第6話 さいごの犬
その昼、山田は自宅のリビングでぼんやりとしていた。テーブルに座り、頬杖をついて足をぶらぶらさせている。その視線の先にはスマートフォンが置いてあった。通知音が鳴りメッセージが画面上部に表示された。山田はにやりと笑う。椅子から立ち上がって伸びをし、トタトタと冷蔵庫のまで行き麦茶を飲んだ。ぶるぶるとスマートフォンが振動し始める。山田は手に取り、通話を開始した。
「まやさん! ロビンが誘拐されちゃったの! 麦茶忘れちゃって美術館に水飲みに行ってたら居なくなってて」と切迫した少女の声が響いた。
「ひーちゃん、落ち着いて。大丈夫。なんとかなるわ。今からそっちに行くから」
「身代金よこせって、あのねお母さんとそのこと話してうちが出すかってなったんだけど、出したくないって言ったら、お母さん怒っちゃって。どうすればいいの?」
「え、ええっとう~ん。あのさ、ひーちゃんどうして出したくないの? ロビンのこと大切じゃないの?」と山田は困ったように頬をかきながら言った。
「だって、お母さんに誕生日プレゼント贈りたいんだもん。お金、使えないよ。ロビンは大好きだけど、お母さんも大好きだもん」と少女は声を震わせた。
「あ、ああ~」と山田は頭を抱える。「それ、お母さんに言った?」
「言ってない。秘密にしてたいから」と少女は小さく答える。
「だよねえ。ううんと、とりあえずひーちゃんのお母さんともう一回話してみて。ロビンもどうしても取り戻したいんでしょ? その気持ちを思い切り伝えるの。ロビンは大切なんだって」
「けど、お金がないと」
「いいの。とにかくお母さんとよく話すの。ロビンについてね。私も今からそっちにいくから、もし説得できなかったら一緒に話してあげる」と山田は玄関先で靴をはきながら言った。
「うん。わかった。話してみる」
「じゃ、行くから待っててね」と山田は言って、通話を終えた。それから炎天下の中を駆け出したのだった。
ひーちゃんと山田に呼ばれる、間宮ヒカリの家は山田の家から徒歩十分ほどの距離にある。町内会が一緒で山田はときおりヒカリを含む子供たちの面倒を見ていたこともあった。
山田が間宮家に到着したとき、門の前にはすでにヒカリが立っていた。目の端を赤く腫らしている。
「ひーちゃん。どうだった?」と山田は駆け寄りながら聞く。
「お母さんが出してくれるって。プレゼントのこと言っちゃったけど」とヒカリは白い封筒を山田に見せた。山田はそれをじっと見つめてから、ため息をついた。
「そっか。まあ、それならいいか。じゃあ、いまから受け渡しに行くのね」
「うん。駅のロッカールームにいれろって」
「駅?」と山田は驚く。
「うん。まやさんも一緒に来てくれる?」とヒカリは山田の手を引く。
「もちのろんだよ!」
「急がなきゃ。時間に間に合わなくなっちゃう」とヒカリは言って駆け出した。
「けど、駅か。なんで変えたんだろ」と山田は首を傾げつつ、ヒカリと共に行くのであった。
二人が目指したのは南和良駅である。南公園内にある現代美術館への最寄り駅であった。乗り入れている路線は一本。島式ホームで橋上駅舎のスタイルだ。その出入り口は西口、東口と分かれており、ヒカリが指定されたのは東口の一階にあるロッカールーム内の一つであった。そこへの出入り口は一つだけで、壁三面にロッカーを敷き占めて配置している構造となっている。外からでも中の様子は見ることが出来た。山田たちが到着したときには中に誰も居なかった。
「あそこかな」とヒカリは不安そうに言った。
「この駅のロッカールームって言ったらここしかないけど」と言いつつ、山田は周囲を観察している。駅の周りにはそれなりの人が居た。みんながみんな半袖で夏の暑さを満喫している。山田は立ち止まって何かを待っていそうな人物たちを見ていく。見れば見るほど全員が怪しく見えてきた。
「行ってくるね」とヒカリは覚悟を決めたように言って、山田から離れロッカールーム内に入っていく。山田はその後姿を横目で伺いつつも周りへの警戒を解かなかった。ヒカリが指定されたロッカーに封筒を入れて帰ってくるまで、特に怪しい動きをするものは居なかった。それぞれがそれまでやっていたことの延長線上に居た。山田はロッカールームに視線を置く。ヒカリが出てきてから入ろうとする者は居なく、ヒカリに注意を向けるもの居なかった。
