エリスは今日も笑えない
真朱マロ
前編
エリスは今。
人生最大の危機に陥っていた。
うやうやしく捧げ持った小箱の中から、ちょこんと顔を出した自分の契約獣を目にして、悲鳴を上げる事こそ耐えたが顔色は蒼白である。
入学式の時に配られた契約獣の卵に自分の魔力を注ぎ、二週間たった今日。
魔法の授業で齲窩(うか)の呪文を用いて、生涯の相棒になるはずの魔法生物が生まれたのだ。
授業中であるから周囲は同級生ばかりで、そこかしこに契約獣と初めて対面した喜びの声にあふれている。
エリスとて、契約獣との対面は嬉しい。
けれどだけどどうしても、生理的にダメな姿かたちがあるのだ。
そろそろと自分の契約獣に目をやって、キョトンと首をかしげる白い蛇の姿に「くっ」と低く唸って、エリスは天井を見つめる。
あざと可愛い仕草であっても、蛇はどこまでも蛇でしかない。
商家とはいえ街中で後生大事に育てられたエリスは、毛の生えてない生き物は苦手で、長くニョロニョロとうねる蛇体が純粋に怖かった。
今はまだ手のひらサイズだが、契約獣は主人の経験や魔力の扱いの上達とともに、真の姿が巨大化していくと聞いている。
自分の姿より大きく育ち、見下ろしてくる白蛇の姿を想像してしまったエリスは「ひっ」と怯えて小さく震えてしまう。
「せ、せんせぇ……」
助けを呼ぼうとしたなけなしの勇気は、シュルリと手首を伝って肩に乗った白蛇が、親愛のキスの代わりに頬をチロリと舐めたことで吹き飛んだ。
声もなく意識を失い、そのままバタンと倒れてしまった。
見事に目を回し気絶したことで小さな騒ぎが起こったが、波乱万丈を突き進むことになるエリスにとって、ほんの序の口の出来事なのであった。
エリスは名前こそ美麗だが、いわゆるガリ勉眼鏡だった。
庶民にしてはそれなりに裕福な商家の出で、生まれ育ったのも図書館があるそれなりに文化的な街で、6歳から10歳までは初等部として学校が整い、読み書き等の教育の場を領主が代々継続して用意している、王都には叶わないまでも国内では抜群に教育熱心な地域の出身である。
そういった数々の幸運な事情に恵まれ、エリスの知的教養は早々に開花した。
初等部の教育だけに飽き足らず、休憩時間や放課後に教員を捕まえて教えを請い、休日ともなれば図書館に通い、庶民が受けられる教育の中では最高峰である魔法学校を目指すことを周囲の大人たちも支援した。
そんなこんなで勉強漬けだったエリスは、初等部を卒業したのちも図書館で行われる特殊教育講座に通い、みっちり三年間勉強して見事魔法学校に合格したのである。
本来、魔法学校は貴族の嫡子外、いわゆる次男三男といった爵位を継げない者の受け入れ場所だったが、エリスのように才能のある者は貴族籍がなくても領主の後見を得る事で学ぶ機会が得られる。
卒業後も領地に貢献する役人の職に就く事も約束されているから、高給取り間違いなしで、希望あふれる未来がエリスには待っていた。
だから。
ちょっとぐらい愛嬌がなくても。
ちょっとぐらい運動が苦手でも。
オシャレ感なんて皆無で「ガリ勉眼鏡」とか「地味亀」とか初等部時代に悪口を言われても、エリスはちっとも気にしなかった。
清潔にだけは気を配り、堅実の権化と笑われても猪突猛進した結果が魔法学校の入学なのだから、教育講座の受講資格を取得できなかった人たちが、悔し紛れに揶揄しているだけだと思っている。
難関と呼ばれる入試試験を突破し、夢であった魔法学校に入学したのだから、悪口ぐらい多少の誤差だろう。
コツコツと前に進んできたのだから、地味亀上等なのである。
入試の結果も上位三位という華々しいもので、どうだとばかりに顔を上げて胸を張って学園に入学し、こうして授業が始まるのを楽しみにしていた。
それがどうだ。
相棒の契約獣が蛇。
エリスの苦手なものナンバーワンである、毛のないニョロニョロ。
背筋のゾワゾワが止まらす、怖すぎて目も合わせられない不幸な邂逅であった。
がっくりとエリスはうなだれていた。
今は授業の合間の休憩時間で、ガヤガヤと生徒たちの話声はにぎやかだし、自分たちの契約獣を見せあって話に花が咲いている。
その楽しそうな様子を横目に見て、エリスは良いなぁ~とうらやましく思う。
みんな、鳥やリスやハムスターのようにどこかモフモフした小動物で、ちょっと大きいものだと犬や猫もいる。
可愛い。他人の契約獣だが、実に可愛い。
存在しているだけで癒される契約獣って、人生のご褒美ではなかろうか。
チラリ、とエリスは自分の腕に巻き付いて、ウトウトとまどろんでいる白蛇を見る。
エリスが蛇に驚いて気絶した日から四日も経ったので、気絶しない程度には慣れたが、やっぱり目が合うと背筋がゾワゾワして困る。
あまりにエリスが挙動不審なので、白蛇の方も遠慮をしているのか様子見をしているのか、付かず離れずだけど信頼感などちっとも育たず、相棒としての距離感も縮まらない。蛇の名前すら決まっていないていたらくであった。
