第16話

 一時間後、荷物を受け取って保健室を後にした堅羽は、薄暗い建物を出たところで牧野に電話をかけた。出てもらえるだろうかと、少し緊張する。

「はい、牧野です」

 三回目のコールを断ち切るようにして、はっきりと明るい牧野の声が聞こえた。「もしかして堅羽?」と尋ねられたので肯定すると、「よかったよかった」と相づちが返ってくる。

「運んでくれたって聞いた。ありがとう」

「いいっていいって。大丈夫だった? 指とか」

「突き指はしてないみたい」

「そっかー。セーフだったなー。ってかさ、番号渡しちゃってごめんね? 堅羽と喋ってみたくて。俺これから飲み会なんだけど、よかったら堅羽も来ない? あ、飲み会ってか食事会ね。アルコールはなし。でも女子はいるよ」

 流れるような牧野の話を聞きながら、堅羽は『これがウワサの』と妙に感心した。これがウワサの、いわゆる合コン。しかも自分が誘われるなんてと、他人事のように考える。

「悪いけど今日、これからバイトなんだ」

「うおっ、マジ? もう決まってるの。どこ?」

「学校近くのファミレス」

「へえ。じゃあ二次会で行こうかな」

「やめて」

 はは、とお互い笑って、なんとも言い難い沈黙がやってくる。無性にもぞもぞする、消えてしまいたいような、叫び出したくなるような、あの独特な気まずい空気。

 「じゃあ今度誘うわ、またな」と言って、牧野は電話を切った。何気なく発せられた「また」は恐らく、『社交辞令』という社会生活を円滑に営むための嘘だ。

 そんなことは堅羽もよくわかっていたので、スマートフォンをポケットにしまうと自然と大きなため息がもれた。付き合いの悪さは、大学生の友人づくりにおいて致命的である。


 その後は学食で夕食を済ませ、少し時間を潰してからアルバイト先へ向かった。事務所でパソコンをいじる烏丸からすま店長に五月のシフト希望を渡すと、案の定いい顔はされなかった。

「堅羽くん、ゴールデンウィーク出れないの」

「すみません、できればちょっと、」

 会いたい人がいるので、とは言わずに、「帰省したいので」と伝える。地元に帰ることを『帰省』と呼ぶのなら、間違いではない。

「親がその、急に。帰ってこいって」

 鋭い眼光でシフト希望を見つめる烏丸の、働く大人特有の厳しい雰囲気に負けて、つい要らぬ嘘まで付け足してしまった。『だからなんだ』というセルフツッコミが脳内をよぎる。

 だからなんだ。土日祝日も大丈夫ですと、ついこの間自分で履歴書に書いたじゃないか。

「連続での休みは、取れて三日かなあ。連続がいいんだよね?」

「そうですね、すみません」

 申し訳ないです、と改めて頭を下げる。「まあ仕方ないねえ。親孝行も学生の仕事だし」と言って、烏丸はシフト希望が書かれた紙を手近なファイルに挟み、にぱっと笑った。

「私も頑張ってシフト組んでみるから、堅羽くんも頑張って仕事覚えて、さっさと大活躍できるようになってもらってもいい? 大丈夫。君、素質あるから」

 烏丸はパイプ椅子から立ち上がり、小さい手で堅羽の肩をぽんぽんと叩いた。ぞっとするほどいい笑顔だ。烏丸真美からすままみ三十五歳、腹の底が全く見えない、恐ろしい女性である。

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