第四章:逆転


 出版社に戻ってきた澤木と溝口は、早速川尾との話の内容を整理する。


 お互いのメモをすり合わせ、内容をまとめたものをディスプレイに映しつつ、澤木は首を鳴らした。

 おおよそ、今回の出来事で川尾に降りかかった出来事は以下の通りである。


一:笠木私立大学経済学部三年生である引田が、「写真の家」について自ら調べを進めて興味を持つ。

二:引田は自らの友人である川尾と雨谷とともに「写真の家」を直接訪ねる。

三:「写真の家」で川尾は動画を撮影。引田は手ぶらで仏壇に最初に侵入。雨谷は最後尾で川尾と引田を見守り観察していた。

四:引田が仏壇に侵入。川尾は仏壇が揺れるような振動を感じ取る。対して引田は「人の声がする」という発言あり。川尾と雨谷はこれを感じ取れず、ラップ音として聞こえていた。

五:それ以降引田の様子が一変。川尾も不審さを感じすぐに家からの脱出を提案。この時点で雨谷は家の外へ。しかし引田はそれに従わず、二階へ移動し、寝室のクローゼットの前で立ち尽くす。

六:川尾は引田を追って二階寝室へ。クローゼットの前から引田を連れ出そうとしたところで、中から白骨死体を発見。警察へ報告する。

七:「写真の家」を訪れた三日後に引田は失踪。現在も行方不明。

八:川尾が不審な声を聞くようになる。親子への攻撃を促す声を聞き、危険を感じて自宅に引きこもる。この時に川尾へかかってきた電話は、奇妙なノイズに変わっていた。

九:川尾が事件を起こし現在へ至る。


 澤木と溝口が各々気になる部分と事実をまとめた上記の内容は、最低限必要な情報としてホワイトボードへ書き留められる。


 これだけ見れば、まさにただの怪談話。

 澤木も自身が体験していなければ一笑に付す程度の印象しか持ち合わせていない。だが一連の奇妙な出来事は確かに起こったことである。

 不可解という他ないが、これが「写真の家」での禁忌の一例であることは確かだ。


 しかしながら澤木がこれを見ても、正直なところさっぱり事情がわからない。


 確かに注目できそうなところは複数あるのだろう。

 だがそのいずれも釈然としないというか、あまりにも現実離れしている。そのため普段の推論のように点と点が結びつかず、線として考えることができなかった。


 一方、隣で何かを考え込んでいる溝口はと言うと、そんな澤木の存在をすっかり無視して、既に思案を巡らせている雰囲気がある。


 澤木が溝口と過ごした時間はほんの僅かなものだが、それだけで彼女が「考え込んでいる時には真剣で声を掛けづらい表情をする」ことくらいは分かる。

 というより、溝口の考え込むときは、どこか盲目的な印象がある。

 当然、真剣な思考で周りが見えなくなることはその時によって良し悪しだ。しかしここでは、それが圧倒的な長所として働いている。

 澤木はその能力に感謝しつつも、口を挟むことに詫びを入れて溝口へ考えを求めた。


「あー、溝口。考えているところ大変申し訳無いが、まとまったところまで聞いてもいいか?」


 声を掛けると溝口は、ワンテンポ反応を遅れて「あ、すみません」とけろりと笑う。

 澤木はそれを見て、思考の途中で話をかけられたら嫌がるタイプではなかったことに安堵しつつ、片手を上げて相手に敬意を示した。

 すると溝口は、「あくまでも仮定に仮定を重ねて考えてるんですけど」とペンを取る。


「私が気になったのは、やはりあの家には“二つの呪い”が確認できるかもしれない、ということです」

「前に言っていたやつだな? 一つは親子を攻撃させる呪い、もう一つは家の詳細を隠すような行動をさせる呪いってやつか」

「その通りです。今回、私はこの条件について考えていたんです。澤木さんも言ってましたね。禁忌に触れた、と」


 澤木は川尾との対話の中で、無意識にそんな言い回しをしていたことを思い出す。

 それを「呪いの引き金」と定義して考え、溝口は続けた。


「あの家では触れてはいけない条件、禁忌があるとしましょう。今回の件では引田さんと川尾さんがそれに触れてしまい、逆に雨谷さんはそれに触れなかった。だから二人には異変が起こって、雨谷さんは無事だった、と考えるのが妥当です」

