5分以内に出ろ

岡村 史人(もさお)

5分以内に出ろ

 十数年以上前、私が免許を取得してまもない頃の話です。お金を貯めて安い中古車を購入した私は、週末ドライブにハマっていました。


 知り合いを経由して手に入れた格安の軽自動車。型も古くシートもすっかりヘタっているため、長時間乗るにはクッションが必要なほど。お世辞にも乗り心地はいいとはいえませんでした。

 しかしワインレッドの丸っこいフォルムは可愛らしく、何より私が勤め始めてから、一番大金をかけて購入したものです。すぐにそれは私にとって一番の宝物となりました。


 そんなわけで毎週末、土日のどちらかは必ずどこかへ遠出していたものです。


 私の住んでいる地方は山に囲まれていて温泉地が多かったので、基本的には地方の温泉地をメインに、ネットで色々な公衆浴場を探しては湯に浸かりに行ったものでした。


 ある日のことです。

 近場の温泉はあらかた回り切り、次はどこに行こうか?と悩んでいた矢先、友人から面白いサイトがある。と、あるサイトのURLが送られてきたのです。


 それは廃墟の写真を中心に取り扱っているサイトでした。

 廃墟なんて不気味だ、という人もいるでしょう。

 

 しかしそのサイトで扱われている写真はとても美しく、私はその廃墟独特の褪せた雰囲気や、昔は人が居たであろう場所の名残りに残る、なんというのでしょうか……その残滓のようなものに酷く魅せられてしまい、すっかり夢中になってしまったのです。


 ……いつか一度は、行って見てみたいものだな。

 そう思っていた矢先、その機会は思いのほか早く訪れました。


 職場で休憩中に読んでいた地方新聞の記事で、近くに廃校となった分校があることを知ったのです。


 それはその当時流行っていたゲームの映画化に使われた、ロケ現場の情報でした。その記事にあったのは取材協力の場所として掲載されていた場所の情報です。隣の市の名前が記載されており、ここからでも行けそうな気がします。

 しかも、調べてみると、件のURLにも同じ廃校の写真があるではありませんか!


 私にとっては晴天の霹靂へきれきです。


 矢も盾もたまらず、帰宅と同時に早速その場所をネットで検索します。場所はかなりの山間部にあるようでしたが、私の家からなら、朝早くに出立すればどうにか一日で戻ってこれる距離です。

 

 これは行かない手はない!

 そう思ったのを覚えています。

 

 ――今考えると見学をするのなら、その前に集落の関係者の方などを探して、電話の一つでも入れるのが筋だったのじゃないかと思います。

 こうやって思い出しながら書いている今でも、自分の非常識さに赤面どころの話ではないのですから。


 しかし当時の私は世間知らずの大馬鹿者だったのです。

 何のアポイントメントもなく、早朝に張り切ってその廃校に向けて車を走らせて行きました。


 集落までの道は思いのほか山深く、十分な舗装もされていない山道が多かったのを覚えています。

 免許を取りたてだった私は、冷や冷やしながらも、小さな軽自動車のエンジンを唸らせて、必死になって山道を上っていきました。


 漸く開けた場所に出てくると、小さな集落がみえてきます。集落は過疎化が進んでいるのか、人通りがほとんどありません。

 むしろ私がいるのが場違いかというほどに、人と会いません。しかし道はしっかり舗装されていましたし、目当ての廃校もすぐに見えてきたので、私は山道での苦労をすっかり忘れ、車を止めて敷地内に入りました。

 ……今考えると、これもまたルールとしてどうだったのか?と問われる話なのは、重々承知しております。


 木製建てで水色の外観で出来た廃校は、映画にでてきたものよりも、やや小さいように感じました。

 しかし映画通りのセットです。

 私は興奮を覚えて持ってきたデジカメのシャッターを何度も切りました。


 最初は外観だけ撮影して帰宅するつもりでした。というよりも、流石に中はどうせ閉まっているでしょうし、来れただけでも十分だと思っていたからです。


 しかし私も人間ですから、一通り撮り終えると少しだけ欲が出てきてしまったのです。そして、何気なく昇降口のガラス越しに中をヒョイっと覗き見ると……。

 

 ……あれ?


