗談」
瞳の驚きを無下にするようにミカはボケ倒した。
「何かタチの悪い男に引っかかっているみたいになってきた」
「ちなみにどこに行くつもり」
「ここからだと、あるのはカラオケとゲーセン。あと病院とか……」
「病院は遊ぶとこじゃない」
「……そうだね。ミノもツッコミご苦労様。そろそろももが来るから移動しようか」
瞳と稔はミカの言う通りについていった。商業施設を二階から出るとバスプールを覆う形でペデストリアンデッキが設置されていた。ペデストリアンデッキは駅ビルと周辺の商業施設を結ぶ歩行者のみの専用道路となっている。
ペデストリアンデッキはつつじやパンジー等が植えられた花壇が、センターを分けていた。中央部にはピラミッドの春と呼ばれるガラスで造られたモニュメントがある。
三人は商業施設から駅ビルに入った。ももは何処で待っているのか。二人は知らない。
狭い駅ビルの通路をくぐって広場に出た。広場にはベンチが沢山置かれている。ここで座っている老人は多い。ももは窓側から三列目の真ん中に座っていた。
プライベートで不特定多数に紛れていてもどこか気風が表れていた。ももは三人に気が付くと、立ち上がり三人のいる方へ足を進めた。
「遅かったね」
「時間はぴったりだけどね。何だか時間がかかってね」
「いや、特に時間を伸ばすこともしていないけど」
四人は再び場所を移動した。
駅ビルの四階にカラオケ店があった。四人はエスカレーターを使って上へ上っていく。
四回はカラオケ店がフロアの全てを占めていた。エスカレーターを降りて、少し歩くと受付がある。
ミカが受付をちゃちゃっと済ませる。空いている為、すぐに部屋に通された。
部屋の中は暗い照明でそこまで広くない。十人以下で使用できる縦長の部屋であった。四人は等間隔に座った。最初にももがテーブルに置かれた端末を手に取る。
「何か頼んでもいい?」
「構わんよ」
瞳はメニューをいじるももを横から覗いていた。ページをめくって注文をしていく。やたら量が多い気がしていたが、何か言うと水を差す気がして言わなかった。
「注文した」
「ドリンク取ってきたら?」
「うん」
「私も行く」
ももと稔が部屋を出た。ガラス越しに映る二人が見えなくなったタイミングで瞳は近寄ってささやいた。
「結構頼んでいたけど大丈夫?」
「えっ、マジ」
「ええ」
ミカは一度頭を抱えたが、ため息をつくと何処か諦めたかのように告げた。
「まあ、たまの息抜きだし。誕生日だからあんまり言いたくないし」
「食べきれるの?」
「ももはどうにかしてくれると思っているから……答えなくちゃね」
「大丈夫?」
「足りなくなったら貸して」
ももと稔が戻ってくる。ミカは厳しい顔色をすぐさま変えた。
「ミカは紅茶でいい?」
少し前、出会うまで彼女はアイスティーを飲んでいたことを知らない。ももはミカが好きだから持ってきたのであろう。
「ありがとう」
「瞳はコーヒーと烏龍茶、どっちがいい」
稔が瞳の正面に二つのグラスを差し出した。
「烏龍茶貰うわ」
ももが再び端末を取り、曲を入れて歌っていく。マイクはももと稔も持っている。ミカは備え付けのタンバリンを振っている。瞳は別な方向に意識が飛んでいた。
歌と歌の間に店員が入ってきた。ももが頼んだメニューが次々と運ばれていく。ミカの目は死に始めていた。歯止めのない量が運ばれてくる。
店員がいなくなるとミカはラミレート加工されたメニューを手に取る。ももの視線は画面を向いている。何秒間かメニューを見ると裏返した。
瞳は小声でささやく。
「大丈夫?」
「今月は厳しくなりそう」
「割ってもいいよ」
「お願い」
ミカはテーブルに置いてあるピザを一切れ口にする。衝動的にどこかで忘れようしている。瞳もピザを一切れ手に取る。
ももが歌う曲は少し前に流行ったものであろう。それに対して、稔が入れた曲は最近の流行であった。
流行りに疎いミカには、それがどういった人物が歌うどのジャンルかなどわかりはしない。ただ、メロディが流れ歌詞がある。深い意味を感じなかった。
「瞳は歌わないの?」
稔は瞳に端末を渡した。
「じゃあね……」
瞳が端末を操作していく。ミカは横から端末を覗いていた。
「ああ、それ入れて」
ミカは入れてほしい曲を指した。瞳は言われた通りに入れていく。
「うーん」
曲が終わり、次の曲が始まる。次歌うのは稔であった。
歌い終えたももは瞳の右隣に座った。ミカと同じように端末を見ていた。
「選ばないの」
「ピンとこなくて」
「気分?」
「気分」
誰も稔の歌を聞いていない。本人もそれは気づいていた。歌っている当人をそっちのけで三人は端末を見ていた。
「いや、こっちは無視なの」
「まあ、面白いでしょ。たまにはこういうのも」
ももはそういってなだめた。ももは楽しんでいるようだ。ミカに一杯食わされたとその日二人は思った。
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