「そこまでは俺でもイメージがつくけど、じゃあその禁忌ってなんだろうな。オカルト的にやっちゃいけないことってことだろう?」

「大抵、こういう呪いの禁忌って簡単なものなんですよ。呪いが込められたなにかに触れるとか、呪いを振りまいた根源と縁を結ぶとかです。そういう、オカルト的な文脈と川尾さんの行動から、私はこの二つが禁忌ではないかと考えました」


 溝口はペンで「リビングで写真を撮影すること」と、「家そのものを調べたうえで直接仏壇を見ること」と書き連ねる。


 ここまで加えられれば澤木もなんとなく合点がいく。

 川尾はスマホのカメラを持ってリビングルームを撮影していた。本人の主張もあるし、現在は西村経由でそのデータを受け取ろうとしている。

 そして川尾は、不可解な声を聞くようになって、最終的には奇妙な事件を起こした。

 川尾が起こした事件は、笠木市で起こっていた不可解な事件と酷似している。

 つまりこれが、「親子への傷害事件」の引き金となる禁忌である可能性が高い、ということだろう。


 澤木の逡巡に対して、溝口の言葉は更にその上を行くものだった。


「恐らくこれが禁忌の一つ目です。これに最初に触れたのは、動画の配信をした街枝という配信者だと思います」

「……確かに、街枝は動画を通してリビングを配信した。それが原因であの家が広まったと考えると、ここが発端だったのか」

「その通り。そしてこれがさらなる悲劇の呼び水になってしまう。それが、あの家を調べた者が、直接仏壇を見ることで起こるもう一つの呪いです」

「引田が体験したってやつか。さっぱり想像がつかないんだが、具体的に何が起こるんだ?」

「これは私も推測の色が多くなります。何分、引田さんに起こった出来事は川尾さんの主観的な意見しかありませんし、当人が既に行方不明になってしまっている。ですが、あの家から複数の白骨した死体が発見されたことと、引田さんがそれを”袋に詰めようとしていた”というところから、薄い推測ができるかもしれません」


 溝口はホワイトボードをひっくり返し、呪いを「母子へ攻撃させる呪い」と、「真実を隠す呪い」と、これまで呼称のなかった呪いに名前をつける。

 同時に、各々の呪いの発生するきっかけとなる禁忌を結び、呪いの因果関係を整えた。

 そこまでしてようやく、本題である「引田がかかった呪い」へ視点を戻す。


「引田さんの行動の異変について考えてみましょう。彼は突然、リビングから二階へ上がって、クローゼットの前に移動しました」


 溝口はホワイトボードに「写真の家」の間取り図を貼り付ける。同時にペン先を間取りに接した上で、仏間からリビングルームを通り、更に階段を上がって二階の寝室までの道のりをなぞった。

 一見するとわかりにくいが、澤木には溝口が伝えようとしていることを解する。


「このクローゼット、ちょうど仏間の真上か」

「その通りです。これを偶然だと言ってしまえばそれまでですが、今回はあえて偶然ではないとして考えてみましょう。そしてこのクローゼットには、複数の人骨があった。どうしてここに集中していたんでしょうか。もちろん、これだけでは場所に何か理由があったかは分かりませんが、クローゼットを隠し場所として利用していた考えるのが普通です」

「犯罪において最も重要なのが死体の隠し場所。それをあえてクローゼットにしたっていうことか?」

「これが普通の犯罪であるのであれば、そもそもこれらの人骨が誰のものかというところが出てきます。結論から私の考えを話すと、あの人骨は引田さんと同様、”真実を隠す呪い”の被害者たちだと思います」


