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第30話


 教主殿の暗い地下牢に私と白沢は囚われる事となった。

 座敷牢――何の為に存在するのか不明であった教主殿地下の設備には、使用された過去など無いと聞いていた割には、どうしてか人の痕跡がある気がしてならなかった。

 光源は頭上に灯された裸電球が一つあるばかりで窓さえない。牢の中は座敷になっていて、カビ臭い煎餅布団が二つ畳んであり、奥の板間になった部分には掘り込まれた簡易なトイレがあった。正面には分厚い木格子が一枚、地下の間取りを半分で仕切る形で据えられている。錠の付いた格子の向こうには椅子とテーブルだけの無機質な空間があり、その背後には地上へと戻る階段が一つあって、階上で重い鉄扉が閉め切られている。

 荷物もボートの鍵も取り上げられた私達に残されたのはこの薄汚れた身一つだけだった。

「それにしても、この令和の時代に私宅監置とはな。文明から隔絶されたこの島に精神衛生法など関係無いという事か」

 土壁に背を任せて座り込みながら、白沢は眼鏡を外して、曇ったレンズをハンカチで拭いていた。

 白沢の言う私宅監置――すなわち座敷牢とは、一九〇〇年「精神病者監護法」にて合法化された当時「癲狂てんきょう」と呼ばれた精神病患者の隔離施設の事である。一九五〇年に「精神衛生法」の施行により私宅監置は廃止されたが、沖縄では精神病院の不足を理由に一九七二年まで私宅監置が行われていた。

 汚れた衣服を叩きながら白沢は体の節々を回して負傷具合を確認する様にしている。少し腫れた頬が痛々しい。幸いにも私の方は組み伏せられた際に捻り上げられた手首が少し痛むくらいで、肉体的にはどうという事は無かった。

 ただし問題は精神的なショックの方だった。私はくすんだ畳の上で塞ぎ込む様にして、座ったまま抱え込んだ膝の間に頭を埋め込んだ姿勢のまま何時間も動けなくなっていた。

 けれどつまでもこのままではいけないと思い、私は少し頭を持ち上げて、膝頭から目だけを覗かせながら縋るように白沢に聞いた。

「先生、どうしましょう。このままでは父は再誕の儀式をすぐにでも……」

「ああそうだ、本当にそうなんだ……」

 白沢もまた珍しく頭を抱え込んでいる様子である。

 ここに囚われてからはもうそれなりの時間が経過してしまっていた。累ちゃんから憑き物が落ちかけているのを見て、もういつ再誕の儀式を始められても不思議では無い状況だ。無愛想にした頼子さんが昼食を運んで来てから数時間と経過しているから、時刻はもう正午に近いのではないだろうか。時計が無いので感覚でしか分かりようのない事だった。

「先生は再誕の儀式が累ちゃんの命に関わる事だとそう言いました。いい加減、私にもその展望を伝えるべきです。それに父に言ったもう死んでいるって……一体なんなんですか、まさかマガツコとは本当に赤子の遺体なんですか」

「そうだ」

 あっさりと肯定されてしまい、私の意識は白み掛ける。

 ――だとすれば、ますますこの島の信仰は狂気に達しているという事になる。いたいけな生娘を想像妊娠させて、亡くなった赤子の遺体を葬る事なく御神体にして弄んでいる。

 私が貝の様に閉じこもりそうになるのをなんとか堪えていると、白沢が言った。

「唯くん……でも一つだけ違う。マガツコとは赤子では無くやはり胎児なんだ」

 赤子では無く胎児とは何の事なのか。胎児とは母の胎内に居るものをそう定義し、赤子とは母体を離れたものを定義する。それに既に母の母体を離れている赤子の遺体――マガツコはどちらかと言えば赤子と言うのが正しいのでは無いのか。

 待て――そうじゃない……白沢が胎児と赤子とをわざわざ言い分けるのはつまり――

 ならば再誕とは、産まれ直すとはもしや――

「団十郎さんはね、死んだ胎児を累ちゃんに産み直させようとしているんだ」

 訳が分からない。

 これから胎内に宿るから胎児だと――

 死んだ胎児を産み直させるから――再誕だとでもいうのか。

「でも産み直すってそんな事……どうやって?」

「方法はわからない……いや、理解する事を僕自身の理性が拒んでいるのかも知れない」

 白沢もまた意味がわからないといった様子で続けた。彼にしては歯切れの悪い物言いが気になった。

「とにかく団十郎さんは母体と胎児を用意して産み直しを決行しようとしているんだよ、それだけはわかる。流石にそれは儀式的な体裁の上での話しなのだろう。何故なら死んだ胎児が実際に蘇るなんて事がある筈がないからだ」

