第2話 笑い者の聖女
「ヘレナ! ヘレナ!」
遠くで自分を呼ぶ声がする。曇って鮮明ではない声。それは、ヘレナが最も信頼している先輩聖女―アミーカの声に聞こえた。
―ああ、助けが来てくれたのね。これで私も一緒に浄化されてしまうんだわ
自分の最期を悟るヘレナ。自分の力はやはり及ばず、先輩聖女に尻拭いをさせる結果となったのだと分かる。
「……ごめんなさい。アミーカさん。私は最期まで笑い者の聖女です」
「何、言ってるの。ヘレナ」
「へ?」
「……だって、私は祈祷中に魔獣に食べられて……」と言いながら、ヘレナは目の前に見慣れた顔が覗きこんでいるのに気が付いた。
「アミーカさん? なんで」
「やっと目を覚ましたのね。ヘレナ。あなたよく頑張ったわ。魔獣の浄化に初めて成功したのよ」
魔獣に呑まれたって聞いた時は血の気が引いたのよ、と言って、涙ぐむアミーカ。嬉しそうにほほ笑む彼女を見ても、ヘレナは未だ状況が理解できずにいた。
心身を摩耗させながら魔法を完遂し、気付けば先輩聖女の膝の上にあおむけになっている。その周りには、遠巻きにこちらを見ている街の人の姿が見えた。彼らは、たしか、ヘレナが魔獣からかばった者たちである。彼らは少し気まずそうにこちらを見ていた。
どうやら、ヘレナが気を失っている間に魔法は効果を成したらしい。ただ、浄化が起こる直前、体内で放たれた力に違和感を覚えた魔獣がヘレナを吐き出したのだという。
「うわ、ほんとだ。なんか全身べとべとなんですけど……!」
唾液か胃液かよくわからない液体が体中をぐっしょりと濡らしている。聖女服の頭巾で覆われていたおかげで髪はいくらか無事そうだが、前髪と顔はべたついている。
「さいあく……。匂い取れなかったらどうしよ」
ため息をつくヘレナの横で、アミーカが苦笑いを浮かべる。
「でも、よかったじゃない。はじめて祈祷魔法が成功したんだから。今日は記念日よ」
嬉しそうにアミーカが笑う。
彼女はずっとヘレナを近くで励ましてくれた存在である。力が弱いせいで、街の人に馬鹿にされても、先輩たちは皆ヘレナの味方でいてくれたが、彼女はその中でも一番ヘレナを気にしてくれていた。だからこそ、彼女がヘレナの成功を誰よりも喜んでくれていることが嬉しかった。
しかし、それと同時に思うこともあった。それは、先ほど近しく感じたばかりの魔獣のことである。
「……ってことは、あの魔獣はもういなくなっちゃったんですね」
自らの手で魔獣を浄化するのは、今までずっと目標にしていたことである。だが、ヘレナは彼の痛みを肌で感じた分、思っていたよりも彼に感情移入してしまっていたらしい。
思わぬ喪失感に襲われるヘレナ。しかし、彼女の少し沈んだ表情を見たアミーカは、首を小さく横に振った。
「ううん。それが、実はいなくなってないのよねぇ」
少し困ったように、後ろを振り返るアミーカ。彼女につられてヘレナも後ろを振り向く。すると、大きな白い塊が地面に横たわっていた。
「………え? なにこれ」
思わずつぶやく。すると、アミーカは苦笑いを浮かべて言った。
「……ええと、だから、この子が、ヘレナが浄化した魔獣なのよ」
よくよく見て見れば、白い塊は生き物のようだった。呼吸をしているかのようにゆっくりと上下するそれには、所々痣ができて、切り傷も数か所にわたって見受けられる。大きな翼を背にしまい、目をつぶっている生き物。それは思わず目を奪われるほどの綺麗な顔で眠っていた。
「……もしかして白竜?」
童話でしか聞いたことのない生き物。東方の国では、神の使いとして崇められていると聞く。そんな幻の生き物がどうして魔獣の姿になっていたのか、ヘレナの脳内が疑問符で埋め尽くされた。
アミーカは困った顔をして、頬に手を当てて言う。
「実は、そうらしいの。しかも、この白竜、聖獣じゃないかって話になってて」
「聖獣?」
ピント来ていない様子のヘレナに、アミーカはかみ砕いて説明してくれた。
「聖獣は、国の守り神みたいなものなの。天界から召喚されて、先の大聖女様がずっと大切にされていたらしいの。私たち聖女たちと同じで、この国の安寧のために存在するものなのよ」
「その聖獣が何で魔獣に?」
「詳しい理由は分からないわ。でも、この国の聖獣は大昔に行方が分からなくなって、しばらく空席だったの。だから、何となく辻褄もあうんじゃないかって」