 澤木はそこで眉根を上げる。


 聞いた時点から「そんなことはない」と反射的に返してしまいたくなるが、現段階で自身にそれを返す論証はない。

 感覚で自身の考えから、相手の話の腰を折るのはナンセンスだと判断した澤木は押し黙って溝口の言葉を促す。

 それを見た溝口も続けざまに自らの言葉をつなぐ。


「まずこの呪い、長いので第二の呪いとでもいいましょうか。これを受けた人間はあの家に引き寄せられるのだと思います。根拠としてはあそこで複数の人骨が発見されているからです。もし仮に、被害者たちがあそこで、もしくは死んだ後にあそこに集まったとしても、結果として家に引き寄せられていると判断できますから」

「無関係ならあんなところで天寿をまっとうしないわな」

「そうでしょうね。つまり、第二の呪いを受けると、家に引き寄せられ、一定以上の真実を知る人間を閉じ込める。川尾さんの話を聞けば引田さんは完全に理性を失っていました。これを見るに、引き寄せられた後で自力脱出は不可能でしょう。もしそうなら、彼らはそこで死んでいるはずです」

「どうしてあの家は、呪いで人を呼び寄せて、そこで殺しているんだ? そこまで超常的なら、記憶を消してお帰りいただくことだってできそうだが」

「呪いの具体的な効果範囲は分かりませんが、もしそこで、真実を隠すことが“死”であれば、辻褄が合う代わりに厄介な問題が出てきます。澤木さんなら、分かりますよね?」

「死体か」


 溝口は澤木の言葉に首肯で答える。

 もし仮に、第二の呪い「真実を隠す」というものがあるのであれば、「ターゲットの死を持って情報を闇に葬る」こそが最適となろう。

 しかしそこで新しく生まれる「死体」というものが難題だ。

 これは澤木が昨日から話している通り、「殺人事件に対する最も大きな問題」になる。


 澤木は溝口の考察能力の高さと同時に、新しい知識を即座に活かすことができる柔軟さに驚きつつも、あえてこちらから話を差し込むことなく話を聞く。


「その通です。確かに真実を隠すことには成功するけれど、死体という厄介な存在が生まれてしまう。ですが引田さんの行動を紐解くと、それを呪いが対策しているような行動があるんです。それが、引田さんが人骨を袋に詰めようとしていた、という行動です」

「もしかして、第二の呪いを受けて家に呼ばれた人間が、そこで前に呪いを受けた人間の死体を処分しているって言うことか?」

「もちろんすべて仮定の上塗り、本当のところは誰にもわかりません。ですが、あの不自然な行動を考えると一本の線が結ばれる気がしませんか?」

「全く持って非現実的な話だが、たしかにそれを言われると合点がいく。俺が坂下刑事から話を聞いた時、発見された死体が手を加えられたように綺麗だった話をしてたな。そもそも死体はそのまま放置されれば必ず人骨になるわけじゃない。手を加えられていないとあの状態にはならないだろう」

「あそこで全員が衰弱死したうえで、人骨になるのは現実的にはありえません。人の手、というより呪いを受けた人間しか彼らを処理することができないんです。そして処理が終わると、すべての真実を飲み込んだうえで、家の中で死を迎える。これが第二の呪いの詳細だと、私は考えています」


