第15話

 神楽坂 雛人の事務所があるビルは、都心でもひときわ静かな場所に建っていた。

香澄が受付で名前を告げると、先日の編集者が出迎え、「先生は奥で待っています」と無機質に案内される。

廊下を進むと、磨かれたフロアタイルが微かに光を反射し、まるで高級ホテルのような印象を受ける。

扉を一つ越えてようやく“作家の執筆部屋”らしきスペースにたどり着くと、そこには黒いシャツを着こなした神楽坂 雛人の姿があった。


 「また会ったね。

正直、少し驚いたよ。

僕を問い詰めたいのかな、それとも……」

そう言って振り返る神楽坂の瞳には、あのパーティーで見せた妖しい光はあまり宿っていない気がする。

むしろ、どこか淡泊な空気をまとっていて、机の上には整然と並ぶ複数の端末が見えた。


 香澄は胸の高鳴りを抑えきれず、しかし唇を噛んで一歩踏み出す。

「先生の作品が……AIで書かれた部分が多いって、本当なんですか。

編集者さんからも聞きましたし、世間でも噂になっています。

私は、あの倒錯的で耽美な世界こそ、先生自身の魂だと思っていたのに……。」


 神楽坂はゆるやかに首を振る。

「魂、か。

そんな大層なもの、僕にはもう残っていないよ。

売れるもの、求められるものを作るのに効率がいいと知った時点でね。

読者が欲しがる要素をリサーチし、AIに文章を生成させ、最後に僕が調整する。

そうして生まれた“神楽坂 雛人”という虚像が、今の僕のすべてだ。

……君は、そんなものを崇拝していたわけだね。」


 あまりにも投げやりなその言葉に、香澄は心が軋むような痛みを覚える。

「でも、私が送ったファンレターのフレーズや、あの倒錯したイメージの断片……。

先生は『面白い』って言ってくださったじゃないですか。

それさえAIに食べさせただけなんですか?

先生自身は何を感じていたんです?」


 問い詰める声がわずかに上ずり、神楽坂は薄い笑みを浮かべる。

「そりゃあ、君の手紙は“良質のデータ”だったよ。

他のファンとは一味違う情熱が伝わってきたし、AIに学習させるには面白い素材だった。

……ただ、それを僕自身が“感情”として受け取ったかと言えば、正直に言うと、そんな余裕はもうない。

数年前までは自分で書いていたが、それも限界に達して……今はAIを操る監督みたいなものだよ。

読者に刺激を与えた分だけ売れるし、君のように勝手に燃え上がってくれる人もいる。」


 そのあまりに冷淡な語り口を前に、香澄の中の絶望は大きくうねり始める。

「私が、勝手に燃え上がっていただけ……。

そうかもしれないけど……だったら、先生はなぜ私をパーティーやオフ会に招待したんですか。

何がしたかったんです?」


 神楽坂はわずかに目を伏せ、「編集者が“君がますます作品にのめり込む様子”に興味を持ってね。

AIの文章にどこまでのリアリティを与えられるか、君の反応をテストにしたかった」と呟く。

あまりに身勝手で空虚な言葉だが、その裏に何か潜む焦燥のようなものを香澄は感じ取る。

しかし、彼が奥底に抱えているであろう葛藤に思い至る余裕など、いまの香澄にはなかった。


 「……もう、いいです。

私は、ずっと先生の小説に助けられていたと思ってたんです。

自分の倒錯的な欲望を肯定してくれる世界がそこにあるって、救われた気持ちになってたんです。

でも、本当に何もなかったんですね。

ただのAIと、先生の打算だけ……。」


 それだけを言い切ると、香澄は震える足で部屋を出ようとした。

しかし、ドアノブに手をかけた瞬間、神楽坂が低く呟くのが聞こえた。

「……なあ、本当に何もなかったと思うのかい?

君の手紙を読んで、僕は……」


 思わず振り向いた香澄の目に映ったのは、戸惑いの色を宿した神楽坂の横顔だった。

けれどそれも一瞬のことで、彼はすぐにいつもの冷笑に戻ってしまう。

「いや、何でもない。

もう帰ってくれ。

夢から醒めたなら、それでいいだろう。

AIに騙されていたと知ってまで、僕の作品を愛し続ける必要なんかない。」


 こうして破裂しそうな胸を押さえながら、香澄は事務所を後にする。

エレベーターが静かに降りていくたび、目頭が熱くなるのを感じても涙は出なかった。

ただ激しい喪失感と、出口のない怒りだけが交互に襲いかかる。

あの作品世界が幻だったなんて、未だに受け止められそうになかった。

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