 玄関の戸口にコンビニのお弁当が置いてあるんです。


 ……もしかして、中に誰か人が居るのかも?

 試しに戸口を軽く引いてみると、鍵は掛かっておらず、扉はスルリと開きました。

 正直その時はラッキーだと思いました。

 廃校内に誰かがいるのでしたら、頼み込んで屋内を撮影させてもらおうと思ったのです。


 おずおずと中へ入ると、要所要所は綺麗にされていますが、埃っぽい空気が充満しています。


「すみません、どなたかいらっしゃいますか⁉」


 私は昇降口の前で、出来る限り大きな声を張り上げました。

 しかし、私の声が一瞬反響しただけで、内部から聞こえる音はなにもありません。


「……少し内部を撮影させて頂きたいのです。よろしいでしょうか!?」


さらに大きな声で叫び、私は戸口から一歩中に入ります。


 やっぱりいないのかな――?

 そう思いかけた時でした。 


 奥の方で――。


ザッ…ザッ…ザッ。


 と誰かが歩くような音が聞こえます。


 なんだ、やっぱり誰かいるんじゃないか。


 私は安堵と共に、慌てて音のした方へ向かいます。しかしそこには埃をかぶった古い布団が積まれた部屋があるのみです。

 布団はもう何年も使われた形跡はありません。


「……誰か、いませんか?」


ザッ…ザッ…ザッ。


 すると今度は逆の方向。

 私が今さっきまで居たはずの場所から、はっきりと足音が聞こえてきました。


「あのう、すいません!」


ザッ…ザッ…ザッ。


 追いかけるようにその場所へ行くと、別の方から足音が。

 

ザッ…ザッ…ザッ。


 また近づこうとすると別の方から足音が。

 

 近づこうと、近づこうとして、遠ざかる足音。

 まるで狐につままれたような気持ちで耳を澄ませてみて、私はこの音の違和感に漸く気付きました。


—―あれ?この音、ひょっとして外から聞こえてるんじゃないか?

 

 耳を澄ませてみると、先ほどよりも音がよりクリアに聞こえます。


ザッ…ザッ…ザッ。


 踏みしめて誰かが歩いているような音。そこに微かに草をかき分けているような、そんな音が混じっています。

すぐそばを歩いているのなら、窓越しに人影の一つでも見えていいはずなのに――。


「……風の音を聞き間違えちゃったのかな?」


 校舎内に響く”足音らしき音”は、どうやら廃校の周りをぐるぐると回っているようでした。


――そんな風の音って、あるんだろうか?


 こんな風音は、今まで聞いたこともありません。

 まさか……でも、そんな筈はありません。

 だって先ほどまで外に居た私は、人っ子一人みていないんですから。


 さてどうしたものか?


――ガタリ。


「うおっ!?」


 一旦外に出るべきか?と逡巡していると、二階から物音が聞こえて、私は声を上げます。


 古い校舎だから、きっと風で物が動いたのだろうと思います。


 それに、これだけ声を張り上げても人が現れないとなると……。

 きっとこれもまた物音に違いない。


 多分、もうその時には薄々わかってはいたのだと思います。

 けれどその時は――好奇心が勝ってしまったのです。


 いや待て。こうなったら腹を括って、二階まで人がいないか調べてやろう。


「す、すみませーん……二階、誰かいるんですかー?」


 わざとらしく確認の声をあげながら、私は階段を上り始めます。


 当然、二階に上がっていく間も校舎の周りを歩き回る様な、あの奇妙な音はずっと聞こえていました。

 しかし腹を括ったためでしょう。

 階段を昇り終える頃には、『古い校舎は風の音が通りやすいんだろう』と自分を騙せる位には気持ちが落ち着いていました。


 二階を登り切ると、階上の窓ガラスから光が差し込み、安堵の気持ちが降りてきました。

 廊下の突き当たりの教室から差し込む光も、とても心地よく美しい様相です。


 特に階下から見下ろした一階へのアングルは、あのサイト内にアップされていたものと同じだったので、それを実際に見た私は、先ほどまでの奇妙な体験などすっかり忘れ、思わず持っていたカメラで撮影をしていました。


――他に撮影できる場所はないかな?


