第9話 考えるべきは、それだけだ



「希美、今から君を抱きたい」


「え?」


「セックスしよう。俺は、今すぐ希美とセックスしたいっ」


「……ダメ、ダメだよ……私、汚れてるんです……。きっと、貴方を苦しめる。動画の中の私は、半分以上本当なんです。貴方のセックスより、あの人のセックスを求めてしまっている……本能で理解しちゃってるんです」


 先ほどの動画でのやり取りが思い出される。


 奴はしきりに希美に言わせたがっていた。


『どうだ、彼氏のより気持ち良いだろ』

『届かない所を突かれる気分はどうだ』


 結局確認した中では、希美の口から俺が祖チンであるとかの言葉はなかったものの、あれは「そう思っているからこそ口にできなかった」としか考えられない。


「動画の中で言わされそうになったことも、事実として認識してしまってる。長さや太さが全てじゃないって、頭では分かっていても、子宮の快楽に逆らえなくて、心が認めてしまったの」


「……」


 自分でも酷いことを言っている自覚があるのだろう。

 締め付けられるような想いに駆られながら、それでも希美は言葉を続けた。


「愛してるのはアッ君なのは分かってる。もうアッ君以外の人に体を許すことなんて絶対にしたくないっ! でも、どうしても身体はあの人との行為を連想して反応してしまう。これからアッ君に抱かれても、頭の片隅できっと考えてしまう。あの人が届いて、アッ君のが届かない場所に、きっと不満を感じてしまう。快楽に狂ってる自分がいるのが分かるのっ。もう、そういう身体になっちゃってる……」


 そこで、ふと気がついた。ここしばらくの間、希美とのセックスに違和感を感じていたことを……。



「もしかして、この2ヶ月の間、ずっと物足りなかった?」


 気のせいかと思って言葉にしなかったことが、どうやら真実であったらしいことがよく分かった。


 希美の反応がいつもと違っていた。それは、思い返してみれば、という些細な反応ではあった。


 彼女は、あの時すでに快楽に狂っていた。

 それでも俺に気付かれないように、必死に隠していたのだろう。


「……正直に、言ってしまうと……その通りです。アッ君の優しいセックスが大好きだった。でも、その感覚がどんどん上書きされて、あの人に犯される度にぼやけていって……刺激の強いセックスを求めるようになってしまった……アッ君の感触が思い出せなくなってきてたんです」


 再び震え出す希美の身体。ギュッと抱き締めても震えは止まらなかった。


「こんなこと、考えちゃいけない、いけない、いけない、いけないって分かってるのに……どうしても考えてしまう。どうして届かないんだろう。あの人のは届くのにって……そんな事ばかり考えてしまって……」


 解釈の仕方は様々ある。だが、その心理背景を鑑みれば、俺にとって否定的な理由では無いことは分かった。


「そうか……。希美、一つ確認させてくれ」


「うん」


「希美は、俺とのセックスはどう? もうしたくない?」


「そんなことない……でも、私、いっぱい汚れてるから。罪悪感が強すぎて……申し訳ない気持ちの方が、強いの」


「抱かれたくない?」


「違う……抱いて欲しい。上書きして欲しい。私を汚して、価値観を変えてしまった男の感触を、全部忘れたい……。でも、自分のしてしまったことを考えると、どっちが正しいのか分からない。こんなにも汚れてしまったみにくい私を、アッ君に抱いてもらうなんて、そんな資格……絶対にないよ」



「だったら問題無い。俺はそいつの全部を超えて見せるから。その男になにをされたのか、教えて。俺とのセックスより、何がそんなに良かったのか、全部、包み隠さず教えてくれ」


「で、でも……本当は、何も言わずに居なくなった方がよかったんじゃ。どんな言葉を並べたって、裏切った事実は変わらない。私が、アッ君よりもあの人とのセックスを選んだ事実は、もう消えない罪なのに」


 希美は顔を伏せて涙を流す。その肩はガクガクと震え、自分の罪を再認識したのか唇まで真っ青だった。


「やっぱりダメだよ。こんな汚い女、アッ君に相応しくない……。私が居なくなれば、アッ君にはきっともっと素敵な人が現れるから……」


「確かに罪は消えないし、俺はそのことを許容するつもりはない。だけど、俺は悔しい。この世界で、希美を一番幸せにできるのは俺だって思いたかった。そうであろうとしていた。でもそうじゃなかった。そうじゃ、なくなってしまった。だったら今の俺に足りないものを、どんなことをしてでも手に入れる」