 ならば実際に母体と胎児を用意して父は何をしようというのだろうか……やはりそこがわからない。

 言い淀む白沢を前にしながら早合点した私は話しを先へと進める事にした。 

「父は何故そうまでして死んだ胎児を再誕させる事に執心しているのでしょうか」

「神様の子を産み直す為だよ。何度もそう言っているじゃないか」

 白沢の眼鏡の縁が豆電球の明かりを受けている。補足する様にして彼は続けていった。

「順当に考えるのならば、産み直しをする事でマガツコという御神体の格を上げようという思惑があるのだと考えられる」

 白沢はそう言い切ったものの、思案気に目を細めていた。

 だが確かにそうだ、それしか考えられない。何を思索する事があるのか。

 ……とは思ったのだが……しかし、確かに何か引っ掛かる。

 概念的な神の昇格など、数十年を掛けて母体を作り出し、母体の命を危険に晒してまでする事なのだろうか? いくらそれが教団の悲願であったとしても、リスクに対してリターンが見合っていない気がする。繰り返すが、神の昇格など所詮概念的なものだ。それに対して犠牲にしているのは少女の尊厳だ。科学的な下準備を施してまで神聖な母体を用意した父が、今更概念の昇格などを重要視するのだろうか?

 やはりこの推理には何か喉元につっかえる感覚があった。白沢の思案する先もまたこの事なのでは無いだろうか、と私は思う。

 真実はもっと単純で、現実的で、明快な利がある気がしてならない。そうでなければ父という人間をここまで狂わせた理由に釈然としない。あの人の本質をよく知っているからこそ、私には余計にそう感じられる。

 私は震えるまつ毛を上げて白沢を見る。彼もまた何処か釈然としない顔付きで腕を組んで考え込んでいる様子だった。

「父をそうまでさせる死んだ胎児――マガツコとは一体、誰の子なんですか? 誰の腹から産まれた遺体なんですか?」

 ――私は聞いた。

 それならば、父に取り憑いたマガツコとは何処から現れたものなのか、それ程までに父を執心させる死んだ胎児の正体とはいったい……。

 そして何より、時を止めたその姿の事。マガツコが本当に誰かの腹から産まれた赤子であるというのなら、死後何年もそのままの姿でいるのは道理としておかしい。

「とにかく……僕らは最悪の事態まで想定して急がないといけない」

 含みのある言い方だった。そしてまるで解答になっていない。何故話さないのかはわからないが、もしかしたら白沢は口にしないだけで、何かに勘付いているのかも知れないと思った。

「……」

 だが私の視線に苛まれ、さしもの白沢も座りの悪さを感じたのか、口の端から囁き漏らすかの様に言い始めた。

「僕にあるのはただ……」

 立ち上がった白沢は私の髪に手を伸ばし、耳の上に留めていた小さなヘアピンを引き抜いていった。

「キミにとって辛い事になる憶測と、胎児の保存方法だけだ」

 ヘアピンを引き抜かれた事で、私の髪がはらはらと前に垂れて来た。

「それはそうと唯くん、他人の心配よりも自分の心配が先ではないのか?」

 白沢の言う通りでもある。狂乱した父はもう歯止めが効かなくなっている。現に私達は法外にもここに監禁されるに至っていた。このままいつまでも囚われの身になるか、最悪の場合は命まで奪われるのかも知れないと、あの冷酷な父の態度をして思わされる。

「先生こそどうしてその事に関しては落ち着いているのです」

「もうここを出るからだ」

「は?」

 ――カツン

 と、その時、薄暗い階下に差し込んで来る物音があった。

 階上の重い鉄扉が開かれて、暗い室内に光が差し込んで来ていた。見ると盆に食事を載せた頼子さんが、平坦な目をして夕食を届けに来る所だった。

 昼食をここに運んで来た時には伏せ目がちにして取り合ってもくれなかったが、そうする様に言い含められていたに違いない。頼子さんは母親の居ない私にとって育ての親に等しかった人だ。必死になって訴えれば憐憫の情を感じて耳位は貸してくれる筈だ。

 配膳口から差し込まれた質素な食事には目もくれず、私は格子に飛び付いて頼子さんに訴えた。

「頼子さん……聞いて下さい。この島は、マガツ教とは恐ろしい邪教なのです」

「……」

「信者達は信仰という名の元に父の傀儡にされた操り人形でしか無いのです。このままでは大変な事になります。累ちゃんの命まで危ういんです、頼子さんだってわかっているでしょう、人のお腹の中から神様の子が産まれるだなんてそんな馬鹿げた話が――」

「ねぇ、唯ちゃん……?」

 格子をひっ掴んだ私の面前にまで一歩近寄って来た頼子さんは、以前の様な優しげな声をしていた。足元を向いたその表情こそ窺い知れなかったが、やはり耳くらいは貸してくれるのだと思った。

「マガツ様を疑うのか?」

 無機質な鉄の様に冷たい声だった。方言混じりの柔らかい口調さえ消し去って、沈んだ瞳が私へと差し向けられて来る。薄暗がりの中で陰影を濃くしたその無表情はもはや、私の記憶の中にある母親代わりの家政婦のものとはまるで違っていた。