 一通りの話を終えて、澤木は一連の事態を考える。

 「写真の家」は確かに、リビングルームの奇妙な状態も話題になった。だがそれ以外にも、「廃屋から異音がする」ことや、「時々光が灯っていた」なんて話もあったはずだ。


 本来であればありきたりな怪談噺の一端でしかない。

 それなのに、溝口の話を聞いてから考え直すと、それらは「被害者たちを、呪いを受けた者たちによって処理されていた」という可能性が渡されてしまう。


 当然、溝口が言うようにこれらはただの推測でしかなく、実際にそんな事が起こったと考えるのは、非現実的だ。

 しかし、もしこれらの話がすべて正しいのであれば、この「写真の家」にまつわるあらゆる奇妙な出来事が説明がついてしまう。


 笠木市で発生した不可解な事件の数々、突如行方不明になった真名城出版の敏腕記者。

 関わるものがすべて不幸になるこのネタの全容が、二つの呪いの仮定すれば、悉く一本の線で結ばれる。


「非現実的過ぎて、頭がついていかないな。ちょっと休もう」


 澤木が肩を回してそう言うと、溝口はけろりとした表情で「コーヒーでも淹れてきますね」とそそくさと駆けていってしまう。

 話を聞くだけで辟易されるような内容にも関わらず、溝口はというとあんな考えをしておいてなお、動きが軽快である。

 これが年齢による違いなのか、はたまた日常的にオカルトに触れているからなのかは皆目見当もつかない。


 そんな事を考えていると、溝口の雑然としたデスクから、大量のオカルト資料が目に行った。


 人のデスクを出歯亀する趣味はないが、そこで大きく外側にはみ出ていた資料が雪崩のように床に落ちていく。

 これだけの量をすべて頭に叩き込んでいるのであれば脱帽であるが、デスク周りは整理整頓をしておいたほうが良い。

 澤木は半ば呆れながらも、溝口の優秀さに引っ張られて苦い笑いが溢れる。


 そんな澤木が手に取ったファイルは、明らかに溝口の趣味の資料だった。「バラバラさん」といういかにもな名前のオカルト話に関する資料である。


 澤木は聞いたこともなかったが、この「バラバラさん」という存在は、中学校の間で流行している都市伝説だという。

 この名前で、中学校で流行しているのにはいくつか理由があるという。

 それはこの都市伝説が流行し始めた一九九〇年代に、バラバラ殺人事件が起こったためである。

 バラバラ殺人事件というものは、日本でもないわけではないが、比較的日常圏域において発生した事件はセンシティブな印象を与えても無理はない。


 この事件は未解決に終わり、そこから「バラバラさんが起こした事件だ」と話が始まった事が発端だったという。

 それ以外にも、不可解な状況で腕を欠損した学生がいただとか、眉唾じみた内容も確認されていたらしい。

 当然これらは、溝口が調査中のものであるため、本物の内容のほうが少ないだろう。


 澤木はそれを見て内容以上に、都市伝説として広まる情報伝達の速さの方に驚いていた。

 過去起こった出来事が、形を変えて広まっていく。それだけで都市伝説は恐怖の対象であり、今後も残っていくものなのだろう。


 澤木はそんな事を逡巡しながら、溝口を待っていると、先に部屋に入ってきたのは溝口ではなく、同じく記者をしている木村だった。

 木村は写真系の記者であり、出版社にこもって執筆というよりも、様々なところを飛び回っているタイプの記者であるため、顔を見たのも久しぶりだった。


「澤木~、お前宛に小包届いてんぞ。てか久々だな」

「そりゃこっちのセリフだ。小包サンキューな」


 適当なところで会話を切り上げて、その小包に視線を落とすと、それは速達で届けられた西村刑事からの荷物である。

 中身は言うまでもない。川尾のスマホの中にあったという、「写真の家」の内部写真だ。



「これが、川尾が撮ったっていう写真か」


 思った以上に速く西村から届いた小包には、カード型の記憶デバイスが入っていた。

 あえてこのような形で届けられたということは、使用後は即座に処分するようにという非言語的なメッセージが込められている。


 確かにオンラインでの送信などを警察が行うほど無能ではないだろうし、そもそもこれは漏れてはいけない情報。その大前提を頭に入れつつ、ディスプレイで内容を確認すると、何本かに分かれて保存された動画が確認できた。


 川尾は写真ではなく動画を撮影していたらしい。

 むしろ写真よりも好都合であったことが不幸中の幸いである。

 そんな中、ファイルを確認している溝口は早速、「再生しますね」と動画ファイルをダブルクリックした。


 流れる動画には川尾の話の通りの展開が記録されていた。

 茶化すようにその場を見て回る川尾と、興味深そうにそれを確認する引田、興奮げに話し続ける雨谷。


 ここだけ抜き取ってみると、「写真の家」が流行する原因となった、動画サイトに投稿された内容だと思える。

 正直なところ、澤木の印象は今までと左程変わらなかった。

 得ることができる情報も、街枝のそれと全く同じ。これを確認しても、新規の情報は得られないだろうとすら感じた。

 しかしそれは、二つ目の動画を再生した時点で崩される。


「ここ、仏間の映像ですね。引田さんがここで急変したってシーンでしょう」


 溝口の言葉に、澤木は思わず眉根を潜めて動画を確認する。

 引田の発した「声がしなかったか?」という言葉をきっかけに、その場の空気が凍りつく。それを客観的に観察していた澤木は、そこで「ちょっと待て」とシークバーを少し動かす。