「アッ君……」


「だってそうだろ? セックスって身体同士の繋がりなんだ。肉体的な条件は別にしたって、その男にできることを、俺が与えられるようになれば問題ないじゃないか」


「……それは……」


「違うかい? 希美にとっては、その男に与えられることにこそ意味があるの?」


 希美は強く首を振る。


「じゃあ俺でもいい?」


「違うっ! アッ君がいいっ。アッ君に与えて欲しいですっ」


「なら、俺はそのために努力したい。何も世界中でそいつにしかできない事なんてあるはずがない。今の俺が持っていないなら、努力して手に入れれば良いだけだ。君とのセックスパートナーは、世界でこの俺只一人であるために」


 希美の目に再び涙が浮かぶ。それは悲しみの涙でないことが、すぐに分かった。


 申し訳なさそうな、しかし嬉しさを隠しきれないような、可愛い笑顔だった。


「もう一度、今度は聞き方を変えるね。俺とその男、今の希美はどっちと一緒にいたいって思ってる? これから先、何十年と寄り添って、身体を重ねたい相手は、どっち?」


「それは昭久君です! もうあの人に抱かれたいなんて思ってませんッ! 本当に、本当にどうかしてました……信じてもらえないのは分かってます……私の言葉に、説得力なんてありっこない。それだけの罪を犯しました。だけど……」



 考えてみれば、希美は昔から意志が弱く、どこまでも受け身で、自己肯定感の低い側面があった。


 それでも、俺の彼女として相応しくなるために、一生懸命お洒落して、美容院に通ったり、ダイエットしたり、スキンケアを頑張ってくれた。


 それが別の男にレイプされた挙げ句、その男との関係に夢中になってしまうなんて、頭がおかしいとしか思えない。


 だが、自分でも不思議なことに、それでも希美を嫌いにはなれなかった。



 普通の感覚で言えば、嫌悪して然るべきだ。


 ある意味では、気持ち悪いとすら思う。そんな女を再び抱きたいなんて、俺の方が頭がおかしいと思うのが普通だろう。


 俺は世界中の人から愚者と否定されるかもしれない。


 他人ごとなら、俺もそう感じるだろう。誰が浮気相手とのセックスに狂った女を抱きたいと思うだろうか。


 例えばこれが物語の話で、俺がその読者だったら、その主人公である俺のお花畑な考えや希美の身勝手さを心底嫌悪したに違いない。


 希美の言うとおり、こんな女はサッサと捨てて別の人との出会いを求めた方が健全と考えるのが大多数の考え方だろう。


 だが、自分がその当事者となって、一番最初に感じたことは、どうしたらその男を越えることができるか。


 どうしたら奪われてしまったものを取り返す事ができるか、だった。



 もしかしたら、俺は希美の一番じゃなくなったことが悔しいだけなのかもしれない。


 希美を幸せにしたいと言いつつ、自分のプライドを傷つけられた事が許せないだけなのかもしれない。


 でも、だからこそ希美を世界で一番幸せにするのは俺でありたいというプライドを持って付き合ってきた筈なんだ。


「俺は、悔しいんだ。希美の1番じゃなくなってしまったことが悔しくて堪らないんだよ……」


「アッ君……。そこまで私の事を……」


「だけど、それは今の時点でってことだろ? 希美は俺以外の男を知ってしまった。もうそれはどうあっても消すことができないし、一生変わることのない事実になってしまった。どうしたって過去の強い快楽と比べてしまうのは、人間として普通の事だ。考えてしまうことを考えるなってのは無茶な話さ」


「……うん」


「だったら、そいつが消えて無くなるくらい、俺がそいつを越えれば良いっ! 今は劣っていても、俺がもっと希美の為に与えられるものを増やす努力をすれば、そんな男なんて必要ない筈だ」


「アッ君……」


「一緒に頑張ろうよ。俺だけの力なんてそいつに及ばないかもしれない。でも希美が好きで居てくれるなら、いや、好きじゃ無くなっても俺はどれだけでも頑張れる」



 俺は希美を愛してる。希美の一番でありたい。世界で一番の男でありたい。


 一緒になって、老人になるまで寄り添って……。


 死ぬ時に、『一緒に居られて幸せだった』と、笑って死ねるように。



 手放してなんか絶対にやるものか。


 人を人とも思わないようなドクズには、いつか天罰が下るだろう。


 そんな野郎の為に、希美と別れるのも、それが原因で希美が死ぬのも、希美が不幸であり続けるのも、真っ平御免だ。


 だが、そんなくそ野郎への恨み言など、今はどうだっていい。



 俺がすべきことは、 今この瞬間、涙で顔をグチャグチャにしながら懺悔し続ける彼女を、どうやったら幸せにできるか。


 どうやったら希美の一番を取り戻せるか。考えるべきは、それだけだ。

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