桃終笑

碧月 葉

最後の春

 遠くの山々はまだ真白く輝いている。

 北国の冬は厳しく、長い。

 故に、待ちに待ったこの時。


『目覚めよ』


 青い鱗が煌めく二匹の龍を従えた少年は、晴れやかな笑みを浮かべながら命令を下す。

 彼が背中の翼を羽ばたかせると、温んだ空気が大地に流れ込み、私たちは動き出した。

 春神はウインクをしながら、私の上空を通り過ぎていった。



 良かった。

 ちゃんと息吹くことができて。

 今年の冬は大雪で本当にしんどくて、越せないかと思ったわ。

 折れた腕は戻らないけれど、仕方ない。

 私はもうヨボヨボでシワシワのおばあちゃんですもの。

 また、あの人に会えるというだけで儲けものよ。


 私を育て、慈しんでくれたあの人。

 私は繊細で、病気にも弱く、傷つきやすい。自分で言うのも何だけれど、本当に面倒な生きものなの。


 私は今年で35歳。

 よく生きた方だと思うわ。

 あの人が愛情と情熱を持って私と接してくれたから、ここまで元気に生きてこられたのね。


「君たちのお陰で息子の忘れ形見を無事大学に出せた、ありがとうな」


 かつては畑を飛び回っていた孫ちゃんが巣立っていったあの日、畑で見せたあの人の笑顔と涙は、私の誇りであり宝ものよ。


 充実した年月だった。

 雪深い冬も、寒い春も、雨ばかりの夏も、灼熱の秋も。

 特にここ数年はおかしな天気が多かったけれど、それでも一緒に乗り越えてきた。

 


 私はどうして「桃」だったのかしら。

 私たちは成長が早く早熟で、その分老化も早いのよ。

 そう、桃の寿命は10年から20年と言われているの。

 私たちと並び称される桜や梅はもっと生きる。

 一般的に100年、200年という寿命の木が多い中、桃はかなり短命な方ね。

 世の中には数千年を生きる木もいるというから、この世は平等じゃないわね。

 

 でも同じじゃないから、私は「桃」としてあの人を支えることができた。

 なかなか難儀なものね。


 時が欲しい。

 あと10年、生きられたとしたら、あの人を送ることもできるかもしれないのに。

 あの人の生きがいとして、時を共にすることができるのに。

 まぁ、欲を言ったらキリがないけれど。

 

 

 うーん……よいしょっと。


 ほら、蕾が綻んだ。

 濃いピンクの可憐な花、今年も咲かせてみせるわ。


 そして私は、最後の果実を孕むでしょう。

 樹勢は衰えているから、そんなに多くの実をつけることはできない。けれど、濃厚な香りと甘みをたたえた、私にしか出せない味を実らせてみせる。

 

 きっと最後の春。最後の夏。最後の秋。

 その後、私は一足先に土へと還る。


 温かい陽、柔らかい風、鳥たちの囀り、虫たちの擽り……。


 ああ、春なのね。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桃終笑 碧月 葉 @momobeko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