「……マガツ様を疑う者の家は焼け落ちる」

 頼子さんは勢い良く格子を叩いて音を立て始めた。牢全体が揺れ動くかの様な衝撃音は、暗い閉鎖空間に余韻を残して響いていく。

「頼子さん?」

 格子に叩き付けられる掌は段々と力強く、けたたましい音を立てて繰り返された。

「……マガツ様を疑う者は疫病に侵されて死ぬ」

「え……ねぇ、頼子さんお願い」

 今に破壊してしまうのでは無いかという勢いで格子が揺すられる。何度も何度も固い木材に頼子さんの掌が打ち付けられている。

 俯く様にしていた頼子さんはいよいよと顔を上げて――言った。

「マガツ様を疑う者は子も兄弟も親も全て死に絶える。マガツ様を疑う者は末代まで祟られる。マガツ様を疑う者には厄災がある。マガツ様を疑う者は永久に地獄に閉じ込められる」

 息継ぎも無く一息に繰り返される狂言――

 白目が見えない位に大きくなった黒い目が、私の目と鼻の先で鈍く光った。

 ――次の瞬間、格子の合間を抜け出して来た腕が、私の毛髪を掴んで捻り上げた。

「痛いっ!」

 私は思わず声を上げる。幼い頃に私の頭を優しく撫でて、髪を梳かしてくれたその手は、情け容赦なくブチブチと私の髪を引き千切れる程に握っている。

「唯ちゃん、やっぱりあがもお母さんと同じなんね。穢れん子は脳髄まで穢れとっとね」

「なんの事!?」

 頼子さんは今度は以前の様に明るい口調に戻って話し始めていた。だがその凶行は以前変わる事がないのが不気味だった。その目が真っ直ぐ私を覗いている。声だけがあの優しかった彼女に戻っているかの様でチグハグだった。

 彼女は段々と方言を強くしていきながら語った。

「気付かんと? なして教主殿地下に座敷牢なんかあるとか」

「いったい……なに?」

「あがのお母さん事について誰も語らんかったでしょう? それはねぇ、あがのお母さんがずっとここに閉じ込められとったけんばい」

「は……?」

「穢れは人に伝染ると。不浄なんよ。そう簡単に禊が済む筈が無かとでしょう? ずっとずっと、あがば産むまでこけー監禁されとったとよ、あがんお母さんは穢れ! こけー拉致されて来たんやけん!」

 ――母は無理矢理この島に連れて来られ、そして私を出産した?

 こんな座敷牢にずっと閉じ込められて……?

 島外の人間との婚姻に好意的だなんて、まるで嘘だったんだ。

 こんな、こんなに非人道的な事があっていいのか!

「そがん事も知らんで、あがは呑気気ままにっ!」

 私の面前で目尻に幾重にシワを刻んだ顔が満面に笑っている。

 再び豹変してしまった頼子さんを前に、私は戦慄する事しか出来なくなっていた。まるで元の人格に狂信者としてもう一つの人格があるかの様だ。この人もまた父の様に――いいや、父の傀儡として信仰に取り憑かれているんだ。

「団十郎さんからはまだ待つ様に言われているけど……ああ、もう処分してしまった方が良かかしらねぇ?」

 開いた左手を後ろに回していった頼子さんの手元に、ぞろりと果物ナイフが抜き出されていくのを見た。そして剥き身の刃物が、刀身を光らせながら振りかぶられる――

「あ――っ!」

「唯さん……!」

 いつの間にやら頼子さんの背後に忍び寄っていた影が、彼女の後頭部を振り上げた椅子で殴打していた。

 そこには崩れ落ちた頼子さんを足元にした菊織ちゃんが立っていた。

「おや、手間が省けた」

 見ると、白沢は白沢でいつの間にやら牢の外に出ている。その手に形状の変えられた私のヘアピンが握られている事から考えるに、かなりの早技で格子の錠をピッキングで開錠した様子だった。

 休止に一生を得た形で私はへたり込む。

「情に訴えかけるのは得策とは言い難いぞ唯くん。まぁお陰で激情に駆られた彼女の注意は僕から逸れた訳だが」

「先生、開けられるのならどうしてもっと早く……」

「階上の鉄扉を見てみろ。あれは流石に僕でも開けられない。となると向こう側から扉の開かれるのを待つしか無かったんだ」

 息も絶え絶えになった私に手を伸ばして来たのは菊織ちゃんだった。

「唯さん、早く起きて!」

「菊織ちゃん、どうしてここに」

 今朝と同じ白いワンピースに身を包んでいた菊織ちゃんは、今に泣き出しそうな必死な表情で私を見ていた。

 そして憔悴のままに彼女は言った――

「再誕の儀式が始まってしまったんです」

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