それに、と小さくため息をつく。
エリスの契約獣は特殊過ぎたのも心配の種であった。
白蛇は神様の御使いとされているが、それは神殿等に属する古参の神と同格の恐れ敬うもので、契約獣としては前例がなさ過ぎて能力も未知数なのである。
森で見かける蛇と似た契約獣の前例はあるらしいが、蛇の種類それぞれで特殊スキルが変わってしまい、どうやら一貫性がないらしい。
先生方が文献をひっくり返して調べてくれているが、白蛇というのはかなりのレアケースらしい。
とはいえ、レアだからといって嫌われているわけではない。
「数年前には空クジラが出てきてねぇ~あの時は時化封じのスキルが判明するまで大変だった」などと教授は笑っていたが、大変自慢をされると肩身が狭い。
そのクジラ先輩は、今では海運都市で港の安全を保持して大活躍されているらしいが、エリスには全く関係ない話だ。
むしろレアな契約獣の能力が都市を救う系だったので、エリスの相棒に対する期待とハードルが勝手に上がった気がする。
先生方や面談した教授たちは目をキラキラさせて、エリスの白蛇と色々とコミュニケーションをとろうとしていたが、エリスのことは視界に入っていないから落ち着かないことこの上なかった。
手のひらサイズの小さな蛇に何ができるのだろう?
自分の考えに没頭していたエリスは、いつのまにか授業が再開されていることに気が付かなかった。自分の契約獣との邂逅で気絶するような人物として、ちょっぴり遠巻きにされ、休憩時間に喋るような友達もできていないから仕方ないともいえる。
ただそのために、盛大に出遅れてしまう。
オリエンテーションのペアを組むことに気が付いた時には、すでに誰も余っていなかった。
ひとりぼっちである事に気が付いて、ガーンとショックを受けていたエリスだが、同じく一人だと申告する声に期待の眼差しを向けて、更にガーンとショックを受けた。
エリスとは違う意味で目立っているその少年は、どこからどう見ても悪ガキだった。
ちゃんと制服を着ているはずなのに着崩れているように見え、声ひとつとっても元気いっぱいで、みるからに運動神経が良さそうで、考えるよりも行動するタイプのがさつさがあって、ついでに口も悪そうなのだ。
すなわち、エリスとは真逆のタイプである。
おそるおそる先生にペアがいない事を申告すると、少年も期待を込めた眼差しをエリスに向けて、秒で目のハイライトが消えた。
得意のベクトルが真逆だと、説明されなくてもわかるのだ。
お互いに声は出さなかったけれど、心の叫びが「チェンジ!」とハモった瞬間である。
けれど、先生は無情だった。
ニコニコと笑って「足して割ればちょうど良さそうだね」と絶賛したのである。
「それに、契約獣がレアな子同士だから、相性も悪くないわ」
契約獣も種族によって得意な魔法や分野が違うので、未知の存在がペアとして固定していたらと、いろいろなアプローチを試しやすいとホクホクしている。
そんなぁと心の中でぼやいても、拒否権はなかった。
強制的にペアが確定してしまい、困惑しながらもエリスは少年に手を差し出した。
「私はエリス。よろしくね」
「俺はアレス。仕方ねぇからよろしくしてやる」
ツンツンとした物言いで、パンッと軽く手のひらタッチをされて、エリスは目を丸くした。
握手をするつもりだったので驚いたけれど、手のひらタッチは意外と仲良し気分を盛り立ててくれた。
名前まで暴れん坊っぽいけど、わりと良い奴かもしれない。
そう思うと、なんだかうれしくなってきた。
「エリスの相棒は蛇なんだな。可愛い顔してる」
興味津々の様子でツンツンと人差し指で触ってくるので、エリスはヒヤヒヤしたが、蛇はまんざらでもなさそうにチロリと舌を出して笑ったように見えた。
なんとなくホッとして、アレスの後ろに背中を見せて座っているモフモフをエリスは覗き込んだ。
アレスの契約獣はフォルムが犬で、中型犬ぐらいの大きさがある。
「アレス君の相棒はもふもふだね、毛並みが綺麗」
触らせてもらえるかな、とウズウズしたところで、違和感に気付いた。
なんだか頭の数がおかしい。
クルリと振り向くと、猛々しい犬の顔が三つ並んでいた。
どこからどう見ても地獄の番犬と同じ種族で、エリスを見上げる眼も鋭くて凛々しい。
「かっ……かっこいいね」
なんとか絞り出した渾身の誉め言葉だった。
自分の契約獣の蛇と付き合うのも大変そうだが、これからペアを組む相手の契約獣の面相が凶悪なので、どうやって付き合っていいのか悩ましい。
震える声でなんとか笑顔を維持したけれど、背筋がゾワゾワするエリスなのであった。
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