septet 07a 脱出/消失のパズル、増殖のパズル-10-

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septet 07a 脱出/消失のパズル、増殖のパズル

彼はどうにも穏やかな気持ちだった。

当初の絶望的な気持ちは変わったように思えないのだけれども、諦め受け入れることで辛うじて得た平穏だろう。

一つの部屋にいたのだがこれは内側からは開けて出られない部屋……独房だった。

その実、身に覚えがない殺人事件だかの容疑者に仕立て上げられて十分な取り調べもないままにここに放り込まれている。

「見事な・立派な人権侵害」と言いたくなるようなケースなのだが冷静に考えずとも見事でも立派でもないひどい話だ。

ただし収容はされたのだけど、どうも彼は犯罪者の房ではなく精神病棟に割り振られているようだった。

大人しくしている分には酷い扱いもされまい、と顔色を伺っていたが、今朝から妙な雲行きになっている。


朝方に「どすん」という大きな音とともに建物全体が揺すぶられるような大きな地震があった。

彼は一旦目が覚めてから暗い室内を見た。

揺れの感覚が残っているのか見る物がブレてピンボケしていた。

身を起こすと倒れそうなので寝たままでいると布団の中、隣に人の気配があった。

彼は薄目を開けたけれど目の前に人の姿は無い。

独房に他に人がいるわけはない、大方寝床を間違えた浮遊霊か何かだろうと考え、何があってもご飯の時間まで目を閉じたままでいよう、と彼は決意して眠ってしまった。

彼が朝遅く目覚めると、布団にはひとり切りで間違いないのだが、違和感に襲われた。

観察をしてようやく分かったのだが、これまで収容生活中に自分のつけてしまった痕跡が、部屋の中から消えているのに気がついた。

深く寝ている間に、房を変えられた形跡がある。

事実、窓から見える景色……向かいの建物の壁面と窓の見え方が微妙に変わっていた。

間違い探しであれば指摘しづらいものだが、つまり見える角度が違うので号室がずれた、と思うほかない。

人が寝ている間ならば、内装を変えることよりは別の部屋に放り込む方がずっとたやすい。

何らかの事情があったとしても、起きてる時に言われれば大人しく引っ越しに従うのに、どうしてこんなことするのか。

そう思ったが別段腹も立たなかった。

新しい部屋は入りたての客室と同じように新鮮な気持ちで彼を迎えてはいたのだから。


この引っかかりについては、ほどなく向こうからの訪問で解消されることにはなった。

白衣を着た医者のような老人が訪れ、部屋の中央に座る彼の真正面に来て置いた椅子に座った。

「ご機嫌よう、B1013さん」老医師は言った。

「こんにちは、先生」彼は答えを返した。

「その、「B1013」て呼んでいいのだね」

「もちろんです。僕は今のところそれがしっくりするので」

「1012でも1014でもなく?」

「しっくりしないですね、そちらは」

老医師は少し考える顔をした後、話題を変えた。

「ところで何か夢を見ましたか」

「さぁ、あまり覚えていません。強いて言うならばここに入院してることこそが夢のようですね」

「上手いことを言うね」老医師は微笑んではいるけれど、傾聴する振りだけのように見えた。

それからいくつかの質問をされたがそれは以前に受け答えしたものばかりで、何故今更そんなことを訊くのか彼は怪訝に思った。

老医師はそれではまた、と出て行った。

改めて一人になって彼は考えた。

何かを探ろうとしていたようだったが、彼の方は別段思い当たるものはない。

隠し事をしたいものもなく、もっと具体的に訊かれればこたえられるのだけど……彼は思った。

そういえば新しい部屋で目覚めてから妙に身体に違和感があった。

まるで自分の身体じゃないような、しっくりしない感覚。

そうした中で明確に異様なものが見つかった。

シャツを少しはだけた時に、左の鎖骨さこつの少し下にごく小さな薔薇ばらの線画が出現していた。

くっきりとしてボールペンでの描線のようだったが、触れてみると悪戯書きなどではない、刺青いれずみで彫られたもののようだった。

生まれてこのかた刺青をいれたことなどない。

自分がこの部屋に放り込まれると同時に何者かに勝手に彫られたものか。

