聖女なのに魔獣に食べられたので、もうおしまいです。
枦山てまり
第1話 怠惰な聖女
―終わった……
そう思った時にはもう、ヘレナは魔獣の腹の中だった。
何も見えない真っ暗な空間は、じめじめとした湿っぽさを漂わせている。度々、魔獣が咆哮を上げているらしく、空間がブルブルと振動しているのを感じる。先ほどまで真っ向から受け止めていた、耳をつんざくような鳴き声が少し籠っているのを感じ、ヘレナは自分の置かれている状況を改めて理解した。
「……聖女が祈祷中に魔獣に食べられるなんて、どこのコメディ漫画の話よ」
苦笑いを浮かべて、ぽつりと自虐をこぼす。ははは、と笑ってみたものの、途中でいたたまれなくなってしまった。
魔獣とは、未だ発生源が明らかにされていない未知の生物である。奴らは魔力を持ち、人里に現れては人々を襲う。魔獣から民を守るのが聖女の勤めであるのだが、ヘレナは現在腹の中にいた。
「東洋の『魔法少女もの』ってやつでも、敵の怪物は変身シーンを待ってくれるものなんでしょう? 少しくらい術が発動するのを待ってくれてもよくない? ひどくない? あんまりじゃない?」
だんだんと行き場のない憤りが沸き上がる。しかし、それもすぐに静まった。
「……どうせ、私の術が完全に発動したってあなたは私に浄化されるわけないんだから、少しくらい待ってくれたっていいじゃん」
幸か不幸か、丸飲みにされたため傷はなく、痛みもない。だが、こうして普通にしていられるのにも限界があるだろう。恐らくはじっくりと魔獣の養分になっていくのだ。
「……あーあ、こんな最期いやだなぁ」
ずっと馬鹿にされる毎日だった。
12才の頃、聖女としての資質を見出され、教会に引き取られたものの、ヘレナの力はささやかなものだった。小さな魔獣すら浄化することができず、できることといえば、せいぜい弱った花を元気付けることくらい。
教会で共に学ぶ他の聖女たちが度々魔獣の脅威から街を守っているにも関わらず、ヘレナは18歳になった今まで一度も魔獣の駆除に尽力できていなかった。
それどころか、街の人々には『怠惰な聖女』という不名誉なあだ名まで付けられ、仕事に出る度に石を投げられた。
―「お前なんかいらない!」
―「教会の献金はお前みたいな聖女のためにあるわけじゃない!」
―「金食い虫!」
自分の実力が乏しいことくらい、自分が一番よく分かっている。そのことに対する苛立ちは、自分が一番感じているところだ。
だからこそ、少しでも街の力になれるよう努力してきたつもりだった。
―それなのに
見回り中、突如現れた魔獣から咄嗟に街の人々を守ろうとしたヘレナは、祈祷魔法の詠唱中に魔獣の餌食となった。
「……ずっと使えない聖女だったのに、最期は皆の前で魔獣に食べられた、なんて。世界で一番まぬけな聖女だって、永遠に語り継がれるんだろうなぁ」
口にしたせいか、自然と涙が込み上げてくる。涙で視界が歪んでいく。しかし、涙がこぼれたその瞬間、ヘレナは不可解な現象を目にした。
こぼれた涙が地面に落ちる前に、小さな光を纏って弾けたのである。
「……なにこれ」
よく見ると、身体全体が薄い光の膜に覆われているのが分かる。視線を下ろした先で、まだぎゅっと組んだままの両手から小さな光がこぼれていた。
「……もしかして、魔法はまだ続いてる……?」
魔法を発動しきる前に魔獣に飲み込まれたため、ヘレナの祈祷魔法は未だ継続していたらしい。
光の膜はヘレナを覆い、彼女を守ってくれているようである。
「……まだ希望はあるってこと?」
膜がヘレナを守ってくれるなら、彼女は消化の危機から免れることになる。だが、素直に安心してはいられなかった。
―この効力がいつまで続くかは分からない。それに他の聖女が駆けつけたら、私はこの魔獣と一緒に浄化されちゃうかもしれない。
「どっちにしても、私のピンチは変わらない、か」
魔法を完全に発動したとしても、ヘレナの力では恐らく浄化することはできない。この膜が弾けて、ヘレナは再び魔獣の養分に逆戻りである。
―でも
「どっちにしたって終わりなら、やってみるしかない!」
ヘレナは最期の覚悟を決めて、立ち上がった。
組んだ両手にぎゅっと力を加え、祈りの続きを口にする。魔獣浄化のための長い詠唱。教会で祈りながら学んできた今までのことを回顧すると、鼻の奥がじんと痛むのを感じた。
―これで終わりだとしても、私の命がここで尽きるとしても、最後くらい誰かの役に立ちたい
できることなら、この魔獣の脅威から街を守って終わりにしたい。
全身全霊を込めて、祈りを唱える。すべての言葉を口にし終えた時、彼女の周りを強い光が包んだ。
―!?
目を開けていられないくらい強い光に、ヘレナは思わず目をつぶる。その瞬間、身体がひしゃげるような強い痛みが全身を巡った。気がおかしくなりそうなほどの強い痛みの中で、意識が少しずつ遠ざかっていく。
―やっぱり駄目だったのかもしれない………
そう諦めかけた時、脳裏に覚えのない記憶が流れ込んできた。
鬱蒼とした森の中、ふと目を落とした湖畔に自分の影が映っている。
―……これって、さっきの魔獣?
大蛇のような姿をした真っ黒な魔獣。身体中の鱗を逆立ててこちらを威嚇していた姿が重なる。
―ってことは、これはあの魔獣の記憶なのかもしれない
そう思った瞬間、次は痛みに加えて、耐えがたい空腹が襲い掛かってくる。痛みと空腹にもがき苦しみながら、何か食べ物がないかと森の中を這いずり回る。すると、出くわした人間に石を投げられた。
―痛い。苦しい……!
罵声を浴びせられながら、石が自分めがけて飛んでくる。そんな恐ろしい状況に、ヘレナは覚えがあった。
―「お前なんかいらない!」
―「教会の献金はお前みたいな聖女のためにあるわけじゃない!
―「金食い虫!」
憎しみのこもった眼差し。耳に響く嫌な声。飛んできた石に傷つけられ、血がにじんだ身体。そのすべてがヘレナには覚えがあった。
―そっか。あなたも苦しかったのね
この魔獣は自分と似たような苦しみを味わっている。そう分かると、先ほどまで恐怖や怒りの感情を向けていたはずの相手が、今は不思議と近くに感じられる。
まるで大切な誰かを想うような、あたたかい気持ちがヘレナの中に溢れてくる。
―きっと、私の弱い力じゃ、あなたを助けることはできない。……でも、できることなら、せめて他の聖女が来る前に、あなたの痛みを少しでも取り除いてあげたい
それが、彼の痛みを、身をもって知った自分がすべきことだとヘレナは思う。
まっさらな聖女服に汗が滲み、己の命が削られていくのを感じる。息も絶え絶えになりながら、ヘレナは最後の力を振り絞って祈り続けた。
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