「この位牌の部分、少し動いてないか?」


 動画の再生速度は少しだけ変更しつつ、繰り返し当該部分を確認すると、ほんの少しだけ仏間に飾られている位牌が揺れ動いている。


 澤木は自身の違和感が間違いではなかったことを確認するが、しかしこれが何を示しているのかということについてまではピンときていない。

 その違和感に追撃を行ったのは、澤木ではなく溝口だった。


「これ、ネットの掲示板でも同じことが起こっていましたよね?」

「お前が見つけてきた画像か。確かに同じことが起こっていた。つまり、この位牌だけが揺れているってことか?」

「もしかしたら違うのかも。この仏壇、位牌以外は置かれているものがありませんよね? この動画を見ると他の仏具、例えば燭台なんかは床に落ちてしまっています。位牌だけがかろうじて立ったままになっているのは、単純にこの位牌の底辺部分が安定しているからだと思います」


 溝口の言うように、この位牌は底辺の接地面がかなり広く安定した状態を維持することができるだろう。

 それ故、多少の振動だけでは倒れることもなくこの状態になっていたわけだ。


 だがそれであればまた別の問題が浮上する。

 本来仏壇というものは安定しているものだ。それこそ地震など家屋そのものが揺れてしまう場合を除き、この安定した位牌が動くというものは、引っ掛かりとしては十分すぎる。

 むしろ動画で確認したことで、溝口が画像段階から考えていた「仏壇の揺れ」を補完されたことになるだろう。


「何があれば、仏壇が動くってんだ?」

「単純に仏壇の下に何かがいた、という可能性もありますよね?」

「どういうことだ?」

「言葉通りです。私の家の仏壇の下は、比較的大きな棚になっているので、人一人くらい隠れることができる場所なんですよ。もしそういうスペースがあれば、中に入って隠れることはできますよね?」

「急に現実的になったが、オカルト以上に俺はそっちのほうが怖いね。そもそもこんなところの仏壇の下に隠れてるって、ほぼほぼ異常者確定だろ」

「まぁその通りなんですけど、ホームレスって考え方もできますから。それより問題は音の方ですね」


 溝口は冗談めいてそういうと、音量を引き上げて「引田が謎の声を聞いた」というシーンまでシークバーを動かす。


 動画を再生させると、大声ではしゃいでいた三人の声が、引田の「声が聞こえなかったか?」という言葉をきっかけにぱたりと止む。

 そこから二人は、動画の中の三人と同じように耳を澄ます。

 しかしどこを聞いても、川尾や雨谷と同じ反応であり「人の声」と思しきものは聞こえてこない。

 不思議なことに、川尾と雨谷が不可解な声を聞いて逃げ出す場面も、澤木と溝口はなんの音も聞こえて来なかった。


「これだけ聞くと正直、人の声なんて聞こえませんよね」

「スマホが音を拾っていない可能性ももちろんあるし、波形で見れば分かることもあるかもしれないが現実的じゃないな。こればっかりは俺達の力じゃどうしようもない」

「やっぱりそうですか~、音まで聞ければ私も仮説に少し自信が持てたんですけどね」

「とはいえそれが証明できたとしても、俺達の目的はこの情報を、他人をできるだけ巻き込まない形で世に出すってことだ。尤も、人間の気持ちを考えれば、こんなものを出してしまえば、馬鹿どもがこぞってあの家に行くんだろうな。執筆をするうえでどうすればいいもんか。てか、そもそも事の発端になった峯川はどこまで取材に行ってんだか」