そして自分の身体の他の部分を見てみると、ほくろの知らないものをいくつか見つけた。

自分の肉体が、別人のものになっている?とその時に初めて気がついた。

ドアの向こうから声がして解錠された扉から背の低い男性の看護師が入ってきた。

見かけない顔だった。

「初めまして、看護師のササキです」違和感のありまくる顔つきでそう言いながら入室してきた。

「こんにちは」彼は自己紹介はせずに軽く挨拶だけ返した。

「えーとお機嫌いかがでしょうか」

「まぁぼちぼちです」よく分からない答えを返したけれど看護師は気に留めずにうなずいただけだった。

看護師が何か言おうと口を開けかけた時にドアから老医師が入ってきた。

「申し訳ないがもう一度……なんだね、君は」老医師は部屋にいた看護師に気がついて声をかけた。

「あ、いえ、もう終わりました」看護師は何もせぬまま顔を隠して入れ替わりに出て行った。

しばらく老医師は怪訝な顔をしていたが、部屋に椅子を置き、彼に対面して再び語り始めた。

「Bの1013くん。やはりもう一度話したいことがある。その前に、君からは質問は無いか?」

「質問ですか」彼はぼんやりした眼で宙空を見つめてから訊いた。「僕は前の部屋に戻らず、いつまでもここにいるのでしょうか」

「……結論として君は前の部屋には戻らない」医師はそのまま答えた。「君が以前の部屋から移された理由は君がその部屋を使えなくなったからだ。以前の部屋には既に一人利用者がいるので」

「おかしな話です。ここの空き部屋に僕を回すくらいならそちらの利用者をこっちに入れたらよかっただけの話でしょう」

「向こうにその部屋をそのまま使わせるために君の方はこちらに移ってもらったのだよ。君は何も思い出せないか」

「……なんのことですか」

「今、向こうの部屋にいる利用者はBの1013。君だ」

「僕、ですか」

「もう一人、別の部屋にも一人、Bの1013がいる。今、この病棟には君が3人いる」

「先生、患者は僕の方です。先生の方がおかしくなったらみんなが困ります」

「私たちにも訳が分からない。明け方に大きな地震があったのは知っているかい?で、この建物も大分揺れたのだが、その際に病棟の患者たちの部屋を確認したら君の部屋に3人の君がいた。同じ顔の人間だった。よく見てみると、顔以外に僅かずつ違いがあるようなのだが、3人の中で誰が本物なのか、残る2人が何者なのかが分からない。……あなたは本物か」

「そう言われると……答えようがありません」彼は言った。「僕とおなじようなのが2人いるんですか」

「この病棟には10室の部屋があるんだが、昨日までは7人の患者がそれぞれの部屋にいた。ところが地震の後、人数が10人に増えていた」

彼は指を動かして数えてから医師に話した。

「7人が10人に?3人増えたんですか」

「一人ずつ割り振ったら10の部屋が埋まった。君が移されたのは10番目の部屋だ」

彼は勘定をしたが、10番目の小指を曲げることができなくてぴくぴくさせた。

「僕が1人から3人になったのなら増えたのは2人でしょう。9人になてるはずです。でも10人ならもう1人増えていることになる、どこからか紛れ込んだ謎の人物を追求すればいいのでは?」

「それがどの患者が新しく発生したのか、職員全員が分からなくなっている。地震の影響なのか、院内のシステムがおかしくなって混乱中で、患者も職員もデータが混乱している」

「その、僕と同じ部屋にいた他の2人に会わせてもらえませんか」

「今は無理だ。院内は混乱中で職員の対応も難しくなっている。私にしても会わせるべきか否かの判断が難しくてね、混乱の収束次第だ。重ねて訊くのだが何か心当たりはないか」

「まるで。僕自身がここに閉じ込められている理由と同じで、今だに何が起こってるのか分からないんですよ」

「そうか」老医師はため息をついてから、白衣のポケットから封書を一つ取り出した。「他の二人にも眼を通してもらったが、君宛ての手紙が来ている。心当たりはあるかい?」

受け取った封書には、宛名で施設の住所に「B-1013殿」とあり、差出人には「みすず」とだけ書かれており、住所はなかった。

「誰だ」と彼は中の便箋を取り出した。


『こんにちは。貴方とは面識がありませんが、貴方の方は私の名前に心当たりがあるかもしれません。もうじき貴方を閉じ込める壁の中からの脱出が行われるかと思いますが……』