 この時点で目的は、ほぼほぼ変わっていたと言ってもいいでしょう。

 二階を見回すと、美術室と書かれた教室と、一番日差しの良い廊下の突き当りに教室が一部屋ありました。


 まずは美術室かな?そう思い引き戸に手をかけた瞬間です。


「うわっ!」


 取っ手のあまりの冷たさに、私は驚いて手を離しました。

 季節は真夏だというのに……。そのぞっとするほどの冷たさに、私は不快感を覚えました。


「……日陰だからか?」


 誰に言うでもなく呟きながら、おっかなびっくりとほんの数センチだけ扉を開きます。

 ……カーテンで覆われた薄暗い部屋の中に、埃を被った石膏像や地球儀が置かれ、絵画とイーゼルが乱雑に置かれています。

 ここはいいか。私はそれ以上扉を開ける気になれず、すぐに扉を閉じました。


 そうなると残すところは、廊下奥にある日当たりのいい教室のみです。

 扉を開けた瞬間、私は感嘆の声を漏らしました。

 そこはまるで舞台のセットのようでした。

 木造建築の古い壁。木製の窓には捻り締り錠がついていて、いかにもレトロといった雰囲気です。

 きっとここに教壇と学生机と椅子があれば、いまにもキャラクター達が登校してくるのではないかというほどに、それは見事に良い”塩梅”の雰囲気でした。


「これはまた、良いものをみたなぁ」


 廃校なんて初めて足を踏み入れましたが、先ほどまでの不気味な雰囲気や嫌な気分に怖気づいていた自分をすっかり忘れて、私の気分は上がっていきます。


 ――しかし黒板をみた瞬間、私の顔は一瞬にして凍りつきました


 黒板の真ん中には、一枚のポスターがしっかりと貼り付けてありました。

 

 そして一言—―。


『この部屋から5分以内に出ないと死ぬよ』


 そう書かれていたのです。


 最初は、撮影の人が不測の事態で残していった小道具なのかと思いました。

 しかし、原作ゲームにそのような文言が出てくるシーンはありません。


 なによりポスターを描いた人物には、あまり絵心があるとは言えず、デザインもいかにも素人臭いのです。


 なら、誰かのいたずらなんだろうか?


 しかし、悪戯にしてはそのポスターは凝りすぎています。

 しっかりと絵具で彩色され、明らかに時間をかけて描かれたそれは、黒板にしっかりと貼り付けてあるのです。

 これが悪戯ならば、何か意図があるとしか思えない程です。


 そんな微妙にアンバランスなポスターに書かれた文言に、背筋がひんやりとしました。


 撮影や、舞台のロケで来た人が面倒臭がって残していったのか、それとも私と同じ目的で来た人の悪ふざけなのか?


 何にせよ、良い気分ではありません。

 けれど、このポスターを見ただけで怯えて帰るのも、大人のプライドに触りました。


 ――バカバカしい、そんなことあるわけないだろ。


 黒板は敢えて無視する事にして、私は撮影を始めました。


 しかし、意識していたつもりはありませんが、撮影を始めてからなんとなく分数を

数えていたのでしょう。

 2、3……もうすぐ5分になるというところで、私はふと思い立ちます。


 最後にあのポスターを記念に撮影して、友達にでも見せてやろう。


 廃校舎の教室。黒板に貼られた不気味で気味が悪いポスター。

 客観的に見れば、シチュエーション的には『美味しい』ほど良い環境です。最後にあのポスターの写真を撮って皆に見せれば、きっといい話のタネになるぞ。


 そう思って被写体をポスターに、シャッターを押した瞬間でした。


ゾワッ……。


 画面がブレる程の悪寒が私の背筋を走ったのです。


――なんだ今の⁉


 そう思いながら腕時計をみると、もうすぐ5分が経過します。


 何故でしょうか?