「置いてきたよ! これでいいのかな」
「ひーちゃん、ご苦労さま。きっと大丈夫だよ。約束は守る誘拐犯みたいだから」
「うん」とヒカリは気もない返事をする。山田はそっとその頭をなでた。
「大丈夫だからね。ロビンは元気だし、なんだったらリードも新品のやつになってるよ」
「あれ、山田先輩じゃないっすか。どうしたんっすか?」と腑抜けた声が二人の間に降りかかってくる。山田はその声の主を見た。にやけ面の黒瀬が立っていた。
「あん? ろっくんアンタ、今日は忙しいとか言ってなかった?」と山田は眉間にしわを寄せる。
「ちょうど今、用事が終わったんすよ。で、どうしたんですか?」
「どうしたもこうも身代金の受け渡し中よ。ひーちゃんとこのわんちゃんも誘拐されちゃったから」
「へえ。もしかあそこのロッカーっすか?」
「そうよ」と山田はロッカールームに視線を戻す。誰も入った様子はない。ヒカリはそわそわしだす。黒瀬は急に興味を失ったようでスマホをいじり始める。ちょっとした沈黙が三人の間に流れる。その間もロッカールームの使用者は出現しない。ヒカリのポケットが震えだした。ヒカリは体をびくっとさせてから自分のスマートフォンを取った。
「はい。お母さん? うん。帰ってきたの!? ほんと! うん、うん。気をつける。うん。あ、ロビンの声。そう、元気なんだね。分かった、すぐ帰るよ」
「ロビンちゃん帰ってきたの?」と山田は嬉しそうな顔をしているヒカリに聞いた。
「うん。元気だったって。もう帰らなきゃ」と言ってヒカリは家のほうへと駆け出した。山田はその背中を追わずに、ロッカールームへと向かった。
そこは四畳半ほどの広さであった。ロッカーのサイズはさまざまで最大だとトランクケースを収納できるものもある。ヒカリが指定されたのはハンドバック用のロッカーだった。山田は少し背伸びしてヒカリが封筒を入れたロッカーを開ける。カギはかかっておらず中にはまだ封筒があった。山田はそれを取る。封筒はのり付けされたままで開けられた様子はない。躊躇うことなく封を切った。中から白い紙が出てくる。そこには以前小寺少年が見せてきた文と同じものが書いてある。それを読んだ山田はぼそりと呟いた。
「QED」
その翌日のことである。昼を少し過ぎたころ山田と黒瀬、そして中田はマープルの向かいにあるペットショップへと赴いた。予約はしていない。だが店主の村山は三人の珍客を嬉しそうに迎え入れた。店内には客も居なく施術中のペットも居なかった。
「今日は急にどうしたのかな」と三人を店内の相談ブースに案内して村山は聞いた。
「誘拐犯に会いに来たの」と山田はにっこり笑った。
「誘拐犯?」と村山は怪訝な顔をする。
「犬誘拐事件の犯人は、アンタね、村山さん」と言って、山田はビシッと村山を指差した。礼儀というものを知らない奴である。
山田が村山を指差しているときその両脇に居た二人は、別段驚いた様子もなかった。中田はスマートフォンを机の上に出している。黒瀬は呆れた顔で山田を見ていた。
「山田先輩、何言ってんすか。いきなり意味わかんないっすよ」
「アンタが意味わかんなくても、村山さんは十分に分かってるはずよ。ね、そうでしょ?」と山田は村山に笑いかける。挑発的な笑みだった。村山は苦笑する。
「え~っとどうしようかな」
「どうもこうも認めるか自供するか、どっちかしかないの!」と山田はずいっと村山に顔を寄せた。村山は山田から身を引きながら困ったように笑う。
「とりあえず話を聞きたいな。どういう経緯でぼくが誘拐したってことになってるのか」
「いいわ。きっちり話してあげましょう」と山田は不敵に言った。
「山田先輩、適当なこと言っちゃだめっすよ」と黒瀬は釘をさす。山田はそんな言葉に耳を貸すことなく語り始めた。
「さて、ここ三週間で三匹の犬が誘拐されました。三匹とも南公園で。そのうちの二匹は飼い主の子がピエロのパフォーマンスに夢中になったとき。もう一匹は飼い主の子が美術館の中に入って水を飲みに行ったとき。どのときも散歩中の出来事でした。その犬たちを手際よく誘拐した人物はそれぞれの犬に対して、それぞれの額の身代金を要求しました。あとはおかしな受け渡し方法も提示して。そして身代金を受取ったら、誘拐した犬をわざわざその飼い主の家まで届けてあげたりもしました。そのうえ実際にそのお金を受け取ったのかも不明です。どう? ここまで話せばもういいでしょ?」