ドアの方で慌ただしく人々の声がした。

「先生、来てください、緊急で」顔を出した若い看護師が声を中にかけてきた。

「どうした」老医師はそちらに返事をした

「……号棟の患者たちに……」

老医師は立ち上がりちらりとこちらを見た。

彼は読みかけの便箋を持ったまま老医師にうなずいた。

「どうぞそちらを。また後ほど」

老医師は手紙を取り返そうかつか、悩んだようだが部屋を後にした。

「あ、後は私が」扉が閉じられる前に代わりに男が一人滑り込んできた、さっきの小柄な看護師だった。

扉が閉まる間際、看護師は隙間にスリッパを落として閉じ切らないようにした。

「何か」

「先ほどはどうも。向こうも立て込んでいるみたいなので手っ取り早くしませんと。ちょっとだけね、上のシャツを脱いで欲しいんですよ」

もう口調も職員らしさを装わずにきた。

「何を、言ってるんです」

「それだけを、それだけ済んだら後は結構なので。ね」

「どうしてなのか、理由を伺っても」

「ただ確かめたいことがあるんです。理由は説明するので先に」

「理由を先に」

「ああ、ただちょっとだけ脱いでくれればいいんですよ、どうして分からないかな、時間が無いってのに」男は苛つきながら言った。

厄介なことになってるようだ、と彼は思った。

彼は自分の胸に浮かび上がっていた薔薇の刺青を思い出した。

この男にそれを見せてはいけない気がしてきた。

身の回りに身を守るものがないかを探そうとしたが、生憎あいにくない。

相手はどことなく荒っぽさに慣れきっているような自信が感じられた。

「まったく手荒なことは好きじゃないんだがね」男はそう言って隠し持っていたカッターナイフ……閉鎖病棟内にどうやって持ち込んだのか、……手に持って彼に飛びかかってきた……。

が、次の瞬間、あえなく組み伏せられていた。

男も驚いていたが、彼の方も驚いていた。

「なんだよ、これ」彼の身体の方が動き方を心得ているようだった。

「畜生、畜生」うつ伏せにされ片腕を捻り上げられたにせ看護師はしきりにうめいた。「お前、胸に薔薇の刺青が彫ってあるだろう、お前の身体は俺の身体だ畜生!返しやがれ」

「何言ってるんだ、訳が分からない」彼は言いながらも、自分らしくない動きのできるこの肉体の本来の持ち主についてはその通りかと思わざるを得なかった。

「説明してくれさえすれば協力できるかも」優位に立ったらしいと感じた彼はそう言って贋看護師に言うと、相手は舌打ちして身体から力を抜いた。

「ああ、教えてやるからどいてくれ。まったくこの身体の元の持ち主は不摂生が過ぎるぞ、メタボ野郎が」

彼がどくと、贋看護師は手足を回しながら床にあぐらをかいた。

「俺は脱獄王のサタン田中だ」

なるほど、コイツはまぎれもなく患者だな、と彼は思った。

「ちょっとした手違いでこんなところに入れられちまった。普通の拘置所ならば脱獄のノウハウもあるんだが精神病棟はまだ脱獄したことがなくてな。それでも画期的な脱獄方法を思いついたんだ。……個室に身代わりを置いて自分は職員の振りをして閉鎖エリアから出ていく、どうだ完璧だろう」

とりあえず相槌を打った。

「だが思った以上に、ここはものの揃え方に制限があった。持ち込めるものが刑務所以上に厳しいんじゃないか。そこで俺は奥の手を使った……悪魔を呼び出して脱獄の手助けをさせる」

悪魔を呼び出した時点で外に出れるよう指示したら良かったんじゃないか、と彼は思ったが野暮やぼな気がしてあえて言わなかった。

「職員を気絶させて制服を奪い取って看護師の振りをして出ていく。そいつはまぁ簡単だが美しくない。脱獄王としてあまりに無様ぶざまだ。美学として華麗に出ていく時、俺の脱獄に誰も気づかないようにしていくことが出来ないか考えてな。身代わりとしてまったく別の人間を置いていけないかというオーダーを出してみたんだ。病棟の患者の全7名の他に1人増やして、そいつを身代わりに置いていく。

「悪魔はうなずいてそれをやりおおせた。それがな……あいつは大馬鹿野郎だ。妙なことをしたおかげで7人が8人……おまけにもう1人どこからか紛れ込んだ。9人になっていた。」

彼は自分の分身らしき2人までは思い当たったがもう1人は何者だ?

