第12話


 開け放たれた美術室の窓の外、こおおと春風が吹きすぎてゆく。


「なんで、きよすえさんが、せいちゃんのことを知ってはるんですか?」


 美術室らしい絵具染みのついた床の上を、メグリの右足がつっとすべって、半歩だけ下がるのをトウマは見た。警戒心丸出しだなー、ムリもないかーとトウマが思っていると、横から星が『あららー』と口元に手をやった。


『あれ、返答次第では攻撃しますの、タメだよ』

「は⁉」

「清末さん」

「はいっ⁉」


 メグリに名を呼ばれてぎゃっと顔を向けると、メグリの両手が、なにやら奇妙な形に組み合わされて、彼女のやや腰を落とした右骨盤上に構えられている。


「――返答次第では、こちらにも対処のしようというものが」

「うわああああ! まってまってやだ勘弁してェ! 違うヤダ敵とかそういうんじゃないって‼ だからその手ェ! 何してんのかわかんないけど今すぐ止めて下さい!」

「ほな、はよ言うてくださいよ」


 ドスの効いたメグリの声にビビリ散らかしつつ、トウマは、ずびしっ! と星の鼻先を指さした。


「星さん! 星さんここいる! ココ! 今! この人、アタシにとり憑いてんの!」

「――――なんて?」

「だからっ」


 ぜーはーぜーはーと、肩で荒い呼吸をくり返してから、トウマはようやく背筋を伸ばして「はっ」と息を吐きだした。


「星さん、亡くなったあと、ずっと君の守護霊やってたんだ」

「は?」


 メグリがぽかんと口を開けた。手で作っていた何かの構えの形が崩れる。


「こないだ、メグリが絵をばら撒いて、アタシがそれにぶつかったろ? それが原因で、星さん、アタシのほうにスリップしてきちゃったんだよ」

「スリップて」

「詳しい理屈はアタシにもわかんないけども、メグリの描く絵には魂がこもっているからとかどうとかで、ええと、なんだっけ、――座? とかいう、多分、とり憑くための対象ポイントが、メグリからアタシに移っちゃったらしいんだよ」

「移――えぇ?」

「……うん、気持ちはわかるけど、嘘を言ってないことだけは信じてほしい。そういうわけで、今、星さんはアタシに憑いてるんだ。――それで」


 ちらりとトウマが星に目を向けた。

 星はゆっくりと頷いて、トウマに近付くと、その耳元に唇を寄せた。ささやかれる低くて甘い星の声に、その内容とは関係なく、トウマの心臓が跳ねあがり、びくりと身体が揺れた。


 メグリの目から、今の星の姿は見えていない。だから、目の前でトウマがただ頬を赤らめて顔を歪めていることしか見えない。つまり星がわざわざトウマの耳元で内緒話にする必要はなかったのだと、トウマが気づいたころには、すでに星はトウマから半歩身を離していた。

 トウマは眉尻を下げると、親指で星を指してみせつつ、メグリの目を見た。


「アタシが傍にいないと、メグの力が半減するんだって。星さん、そう言ってる」


 メグリの落としていた腰が上がる。ゆっくりと肩が下がり、ゆっくりと、その顔が俯けられた。


「――そうか、それで、急に見えにくぅなったんや……」


 ややおいてから、「はは」と力ない笑いが、メグリの唇から零れ出た。


「ウチ、情けないな……一人で十分やれとるつもりで、全然やないか。全部、星ちゃんが助けてくれとったからできとったんか……混じりモンでも十分やれるて啖呵きって、できとるつもりでおって……あほみたいや」


 歪んだ笑みの、その目許で、うっすらと光った何かがあったように見えたが、トウマは、視線を外して見なかったフリをした。

 ややおいてから、メグリは両手で自分の前髪をかきあげると、きっと鋭い目をトウマに向けた。その面に、さっきまであった落ち込みの残滓は、すっかり掻き消えていた。


「ええと、まず、ご迷惑をおかけしました。すんません」

「ああ、いや。そこはまあ、大したことないというか」

「でも、実際巻き込んでますし、さっきかて、清末さん、琥珀こはく柘榴ざくろに入りこまれる寸前でしたやん」


 ――ああ、いや、たしかに、大したことは、あったな。

 とたん、唇に触れた甘い香りと、口の中を這いまわったものの記憶がよみがえってきた。トウマの脳内に、「あああああ!」と頭を抱えてうずくまる自分と、その周りで愉快にサンバをおどる自分が出現する。


 いや、いかん。今はそれを思いだして見悶えしている場合ではない。


「まず、順を追って説明します。ウチは白家しらいえメグリ。この白家いうのは母方の姓で、ウチの母方は、ミカン島という島にルーツを持ちます」

「えっと、……みかん?」


 とたん、口の中にじゅわっと甘酸っぱい柑橘の味と香りがよみがえる。しかしメグリは首を横に振りながら「おいしいあれとちゃいます」と即座に否定した。筆箱から鉛筆を取り出し、スケッチブックの白紙にさらさらと字を書きつけてゆく。


「漢字でおんと、それからわっかのかんを組みあわせて、御環みかんとう、と書きます」

「ほあ」


 珍妙な声を漏らしつつ、トウマはその目にその文字を焼きつける。


「御環島は、鳥取と島根の県境あたりから、西北へ向けていった先にある小さい島なんです」

「その当たりっていうと、たしか隠岐おき諸島があるんじゃ」

「はい。その近くではありますが、別の島です。で、御環島は、地図には載っていません」

「――はへ?」

らずの島、ということです。御環島は、日本政府――正確には、先の大日本帝国の時代に、主祀しゅしじんと島民に対する不干渉と独立権をもぎ取ってるんです」

「不干渉って、え?」

「つまり、島で信仰している神を奪わせない。島民を徴兵させない。国家主導の強制勤労につかせない」


 指折り数えながら「この三つが主な事項です」上げられた内容に対し、さすがのトウマも眉間に皺を寄せる。


「そんなん……戦時中に可能、なのか?」

「ですから」


 メグリが長い睫毛をぱちりと瞬かせる。

 窓から風が吹き込み、彼女の銀の髪と、白いプリーツスカート、それから、モスグリーンのタイが揺れた。


「それに見合うだけの貢献が、島から国家に対して行われた、ということです。そして、それは主祀神の力によってなされたことで、結果、糾える禍福のげんの如く、当然、代償が残されました。それを被っているのが、福を得たウチら島民と、それから――本土の人間と国家、つまり、日本の全部です」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る