何らかのきっかけで魔獣となり、姿が変わっていたたために、行方不明になっていたのなら、この白竜が聖獣である可能性もないとは言い切れない。
それに、そもそも白竜なんて童話の中でしか見ないような生き物である。そんな幻の生命体がそう何匹もいるとは思えない。
「……っていうか、そもそも、この白竜ってホントに私が飲み込まれていた魔獣が変化したものなんですか?」
いぶかし気な視線を送るヘレナに、困った顔をするアミーカ。だが、目撃証言があるのだという。
ヘレナが魔獣に食べられたことで、多くの者は逃げ出した。しかし、その中に一人、腰を抜かして動けなくなったがいるのだという。それが今回の目撃者ということらしい。
運のいいことに、魔獣はヘレナを飲み込んだ後、消化できない異物を腹に入れて苦しがっていたらしい。おかげで彼は害されず、一部始終を見ていたのだという。
「魔獣が聖獣に、なんて。にはかには信じられない話ですね」
「でも、見ていた人がいるんだもの、きっと本当なのよ」
アミーカはちらりと野次馬に目を向ける。その中にいた一人の青年と目があったらしく、見られた彼はびくっと体を縮こまらせた。恐らく、彼が一部始終を見ていた人物なのだろう。ヘレナにも見覚えがある。彼が一番ヘレナを馬鹿にしていた人物だった。
―でも、なんであんな顔してるんだろ
顔を真っ青にして震える青年。彼のリアクションを見て、ヘレナは何となくアミーカが今どんな顔をしているのか知らない方が賢明だと判断した。
ヘレナはくるりと向きを変え、白竜を見つめる。
「アミーカさん。私、ちょっと近くで見てきていいですか?」
「良いけど、気を付けてね。寝ているように見えるけど、本当は今どういう状態なのか分からないみたいだから」
現在、その手の知識に詳しい学者を呼んでいるらしい。それが到着しない限り、竜の容態はわからないのだという。
ヘレナは横たわる白竜に近づくと、その体表にそっと触れた。
ひんやりとした硬い鱗は近くで見るととても繊細で、力を入れたら壊れてしまうのではと錯覚するほどである。まるで、薄い氷の結晶で覆われているかのようだった。
少し視線を上げ、眠る白竜の顔を見つめる。薄水色の長いまつ毛が目元に影を落としている様は、この世のものと思えないほどに美しかった。
「……きれい」
思わずこぼれる。
―作り物みたいにきれいだけど、ちゃんと呼吸はあるみたいだし、生きてはいるのよね?
穏やかな寝顔から判断するに、もう痛みは感じていないのだろう。ヘレナはほっとするのと同時に、ほんの少しの寂しさを覚えた。
「……本当はこんなに綺麗で、しかも聖獣だったなんて」
綺麗な身体に残る、小さな無数の傷を見ながらヘレナは思わずつぶやいた。
自分の痛みには気づいてもらえず、人々に石を投げられ、途方に暮れる悲しみを分かっている者同士。いつの間にか親しみが湧いていた。
しかし、生まれ持った能力の低さゆえに、否定され続けて来たヘレナと、魔獣の姿に変化したことで人々に忌み嫌われてきた聖獣。やはり自分とは違うのだということを思い知らされる。
今回はじめて魔法が成功したものの、実感はあまりない。それに、自分の力が急に強くなったとは考えにくい。もしも今回がまぐれだったならば、きっとこれからも自分を取り巻く環境は変わらないのだろう。それを裏付けるかのように、今もこちらに目を向ける民の目は、冷ややかなものであった。
「怠惰な聖女が急にやる気を出したってか?」
「おそすぎだろ。しかも、一旦は魔獣に食べられるほどの鈍臭さだぜ」
「私、食べられたって聞いたときさすがに笑っちゃった!」
「まぐれの奇跡で助かったな」
「毎回食べられないと浄化できないんじゃね? 全身体液まみれで、かっこもつかねーな」
口々に言う野次馬たちの声が耳に入る。自分を嘲笑う発言ばかり。アミーカが止めさせようと奮闘しているようだが、それも耳にいれるつもりがないようで、盛り上がる悪口大会は終わりが見えない。もうすっかり慣れてしまったはずの状況が、今はなぜか胸に突き刺さって仕方なかった。
―あぁ、いつまで私はこうなんだろ
頭の中で思わずつぶやく。するとその時、思いもよらない出来事が起こった。
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