「峯川さんのデスク、私が配属されてからずっと空っぽですよね」


 二人が現実的な問題に気がついて、峯川へ悪態をついていると、峯川ではなく小包を持ってきてくれた木村が話に入ってくる。


「まーた無茶振りされてんだな澤木。ついでにひよっこちゃんの面倒を見ながらときたもんだ」

「その通りだよ。まぁ今回の相棒はめちゃんこ優秀だからまだマシさ。ていうかなんで俺ばっかりこんなことに巻き込まれるんだか」

「教え上手は辛いねぇ~。それで、今回の事件ってやつは?」

「なんだ知らないのかよ。あれだよ、写真の家だ」


 澤木の言葉に木村は露骨に顔をしかめた。

 無理もない。この業界にいて、「写真の家」について知らないのはモグリと言って差し支えない。

 そこから現在のこと顛末を話すと、木村は不安さは覚えているものの、興味関心はあるのか、ディスプレイに表示されている「写真の家」の動画を一瞥する。


「うぇ……マジでこんな事になってのかよ、ここ」

「俺も実際に映像で確認したのは、配信動画だけだったよ。ここまで写真をまじまじと見ちゃいなかったが、まぁ薄気味悪い話さ」

「まぁでも、プロの写真家だったら、これくらいの枚数になるのも頷けるがね」


 澤木と木村のやり取りを見ていた溝口は、そんな木村に対して声を掛ける。

 溝口は「あの」と軽く自己紹介をしながら、ディスプレイに表示された二枚の写真を指差す。


「木村さんって、写真のプロですよね? もしよければ、ここと、ここの写真を見てくれませんか?」


そこには、笑顔のまま親子がカメラを見ている写真と、別の方向から隠し撮るように親子を撮影した写真の二枚があった。

 それを見た木村は、溝口から「写真のプロ」と呼ばれ気を良くしたらしい。

 初対面にも関わらず、やけにフランクな調子で詰め寄った。


「なんだなんだ? 同じ被写体だが、こりゃ撮影者が違うな。この家は写真家の門弟でも取ってたの?」

「門弟を取っていたのかは分からないんですが、ちょっと私には画角が違うだけで、撮影者が違っていたとは分からないんですが、どう違います?」

「そりゃ、プロと素人じゃぜんぜん違うからね」


 澤木は溝口の言葉を聞いて、さすがの着眼点であることに感心する。

 川尾のスマホデータから見つかった動画ファイルからは、ばら撒かれている大量の写真を細部まで写っている。

 動画全体が動きも激しく、寄り気味の画角も相まって、今までとは比にならないほど多くの画像の確認が可能になっていたのだ。


 溝口は引田の件について、音声から情報を拾うことは難しいと判断し、即座に別の着眼点を探したのだ。

 それこそが「写真」であり、これまで自分たちにはなかった写真のプロとしての視点を求める。

 記者として押さえる部分を理解しているからこその切り替えの速さに、澤木は広角を上げつつも、溝口のこと黙ったまま見送った。


 一方の木村は、溝口に対して露骨に気を良くしている。ある程度の礼節をわきまえたうえで、かつ自身の領域のことである「写真」について聞かれた事で有頂天になっているらしい。

 明らかに語り口調が饒舌になり、浮足立った調子を示している。しかし溝口はというと、それに対して拒否感を示すこともなく、上がり調子の木村へ話を促した。


「やっぱりプロと素人じゃ、良い機材を使っていても分かりますよね。具体的にどう違うものなんですか?」

「そうだな。機材つっても色々種類があるし、カメラだって扱っている会社で特色もある。プロっていうのはその時の状況で使い分けることもあるし、被写体を最大限活かすための構図探しとか、それ以外にもあえて部分的にフォーカスを合わせることで、特定の部分を強調させるとか色々あるんだよ」

「流石、プロ特有の視点っていうのがあるんですね。私、全然知らなかった~」

「そうだろう? ちなみに俺が使ってるカメラは世界シェアナンバーワンのカンノってところで、オートフォーカスが強くて被写体や、撮影者が動くことへ対応しやすいヤツなんだ。個人的にだけど記者としてはカンノのカメラが一番だねぇ」