 どうしてかここに居てはならない。そんな焦燥感に駆られ、私は慌てて教室から全速力で外に出ます。


すると――。


ギシッ……


 廊下を出てすぐに、階段の方から聞こえた床の軋みに、私は身を強張らせてそちらを振り返ります。


ギシッ……ギシッ…… 


 また聞こえます。

 いえ、むしろこちらに近づいてくるような――?


ドン!


 その途端、目の前には誰もいない筈なのに、まるで複数の人間が足を踏み鳴らしたような大きな音を立て、二階の床を震わせました。


ドン! ドン!


 誰もいない筈……いえ、違います。

 私は、もしかしたら――。

 

ドン! ドン! ドン!


 そんな事を思っている間にも、足音は確実に近づいてきます。


 ここから逃げなくては……けれど教室は突き当たりです。近づいてくる足音から私は逃げることもできません。


ドン! ドン! ドン! ドン!


 ならば、教室に……?

 いえ、何故だか絶対に入ってはならない、そんな強烈な嫌悪感を覚えた私は、廊下の壁に追い詰められたまま、立ち尽くします。


ドドドドド……!


 もう足音は、複数の人間がこちらに向かって走っているようにしか思えない程の地響きと音を立て、こちらに近づいてきます。


 こういう時ホラー映画だったら、きっと絶叫でもするのでしょう。

 しかし不思議なもので、恐ろしいと思っているのに、喉がつかえて思ったように声がでないのです。


 私は恐怖に身を縮こませ、突き当りの壁に必死で縋りつきながら、ただただ近づいてくる音に震えました。


 もう駄目だ――。


ドン!!


 ……私の目と鼻の先で、床が鳴った音を皮切りに、足音はピタリと止みました。


 先ほどとはうって変わり、誰も、何の音も聞こえません。


 恐々と辺りを見回しても、そこにあるのは静寂のみ。先ほどまでうるさかった風の音すらほとんど聞こえません。


――なんだったんだろう、今のは。


 ようやく震えも収まり、自分の事態を把握しようと頭を巡らせたところで、私は最も重要なことを思い出しました。


 ……これ、完全に不法侵入じゃん。


 そうです。誰も居なかったわけですから、早々に立ち去らねばなりません。


 というより、冷静になってみると今までやってた自分の行動の非常識さに、別の意味で嫌な汗が吹き出てきました。


 ガクガクと震える足を必死に動かしながら、転ばぬように階段を下りると、「失礼しました!」と誰もいない校舎に声をかけて、私は逃げるように立ち去ったのでした。



……この話はここで終わりです。


 なお、私の建造物への不法侵入に関しては……。


 現在は非常識な振る舞いであったと、大変反省しております。


 皆様、どうか真似をなさらぬよう、くれぐれもご注意ください。


 そして、私の当時の行動につきましては、どうか時効ということで、お許し頂ければ幸いです――。



 ……もしかしたら私はあの日、知らない“何か”にそれを咎められたのかもしれませんね。



-----------



 さて余談にはなりますが、何故このような話を書き出したかと申し上げますと、先日部屋の大掃除をした際に、件の古いデジタルカメラが出てきた事にあります。


 実に十年以上ぶりの再会です。

 懐かしさにUSBをパソコンに接続してみると、幸いにもデータは残っており、当時撮影した廃校の写真も出てきました。

 あの廃校は、既に取り壊され今はありません。


 そして、あの当時の恐怖を思い出したという次第なのですが……。


 ――不思議なことに、あのとき撮影したポスターの写真が一枚もないのです。


 正面から写したポスターの写真はブレてしまったため、もしかしたら私があの後、消してしまったのかもしれません。


 けれど、教室のどのアングルの写真にも、あのポスターは全く写り込んでいませんでした。


 ――まるで、ポスターだけがあの教室から消えてしまったように。



 あのポスター、本当にあったんでしょうか?




 ……ただの偶然ですよね?

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5分以内に出ろ 岡村 史人(もさお) @Fusane

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