「ああ、10人いるそうだな、今は。1人はヘマをした悪魔自身だ、しばらく個室で反省するとよ。当然だ。まぁ人間の患者としては9人だ」忌々しそうに贋看護師は言った。「本当にあいつはどうしたもんだか。「人間を1人、密かに増やす」というのにどうやったと思う?7人の患者の上下をずらしながら二つに切り分けてな、一つずつ、ずらしてくっつけて一人分増やしてたんだ。パズルの古いのであるだろう?横長のイラストで並んだ人物画。上下に分割されたものを組み替えると人数が増えたり減ったりする錯覚のパズル遊びだ。それをやっちまった。全くの無から人体を作るのが手間がかかるとか言って。しかも増量サービスと抜かしてもう一人分増やしたらしい。余計なことをしやがって。

「余計な一人分も含めて端の方の人間には頭が無い人間も生まれたようで、さすがにまずいと2人分の頭はコピーで生やしたようだが、あんたと同じ顔を2人見た。本物はどれかは分からんがあんた方が特に増殖した人間だと思われているのはそういうわけだ」

傍迷惑な……と流石に憮然とした。

すると僕はは元からいた人間なのか、コピーされた頭を据付けられたダミー人間なのかが分からないわけだ。

「そういう訳だ。無粋ぶすいで不本意だが職員を薬で眠らせて、そいつの制服を着込んでエリアから抜ければ脱獄は完成するが、俺自信の身体の方がここに置き去りになる。こんなメタボボディなんぞで娑婆しゃばに出たくなんかない。他の患者を確認してきて残る1人はお前だ、俺の元の身体を返してもらってから出ていく予定だ」

「なるほど……ってあなたに身体を返したら僕の方はどうなるんですか」

「ひとまずこのメタボボディがあるぞ。節制すればきっとましになる」

「よしてください。あなたがいた種でなんでそんなのを僕が背負い込まなくちゃいけないんですか。悪魔に元に戻させるのは……」言いかけて彼は止まった。

無頭の身体に載せられたコピーの頭の行方が気になる。

頭部だけで取り残されるなんてのは、それはそれで酷い話だ。

「時間が無いんだ、悪魔がやってくれた院内システムの妨害、今の混乱の最中が出られるタイミングだ。なあ、その身体を返してくれ。このカッターは悪魔の使ったカッターだ、痛みはないそうだからちゃっちゃと済ませるから。な?な?」

刃物を持って近づいてきたところを、彼の身体の方が反射的に動き贋看護師を殴り倒してしまった。

ごめんと一応言ったが相手は聞いていなかった。

ま、刃物を持った相手に油断できるものか……と伸びた相手を見下ろしながら彼は思った。


看護師の制服に着替えた彼が、廊下に出てくさびにしていたスリッパを外し扉を閉じると、個室は施錠された。

棟内は慌ただしく人が行き交っている。

閉鎖病棟のゲートの前まで来るとほとんど誰何すいかも無しにそのまま通過を許された。

建物の中は混乱中で、廊下には人が寝転んでいたり物が散乱していた。

大変だな……と思いつつ修羅場の現場を通過して建物のロビーまで彼はやってきた。

出口に繋がる廊下には数人の職員の中で対応に追われている老医師の姿が見えた。

一瞬目が合った。

気づかれたか、と思ったが老医師はそのまま眼をらして周りの職員に何か指示を出していた。

受付に軽く手をあげながら風除室を抜けて病院の玄関に出た。

外はまるで世界の終末を控えたような清々すがすがしい晴天だった。

この後、悪魔が魔法を解除し、9人の患者を7人に戻した時、彼自身がどうなるのかが分からない。

しかし外の世界への脱出こそが彼にとって重要だった。

これから外に出てどこに行こうか……そこで「みすず」と会うことができるのか?

ふと思い出した……心当たりのまるでない「みすず」からの手紙を、読み終えずにそのまま閉鎖病棟の中に置き去りにしてしまった。

続きには何が書いてあったのだろう……。

そっと建物を振り向いた。

自分で出た以上、もう戻れない場所だ。

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