第7話 未来の話
「一度落ち着いて話し合おう。希美は、これからの俺達の事をどうしたい?」
「それは……その……」
希美は言い淀む。もしかしたら、もう相手の男に心が傾いて、別れたがっているのかもしれない。
一瞬、ほんの一瞬だけそんな考えが頭をよぎり、かぶりを振って否定する。
「私には……そんな資格はない。アッ君を裏切って、心を相手に奪われてしまった」
「それは仕方ない部分もあると思うよ」
「でも、結局バレるのが怖かったの。自分を守ることしか、自分の立場を守ることしか頭になかった最低な女が、アッ君に許される資格なんてないよ……」
「違う、そうじゃない。そうじゃないよ希美」
「え?」
「俺が聞きたいのは、そういう外面的な理由の並べ立てじゃないんだ。側にいる資格はないとか、自分の事しか考えて無いのがダメだとか、自分を許せないからとか、そういうのは抜きにして、自分がどうしたいのか、本当はどうしたいのか。それを聞かせて?」
今の時点では罪悪感の方が強いのだろう。恐らくその壁を取り払って本心を伝えることに強くためらっていると思われる。
だから俺はその本心を吐露する免罪符を与えるため、自分の気持ちを先に伝えることにした。
「言いにくいよね。じゃあまずは俺の気持ちを伝える。嘘偽りのない、心からの本心だ」
「はい……」
嗚呼、おかしいな。これだけの事をされたのに……。
こんなに手酷い裏切りに遭っていたのに。
俺の気持ちは一切……自分でも不思議なくらい希美への愛が揺らいでいなかった。
確かに悔しい思いはある。許せない気持ちもある。
だけど……。
「俺は、それでも希美を愛してる。確かにショックだった。もの凄く悲しかった。なんでそんな男とって怒りもある。どうして相談してくれなかったのか。未だもって全く理解できないし、悔しい。それでも、それでも希美と培ってきた長い時間を、そんなことで否定なんてしたくないっ!!」
考え方によっては、これって卑怯な選択だとも思う。
希美は俺が強く言えばこっちに傾く可能性が高い。
そんな状態で俺が先に気持ちを伝えれば、仮に別れたがっていたとしても、それを告げるのをためらうだろう。
結局のところ、俺はどうあっても希美を手放したくないんだ。どんな手を使ってでも、希美に側に居て欲しいだけなのかもしれない。
「アッ君……」
「確かに君のやったことは最低だ。一ミリだって理解できないし、怒りで頭がどうにかなりそうだった……。殺したくなるほどの憎しみが募ってるのも否定できない」
「ッ……」
俺は希美の首元に両手を添え、グッと力を込める。
一瞬驚いた顔をした希美だったが、自分は全てを受け入れるという覚悟を決めたのだろう。
涙を流しながら、なんとも言えない表情で微笑みを浮かべていた。
俺は、その腕に込めた力を緩めて、抱きしめた。
「んっ……アッ君……」
「それでも、希美を失う事に比べたら、我慢できる……。過ちは、心の成長に繋げれば良い。だから俺は、希美を見捨てる事なんてできない。別れるなんてしたくない。希美がいない人生なんて、考えたくないんだッ!」
俺達の培ってきた時間は、そんなに安くない筈だ。
「まず最初の原因はその男のレイプだ。人間の尊厳を踏みにじる行為で始まる恋愛なんて、俺は絶対にあっちゃいけないと思ってる」
「うん……本当に、その通りです。本当に……本当に……その通りなのに……」
「希美はどうしたい? 俺と別れて、その男と一緒になることが自分の幸せだと感じるなら、悔しいけど身を引くよ。俺は希美が一番幸せだと思う選択をして欲しい」
希美は言いにくそうに口ごもり、しばらく何も言えなかった。
恐らく、希美の場合は思い切り強い言葉で『俺に付いてこい』と言えばとりあえずこちらに傾くだろう。
だけど、それは本当に自分の意思で決めたことだとは言いがたい。
強い言葉に感化されて、恐怖心で希美の意思を曲げてしまったら、希美を犯したレイプ犯と同じになってしまう。
だが、どうしても希美に決めきれないと言うなら、強い言葉を使うことも辞さないつもりだ。
どうやったって、そんな男に希美を渡してしまったら、幸せなんてやってこない。
女をもてあそぶ玩具か性処理の道具程度にしか考えないクソ野郎に、俺の愛する希美を渡して堪るか。
希美に決めて欲しいと言いながら、俺はこれっぽっちも希美を手放す気なんてなかった。
絶対にそんな男の元になんて送り出してやるものか。
そしてどちらにも付かないで一人になることも許さない。
恐らく希美のこれからやろうとしている行動は予想が付いている。
彼女は絶対に一人にしちゃいけない。
だから初めから選択肢は一つしか無い。
俺はそれ以上なにも言わず、根気強く希美が言葉を紡ぐのを待ち続けた。
希美は答えない。葛藤があるのか。それとも本心は決まっていて、それを伝える事をためらっているのか。
俺にとって不本意な答えであるが故に、自己保全の強い希美は伝える事ができないでいるのか。
そんな考えも頭をよぎるが、俺はきっとそうじゃないことを信じている。
俺だって怖い。
もしも希美が、相手の男を選んでしまったらと思うと、怖くて堪らない。
そんな未来を想像しただけで、胸が締め付けられるように苦しい。自然と肩を掴む手が震えていた。
俺にとって希美は、それほどまでに愛してる人なんだ。
単なる寝取られ男の未練がましい戯れ言と馬鹿にされるだろうが、俺は彼女を幸せにするために、どんな努力だって惜しまない自信がある。
世界で1番、彼女を幸せにしたい気持ちで負けない自信がある。
だが、希美にとってはそうじゃないかもしれない。
希美にとっては、俺の努力は自分を満たすには十分ではなかったのかもしれない。
幸せにしたいなんて言葉が、単に重たくのし掛かっている可能性だって勿論ある。
男女の関係は、一方だけの思いでは成立しない。
互いの気持ちが通じ合って一致していなければ、それは単なるエゴの押し付けになってしまうからだ。
長く、長く沈黙した後……意を決し、肩に置いて震わせている俺の手を取り、目を真っ直ぐに見て、こう言った。
「私は……私はアッ君と一緒に居たいッ! こんな事を言う資格はないって分かっています。許されない事をしたって理解してます。でも、でも、愛してるの……。プロポーズも、本当に……本当に嬉しかった……自分の頭がおかしくなっていた事に、ようやく気がついたんです」
俺のプロポーズがきっかけで、洗脳が解けたということか。
俺は、嬉しかった。希美の心が離れずにいてくれたことが。
「臆病で、勇気がなくて、自己保全しか考えられなかった……。でも、心からの本音です。アッ君と一緒にいたい。一生をそばで添い遂げたい。あなたを支えたいです。私の唯一の人。他の人なんて考えられない。考えたくない。昭久君しか嫌です。昭久君のそばに、どうかいさせてください」
長い沈黙の時間は、流されず、自分の意思でハッキリと決めたことを示すための、心の準備だったのだと信じたい。
「希美ッ!! 良かった……もう離れないで。何かあったら、すぐに相談して。絶対に守るから……」
俺は希美を力の限り抱き締めた。怒りも焦燥も、嬉しさも安心も全部ごっちゃになって手加減無しに抱き締めた。
希美もそれに答えるように、何度も身体を擦りつけて抱き締め返してくれる。
耳元で何度も何度も『ごめんなさい……ごめんなさい……』と繰り返しながら、熱い涙が頬に流れるのを肩越しに感じていた。
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