「いや全然わかんないっすよ」と黒瀬が隣で愚痴る。山田の正面に居る村山もぶんぶんと頷いた。
「だって、この事実だけでも怪しいのはアンタだけになるのよ。まずなによりも犬に吠えられずに誘拐できる。そして飼い主の散歩コースと時間を把握している。さらには飼い主の自宅まで知ってるときた。チロくんに会ったときアンタは言ってたよね、大事なお客さんだって。顧客情報としてそれらのことを知っていてもおかしくはないわ」
「しかし、それはチロだけのことじゃない?」と村山は言った。
「いいえ。他の二匹もアナタのお客さんだったわ。そこはもう裏が取れてるの。アンタとあったあの後に調べたから」
「あれま」と村山は残念そうに言った。
「まだ言い逃れたい?」と山田はにっこり言う。
「ああっと、そうだね。出来れば否定したいな。そもそもぼくはお金に困ってないから身代金目的で誘拐する必要もないんだ。そこら辺はどうなのかな、そうつまりは動機だね。ぼくには動機がないんだ」
「そうね。ほんとに身代金が目的だったらそうなるわ」と山田は言った。
「本当にってことはそうじゃないってことっすか?」と黒瀬は口を挟む。
「もちろん。もし犬を誘拐してお金を得たいのなら、そのままブローカーに売ってしまったほうがいい。いい血統の犬だったら高く売れる。ポチは微妙だけど、チロとロビンはかなりの高額になるわね。ま、そこら辺は村山さんの方が詳しいでしょうけど。で、犯人はそんなことをせずあくまでわりと小額な身代金を貰うようにしてるわけ。これは金銭的な理由で誘拐してるってわけじゃないってこと。もっと別の理由なのよ。ね、そうでしょ?」
「さあ」と村山は嬉しそうに笑う。
「どうしてアンタがわんちゃんたちを誘拐したのか。それは頼まれたから。そう、三人のお母さんたちに」と山田は真剣な顔で村山を見つめた。ここで初めて村山の表情が固まった。
「……、どういうことっすか?」と黒瀬は口を挟む。山田は黒瀬の言葉には反応せず村山を見つめたまま語たり始める。
「私がここに来てアンタに言いたかったのはね、もうすこし別な方法を考えられなかったのかってこと。今回は運よく上手くいったけど、ひーちゃんみたいにぎりぎりの場面もあったのよ。もし、あの子たちの誰かが誘拐されたままになっていたらどうなったと思う? きっとこれからの人生で今回の出来事がある種のしこりみたいなものになったはずよ。あ、もちろんアンタが全部悪いとは私も思っていない。けど、もうすこし考えて欲しかったの。今回みたいなことを頼まれてやってくれるなんて、たぶんアンタも優しい人だと思うから」
「……うん、たしかに君の言うとおりだね」と神妙な面持ちで村山は頷く。その頷きに山田は明るく反応する。
「お、頷いたな! 自供したのと一緒だ!」
「あ」と村山は口を開けてから、はははと笑った。「まいったな」
「ま、こっちも証拠なしで来てるわけじゃないし。ほら、かなちゃん見せてあげな!」と隣にいる中田に山田は指示をする。
命令を受けた中田はスマホを操作して、一つの動画を流した。それは現代美術館のロビー前を撮った動画だった。あるベンチにトイプードルが繋がれている。その犬に近づく男がフレーム外からやってきた。背丈は170センチほど。その男はトイプードルをあやしながら、ベンチに結ばれているリードを解いていく。そして最後には抱えてまたフレーム外へと出て行った。その姿を見て黒瀬は、なるほどと呟いた。村山は目をむいている。
「え、撮られてたの」
「ふふふ、気がつかなかったでしょ? うちのかなちゃんは存在を消せるからね」
「マジか」と山田の隣にいる中田をマジマジと村山は見た。
「けど、どうしてあの犬が誘拐されるって分かったんですか?」と黒瀬は山田を見ていった。
「ちょっと前の子ども会で小耳に挟んでたの。うちの子が犬に構わなくなってきたって愚痴り合ってる母親たちの会話をね」と山田はにやりと笑う。
「あ~あ。さすが地獄耳っすね」と黒瀬は顎をなでる。
「まあね。で、そのときのメンツが笹川さん、大村さん、そして間宮さんだったわけ。そこまで思い出せばもう簡単ね。あとはここのペットサロンを使ったことがあるか聞いてくるだけ。で、ひーちゃんが散歩に出るとこを張っておけば、ほいほいアンタが出張ってくるって来るのを撮影できるってわけ」