 澤木は溝口に対して感服していた。

 木村のオタク全開のマシンガントークへ上手に対応している。澤木はというと、敬意を示すと言わんばかりに、「おーい」と助け舟を出した。


「それで、カメラのプロから見て、この二枚の写真にはどんな違いがあるのか教えてくれや。まず親子水入らずの方から」

「ったく、お前はカメラの何たるかを全く分からねぇんだから。まぁ、こっちの親子がカメラを見ている写真だが、これは使っているカメラが独特だな。多分だが、この緑の色味から、テンタックスのカメラで、人って言うよりかは風景を撮影するのに向いたカメラだ。それに、お母さんの視点が少し明後日の方向に向かっているだろう? これは被写体と撮影者の呼吸が少しズレた事が原因だ。下手じゃないが、アマチュアっていう印象だな」


 これを聞いて澤木と溝口はお互いに疑問符を表情に浮かばせる。

 今の話は、「親子がカメラを見ている写真」の方の説明だ。

 この写真を撮影したのは状況的に、映っている母子を父親が撮影したと考えるのが妥当であり、その人物はプロカメラマンの道下勲ということになる。


 それであれば、木村がこのような評価を下すのはおかしいのではないだろうか。


 木村もまた、出版業界という群雄割拠な世界で二十年を越えるキャリアを持っているカメラの専門家。

 見立てを極端に外すとは考えにくい。

 疑問が渦巻くこの状況。澤木と溝口は同様の疑問符を胸に、今度は隠し撮りがなされた母子の写真について、木村に尋ねる。


「それなら、こちらは?」

「こりゃ随分とレベルの高い隠し撮りだな。こういった隠し撮りって、親子の部分にフォーカスするうえ、移動しながら写真を撮ることが多いから、周りの風景が大きくブレる傾向にある。だがこの写真は他の風景までしっかりとピンボケせずに撮影できている。プロの犯行ってやつ? ま~、こっちの方はナコンのカメラだから、より詳細を完璧に写してるって感じだな。完璧主義系ってのが丸わかりだよ、この写真はね」


 木村はそこまで、気持ちよく話していてさっぱり気がついていなかった。

 けれど、話の一区切りがついた時点で、澤木も溝口も青い顔をしていることに漸く気がつく。


 今まで澤木と溝口は、写真の家にばら撒かれた複数の写真を、発端の事件の被害者である「道下勲」と、犯人である「刈谷楓雅」の二人が撮影したものと判断していた。


 親子睦まじい家族の写真を、父親目線で撮影したものが道下勲の写真。

 その親子を隠し撮り、動向を把握してストーキングを行っていた刈谷楓雅の写真。


 その大前提があったからこそ、リビングルームに置き去りになった大量の写真が物悲しくも、家族の哀愁を漂わせていた。


 それが、ここに来て、真逆だったかもしれないと突きつけられる。


 仲睦まじい家族写真を撮影したのが、今まで犯人とされていた「刈谷楓雅」であれば?

 家族を隠し撮りしていたのが、夫であり父親である「道下勲」だったのなら?


 澤木と溝口はこの嫌なズレを突きつけられる。

 浮かび上がってくる想像は、二人の脳裏にべっとりと癒着し離れない。

 そんな動揺を隠せない二人だったが、溝口は未だ信じられないという調子で、とある事を尋ねる。


「あの、こっちの別の写真を撮った人って、写真から分かりますか? どっちがどっちを撮ったのかって」


 溝口が木村に手渡したのは、日本フォト賞の佳作を獲得した「想い出」である。

 被写体から構図まで、何から何まで「写真の家」に残されていた奇妙な写真と酷似する作品。


 これは、笠木市に在住しているという「KF」という男性が撮影したものだ。

 もちろん、それが刈谷楓雅であるという確証はない。だが、溝口も澤木も、確認せずにはいられなかった。


「多分だけど親子の写真を撮った人と同一人物だと思うよ。構図とか撮影方法とかが同じだし」

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