第26話 プルタブ
月曜日の放課後、荒部連の部室はミカと瞳の二人だけだった。部室の真ん中に設置されている長机を向かい合わせに座っていた。
あおと唯は来ない旨を予め聞いていた。他の人は放課後から三十分弱経っていることから来ないだろうと二人は考えていた。
瞳は備え付けのパソコンのキーボードを叩いている。叩く音からワープロを使っているだろうとミカは思っていた。
ミカはタイミングを伺っていた。そのため、チラチラ瞳に視線を送っていた。対して瞳は気にも止めなかった。
それだけ忙しいのか。ただ無視しているだけか。どちらにせよ、瞳から口にすることはない。
時刻は三時五十六分になった。スマホの時計はそう表示されている。ミカは急に立ち上がった。
「どうしたの?」
「暑くてね」
ミカは着ていたパーカーを脱ぎ始めた。パーカーを脱ぐと中に着ていたワイシャツが姿を現した。
「来週で五月ね」
「ああ、そうだね」
「ゴールデンウィーク終われば、事実上の運動会よ。早くない?」
「年取ると時間が早く感じるやつか」
「そんな年じゃないわよ」
「四十代になったら実質三年だって言うよね」
「年齢の話じゃないって」
「瞳おばあちゃん」
「そんなコントあったわね」
ミカはそうやって瞳をからかっていく。そんな時ほど気が楽なのである。
「窓、開けて良い?」
この部室はエアコンがない。窓を開けて風を取り入れたいのだろう。夏は風が熱風となって効果はないが、今の時期ならばそれほど風は暑くない。
「いいわよ」
ミカは部室の窓を開けた。窓は部屋の一面にしかなく、南向きに設置されている。ワンルームみたいな間取りであった。
ミカの皮膚は汗をかいているようには見えない。当人の体温が高いのか。それは本人にしかわからないことである。瞳はパソコンの画面から目を離し、窓を開けるミカへ視線を移していた。
「そういえばさ」
「ん、何?」
瞳は再びパソコンの画面に目を向ける。
「いや、何でもない」
ミカは窓の外を一望してから席に戻った。溜めてから言葉にすることをやめた。瞳は気にも留めない。
「そういえば、部室重なり問題はどうなったの?」
「あれは、園芸部と演劇部が手を組んでダークツーリズムを追い出したかったんじゃない。詳しいことはわからない。少なくとも園芸部は処分を食らったのは知っているでしょ」
「ええ」
「あれは事の重大さ上、調査は打ち切りになった。それがある意味正しいか」
「そうね」
引き下がる理由はある。でしゃばる意味はないことをわかっているからであろう。そうして余計な火の粉が自らに降りかかるようなことはしない。ミカはこう見えても肩入れをしないタイプである。
余計なことはしない。ミカがたまに口にしていた言葉の一つである。瞳は特に何も言わなかった。
「自販機に行ってくる」
「ええ」
ミカは立ち上がって部室から出ていった。カバンは置いたままである。瞳は目もくれずに返事だけした。もうすぐで資料は完成する。キーボードで打った文字を追うように目は動いていた。
瞳がパソコンの画面から目を離したのは、資料が完成した頃であった。パソコンの画面の右下に表示されている時刻を見る。ミカはまだ戻ってこない。
顔は天井を向いていた。真上を見上げて、天井の染みを数える。ずっと同じ体制でいたことが影響してか、疲労が肩や腰に現れた。
「終わった?」
タイミングを見計らったかのように扉を開けてミカが入ってきた。扉を閉めて瞳の方へ近づくと、持っていた缶を手渡した。
「くれるの?」
「たまにはええやろ」
「ありがたく貰っておくわ」
瞳は缶を受け取った。手のひらの中で何の飲み物か表面に書いてある文字を確認するために缶を回転させる。
「コーラ?」
「紅茶はなかった」
「普通ないわよ」
「いつの間にか消えた気がする」
瞳はプルタブを立てて缶を開けた。傾ければ喉に炭酸がどんどん流れていく。
半分くらい飲んでから瞳はミカを見た。ミカが持っている缶はコーヒーであった。
ミカはあまりジュースを飲まない。紅茶に砂糖を入れる様子も見たことがない。
知らないことはないわけじゃない。言われてみればということばかりである。
「コーラはホットが良かった?」
「そんなのないでしょ」
「あったら欲しい?」
「爆発するわよ」
「そのコーラ味薄いでしょ。昔はよそのコーラを薄めていると思っていた」
「仮にそんなの売ってたら、消費者舐め過ぎよ」
「このメーカーの商品は他と比べれば薄い気がする」
ミカは長机に缶を置いた。中は空なのであろう。
一息ついて、再び窓の外を眺めていた。ミカの位置から見える景色はグラウンドの端に植えてある木の先端ぐらいだろうか。
「それで、昨日メッセージで聞いてきた日付って何だったの?」
瞳は何も考えずに質問する。ミカはわからないのかいう顔をしていた。
まるで空気が読めないような言われっぷりに少し不快だった。瞳は今日の日付をスマホの画面で確認した。
「四月二十七日……」
「ノーヒントね」
瞳は首を傾げた。ミカは自分からネタばらしをしたくない。どうやっても答えを教えてくれることはないだろう。
「記念……」
瞳はミカの顔色を窺う。硬い表情は変わらない。
「ああ、もしかして……」
やっとわかったか。口元が緩みかける。しかし、瞳はその後が続かない。思わせただけだと気づくとミカの表情は元に戻った。
その時であった。瞳のスマホに通知が入る。文書には"おめでとうございます"という文字が最初にある。
「もしかして、誕生日?」
「瞳、今日誕生日でしょ?」
「忘れてた……そういえば朝、ケーキが何とかって言われたわ」
ミカはカバンからごそごそと音を立てて、紙袋を取り出して長机に置いた。
「誕プレ」
「ありがとう」
瞳は紙袋から中身を長机に置いていく。手のひらサイズの箱と包装紙に包まれた瓶が順に表れる。
瓶はミカが家にあった包装紙を自分で巻いたのであろう。部分的にしわが寄っていた。
「箱から開けるね」
箱を開けると、中から姿を見せたのはシルバーチェーンのネックレスであった。
「もしかして、チョーカーのお返し?」
「まあ、そんなとこ」
「あれは福袋に入っていた安物だから別にいいのに」
「それも結構安かったよ。二千円」
瞳はネックスレスを手に取ってチェーンを触った。近づいて見るもそれが二千円のモノとは思えない。
「これってチョーカーと同じブランドのネックレスよ。相場は安くても十万はくだらないわよ」
「それが、安く手に入る場所があるんだ」
にわかに信用できない発言であった。だが、ミカが誕生日プレゼントに十万も出すとは思えない。
そうなれば、渡されたネックレスは偽物か。あるいは盗品を持ってきたのか。どちらもあり得る。瞳の疑いは避けられなかった。
ミカも瞳の表情から自身を疑っていることはわかっていた。けれど、その疑いを晴らすには説明が必要だった。説明したくない。その考えが先行して疑いは晴らせなかった。
「まあ、いいわ。貰うわね。それでこっちの瓶は……」
重さと形状から考えれば中身の想像はついた。
「自分が喜ぶものを人にあげるって言うこと」
「まあ、そんなとこ」
「間違ってはいないわね」
瞳の顔に喜色を浮かべた。
「いいわ。今度美味しいお菓子でも作ってあげる」
「お願いします」
その約束は守られないかもしれない。この日常が続くことはあり得ないのだから。
「ミカらしいと言えばミカらしい」
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