「へえ、すごいな」と村山は感心したように言った。
「まあね、探偵だから」と山田は胸を張った。
「探偵だったんすか」と黒瀬はため息をつく。
「いや、ほんとうに探偵さんっぽいね」と村山は言った。
「ま、今度からこういう面白いことをやるんだったら、私も呼んでね。あ、自己紹介まだだったっけ。私は、山田まや。17歳の美少女探偵よ!」
そんな叫びが店内をこだました。
それから村山は迷惑をかけた謝礼だと言って三人にクッキーと紅茶をふるまった。山田はクッキーをいたく気に入りばりぼりと食べ漁った。中田はぽりぽりと数枚ほど食べていた。黒瀬はクッキーを食べずに席を立ち店内で放し飼いされていた猫を撫でにいった。猫は黒瀬の気配を感じて店の奥へと逃げていった。賢い猫である。黒瀬は迷うことなく店の奥へと猫を追いかけた。遠慮を知らない男である。そんな黒瀬の様子を横目で見てから中田は紅茶を飲んで、口を開いた。
「アイツ、勝手に奥へと行ってますけど」
「え、ああ、まああっちになにかあるってわけでもないし。黒瀬くんなら別に荒らしたりもしないでしょ」と村山は事も無げに答える。
「まあ、ろっくんに盗みをする度胸なんてないしね」と山田はずるずると紅茶を飲んでから言う。「おいしいわね、これ!」
「本当? この茶葉はね、マープルさんが教えてくれたんだ。飲むと心が落ち着く成分が入ってるみたい」と村山は茶葉の缶を見ながら答える。
「不安な人が店に来るんですか?」と中田は聞く。
「う~ん、まあそういう人も来るね。うちはペットのしつけの仕方も相談に乗ってるし」
「じゃあ今回のもその延長だったわけね」と山田はにやりとする。
「ま、そんなとこかな。やり方はちょっと強引だったと僕も思うけど」と村山は恥ずかしそうに頭を掻く。
「大まかな計画は誰が考えたんですか?」と中田は聞いた。
「そりゃ、きっとめぐみんのお母さんよ。あの人もかなりのミステリー好きでね、いろいろ話が合ったわ」と山田はテーブルに置かれているクッキーを取りながら言った。村山はその言葉を聞いて微笑むだけだった。中田はテーブルの端を見つめる。山田がぽりぽりとクッキーをかじりながら店内を見回している。村山はにこにことその様子を眺めている。黒瀬は店の奥で猫と追いかけっこをしている。平和な時間である。中田がまた村山に聞いた。
「最近、お客さんは増えましたか?」
「え? うん。おかげさまで大村さんたちも定期的なトリミングとかを頼んでくださるようになってね。あとお知り合いの方々にもこの店を紹介してくださったりもするんだ。今回のようなことがなかったらそういうご縁も出来なかっただろうな。その点は、やっぱり嬉しいことだね。勇気を出してよかったよ。山田さんの言うようにやりすぎちゃったかもしれないけど」
「そうですか」と中田は頷いた。その横から山田が口を出す。
「あ、そういえばひーちゃんのお母さんも褒めたよ。村山さんとこは腕がいいって。アンタ、どうやら技術はあるみたいね」
「褒めてくれるなんてありがたいね」と村山は嬉しがる。
「一回トリミングするだけで懐かれるなんて相当よ。なんかヤバイ薬でも使ったんじゃないの?」と山田は疑念の目を村山に向ける。
「いや、ただちゃんと信頼関係を築いただけだよ。簡単なことなんだ。仲良くしようって伝えるだけでいい」と村山は真面目に答える。
「ふーん。ならいいけど!」と山田は話を流し、クッキーを手に取る。あまり興味のなかったことなのだろう。
三人はある程度満足してから店に出た。外は夏、日は曇ることを知らない。
「暑い。さっさと帰ろうか」と山田は言って、その日は解散する運びとなった。黒瀬は用事があるらしく、これ幸いと二人の下からそそくさと去っていった。
「黒瀬くんに用事なんて珍しいですね」と中田は言う。
「ね。ろっくんこそ暇人の権化なのに。けど最近ちょくちょく家に居ないわね。電話しても出ないし」と山田は腕を組んで首を傾げる。
「黒瀬くんにもいろいろあるんでしょう。それでは失礼します」と言って中田は駅の方へと歩き出す。
「うん、ばいば~い」と山田は手を振った。
こうして犬誘拐事件は彼らの中で終わり、問題なく夏休みを満喫できるはずだった。少なくとも黒瀬はそう思っていた。
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